血染の頸飾 拾

 貞峰家が動くのだから大船に乗ったつもりでいてくれと話すはずが、意気揚々と口を開くより早く、事件を任されている巡査の方がおずおずと切り出した。


「もし、もしです、万一私らの調べが足りなかっただけで、あの悪――あく、」

「悪霊ですよ」

「ああ――悪霊のせいにして尻尾を巻いて逃げたなんて思われたら――その、名折れもいいところかと思いまして」


 しばしぽかんとしてから河尻は答えた。


「つまり」

「こちらからお願いしておいて大変恐縮なのですが――その方に来ていただくのは、なんと言いますか、もう少し後でも――」

「なんだって一体」


 河尻の頓狂な声は廊下によく響き、通りかかった何人かの視線が一瞬サッと集まった。巡査は垂れ目をさらに引き下げて縮こまっている。ちっちゃくなりながら何をお高くとまろうとしやがって、と喉まで出かかり、拳を握ってなんとか堪える。


「いやねむかさん、こっちの無理な推し量りで押し通した挙句濡れ衣なんか着せてごらんなさい。それこそ岡っ引き――もとい警察の面目が立たねえってもんでしょう。面目、面目なんてもんはこの際置いちまいなさい。守る側の俺たちが信じてもらえなくなったらどうするんです。そっちの方が大問題じゃあないですか」


 向井巡査はハアともアアともつかない声を漏らしたきり黙ってしまった。何をためらうことがあると叱咤激励しようとしたその時、階段を上がって事務員がやって来た。向井がちらりと目を上げたが事務員は河尻の方を見ている。


「私ですか」

「はい、表に馬車が――貞峰とおっしゃる方です」

「ありがとうございます。そらおいでだ。いいですか向井さん、あのを面会室に呼んでください。もちろんあなたにも立ち会ってもらいますからね。あなただけでよろしいです。あっちは二人でおいでだろうから五対一にはなる、こっちの頭数ばっかり多くてもしょうがない。ほら行った」


 行ったと言いきらぬうちに身を翻し、事務員を追い越して階段を駆け下りる。汗の引く暇も拭く暇もない。ホールにはすでに緒都と在森がいて、相談や届け出に来た者、それに応じる職員の注目も気にかけず立っていた。


「早かったかな」

「お気になさらず、今支度をしてますんでこちらへ」


 二人に先立って階段を上がる。部屋の番号を確かめてから二人を通した。手前と奥とを分けるように鉄格子が立てられていて、奥側にも扉がある。鉄格子を挟むように机とも呼べないような台と椅子が置かれている。窓はない。緒都が座ったその隣に失礼した。在森が一歩後ろに控える。


「まだ言ってませんでしたね、兄の名前は沖浪五十哉。妹は満佐です」

「五十哉さんの様子は? 変わりありませんか」


 在森が尋ねた。


「特に聞いちゃいませんが普段どおりでしょう。聞けば答えますし、話しづらくもないですよ」


 一言二言加えようとしたところに足音が聞こえ、奥の扉からまず向井が入室した。緒都と在森をじろじろ見てから後ろに合図すると、係に連れられて沖浪が現れた。やはり変わった様子はないが、少しばかりぼんやりしているのは突然お呼びがかかったからか。

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