第5話 不思議な力

 朝帰りする私に付き添ってくれた女性、星宮ホシミヤ 澪織ミオリは、夕方まで寝ていた私にご飯を作ってくれた。しかし、満腹になった私に彼女がかけた言葉は、意外なものであった。


「コトリゴトの『ひなたん』というのは、あなたのことですね?」


 図星であった。私のハンドルネームは「ひなたん」。そして、そのひなたんに向けられた澪織ミオリの視線は冷たかった。


「な、なんのことでしょうか?」


「とぼけないでください。あなた、『ドラゴンフルーツちゃん』のフィギュア、持ってますよね?」


 澪織ミオリは私の返事を待たずに、私の家の戸棚を勝手に開ける。そこには、埃が被らないようにしまっていたドラゴンフルーツちゃんのフィギュアがあった。彼女は私にスマホを見せながら言う。


「このひなたんさんの写真、この部屋ですよね? あのパソコンデスクの上」


 澪織ミオリの言う通り、以前、私はそのフィギュアをパソコンの前に飾って写真に納め、コトリゴトに投稿していた。私の泳いだ眼は、彼女の質問に肯定を表していた。


「ごめんなさい。勝手に見てしまって。食材が無いか探していたのですが……」


 澪織ミオリは少しバツが悪そうに下を向く。


「ああ、いえ、でも、そのフィギュアを持ってる人なんて、いくらでもいるんじゃ?」


 私は悪あがきを試みる。


「いませんよ。このキャラクター、人気ないんですもの。フィギュアが出ても、パンツの柄が気持ち悪いって」


 澪織ミオリはフィギュアの脚を持ち、下から覗き込む。フィギュアは白地に黒いドットの、ドラゴンフルーツの果実に似た柄のパンツを履いていた。


「"人気"ですか」


「私があの駅に居たのは、この子のキーホルダーを付けた人を探していたからで……」


 私は大変なことに気付いた。


「あれ、カバン……ない! あっ、あなたが持ってるんですか?」


「やっぱりなんですね。私、カバンなんて言ってませんよ? あなたはカバンなんて持ってませんでした」


「え? じゃあどこで……」


 記憶を辿ると、会社を出た時には既に身軽だったことを思い出す。


「あー、会社に置いてきちゃったみたいです」


「そうですか。無くしてなくて良かったですね。で、あなたがひなたんさんなんですね?」


 私は澪織ミオリのまっすぐな瞳に観念する。


「はい、その通りです。でも、なんで私なんかを探して?」


「あなた、スマホは見てないんですか?」


「あ、ああ、ずっと仕事してて、触ってなくて……」


 私は壁際のハンガーにかけてあるスーツのジャケットから、スマホを取り出した。


「あっ、通知来てます! 『コメントがつきました』って」


 そこには本名でコトリゴトに登録している澪織ミオリからの質問が届いていた。


「『どうお考えでしょうか?』ですか。やっぱり、最近話題になってるあれは、私のせいなんですかね?」


 私は澪織ミオリを上目遣いで見る。


「話題になり始めた時期もそうですし、差別的な暴論ぼうろんを辿るとあなたの書き込みまでさかのぼれます。それが何よりの証拠でしょう」


「やっぱりですか。で、でもっ、私のフォロワー、ゼロなんですよ? そんな人の言葉が人に悪影響を与えますかね?」


「えっ?」


 澪織ミオリは驚いた顔をして、自分のスマホを操作する。


「ほ、本当ですね。なぜですか? フォローを断ってるんですか?」


「そんなことしてませんよ。私は必死に自己アピールして、フォローも沢山したけど、誰ひとり私をフォローする人なんていませんでした」


「不可解なことがあるものですね。しかし、あなたの言葉が人々に影響を与えたことは事実でしょう。問題はあなたの文章にあります」


「問題ですか……」


「はい、この文章、自分で読んでみて貰えますか?」


「ああっ、はい。えっと……人間はざっくり2種類しかいないと思う……コミッ、コミュニケーショ、ンが下手で悩んでる人と、コミュニケーションが下手でっ、じゃないや、なことに気付いてない人。下手なことに気付いて……ない人の方が得してるんじゃない? そんなの、そんなの不公平だよ……」


 私はその時、しかめっ面をしていた。


「どうですか?」


「……よくわかりませんね」


「その通りです。その文章はよく読めばちゃんと意味が通りますが、人が瞬時に理解できる情報ではありません。大抵の人はあなたと同じように、よくわからないと感じてスルーすることでしょう」


「でも、最初はいいコメントもついてたんですよ」


「それは、文章を読むことに慣れ親しんだ、ごく一部の人を納得させたに過ぎません。あなたの書き込みが広まるにつれて、よく読まずに反応する人が増えたのでしょう」


「そういうことですか。でも、私は今話題になっていることとは、逆のことを書き込みました。なぜこんなことに……」


「それは、あなたの文章が人の不安をかきたてたからですよ」


「不安をかきたてた?」


「そうです。あなたの文章は難しい言い回しで、意味ありげで、人の心に不安を与えるものだったのです。不安に対する人の反応は大まかにふたつ。ひとつは悩んだり落ち込んだりすること。もうひとつは怒り覚えることです。怒りを覚えた人は、『コミュニケーションが下手』というわかりやすい部分にだけ反応してしまったのでしょう」


「怒りがみんなを狂わせたってことですか?」


「いえ、狂ってなんかいませんよ。それが普通なのです。人は不安に対して、それを解消するために悪者探しを始めるものです。そうやって自分を守っているんですよ」


「私は落ち込む方だと思います」


「そうですか。それもまた、自分を守るための反応です。ともあれ人は、不安をそのままにしておくことはできないのでしょう」


「わかりました……ごめんなさい。人を不安にさせる言葉を使ってはいけませんよね。私はただ、話を聞いて欲しかっただけなんです。私は人を安心させることを言えるようになります」


「ええ、あなたのその言葉、しかとこの耳で聴きましたよ」


 澪織ミオリは私の手からスマホを取り上げ、何やら操作を始めた。返してもらったスマホには、投稿完了の画面が表示されていた。


「これ、私の言葉……」


「はい、みなさんにも聴いてもらおうと思いまして」


 そこには、「ごめんなさい。人を不安にさせる言葉を使ってはいけませんよね。私はただ、話を聞いて欲しかっただけなんです。私は人を安心させることを言えるようになります」と、書き込まれていた。


「あはは、参ったなあ……」


「この謝罪でフォロワーも増えるかもしれませんね」


「いや~、もうSNSはりですよ。結局、私の自己アピールなんて、誰も見てないってわかっちゃいましたから」


「私が見てましたけど」


「それは、私が悪いことをしちゃったからで」


「あなたは悪くありませんよ。あなたの言葉にはきっと、人の心を動かす不思議な力があるんですよ」


「力ですか。なんかマンガみたいな話ですね」


「マンガの能力者はもっと目立つものですけどね。あなたはさしずめ、"えない影響者えいきょうしゃ"といったところでしょうか」


「なんですか、それ?……ふふふっ」


「ふふ……あはははははっ」


「あははははははっ!」


 私たちは何故かふたりで笑っていた。

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