第25話 ノートの力

 二学期の期末テストに向けて動き始めた私。家では澪織ミオリのノートを写して、授業中は教師の話に集中し、授業中に沸き起こったあらゆる疑問をノートにしたためる。澪織ミオリは、私の疑問に答える役目を引き受ける。その回答は、彼女のノート同様、とてもわかりやすくまとめられていた。


 そして、二学期期末テストの前日。


「あの、星宮ホシミヤさん!」


「はい?」


星宮ホシミヤさんのノート、全部写し終わりました。だから、全部持ってきたんです。明日からテストだから、さすがの星宮ホシミヤさんもノートを見て復習したいかなとか、お節介かもしれませんが」


 ノートの束を差し出す私に一瞬キョトンとした澪織ミオリは、私の言葉を理解した瞬間、顔を大きく綻ばせた。


「そうですか! 日向ヒナタさん、やり遂げたんですね!」


 そして、彼女は私が持っているノートの束を受け取る。


「確かに受け取りました!」


 朝礼のチャイムが鳴った。澪織ミオリはノートの束を愛おしそうに抱きかかえ、軽妙な足取りで自分の席に戻っていった。


 その日の昼休み、澪織ミオリを廊下で手招きする女子生徒がいた。


「ねえ、澪織ミオリ、ちょっと!」


 それは以前、私にヒカゲというあだ名をつけていると言ったヨーコさんだった。澪織ミオリは席を立って廊下へと出る。


「ん、何?」


「最近さあ、ヒカゲちゃんとよく話してるよね?」


「うん、そうだけど? ヨーコも話してみる?」


「いやー、それはちょっと」


「すごくいい子だよ?」


 そこに別の女子が現れた。


澪織ミオリちゃん、ヨーコ、どうしたの?」


「あ、リカ! リカも澪織ミオリを説得するの手伝ってよ!」


「説得って何を?」


「ヒカゲちゃんのこと」


「あー、あのね、澪織ミオリちゃん、あんまりヒカゲちゃんに近寄っちゃダメだよ」


「なんで?」


「あんな暗い子と話してると、ハブられるってことだよ」


「リカ……」


「そうそう、それと、幽霊のヒカゲちゃんに取り殺されるかも!」


「ヨーコ、それ、本気で言ってるの?」


「だって、話しかけてもヘラヘラしててキモいし、絶対ヤバイよあの子! 澪織ミオリも同類だと思われたら困るでしょ? だからさー、もうヒカゲちゃんを構うのやめなって」


「そうそう、澪織ミオリちゃんのためを思って私たちは……」


 澪織ミオリはリカさんの言葉を遮り、二人に軽蔑の視線を送った。


「いい加減にしてくれない? 人のことを幽霊とかキモいとか、言っていいことと悪いことがあるよ!」


「み、澪織ミオリ?」


「大体、幽霊なんているわけないでしょ! バカなんじゃないの!?」


 澪織ミオリの声は、教室で自席に座っている私をも震わせた。私には何が起きているか見当もつかなかったが、自席に戻る彼女の表情には、見た者すべてに恐怖を植え付ける鬼が宿っていた。その日、私は彼女に声をかけることができなかった。


 そして次の日、二学期の期末テストに臨んた私は、抑えきれない自分の力に打ち震えていた。


(わかる! わかるよ! 星宮ホシミヤさん!)


 問題を見れば答えが浮かぶ。その快感に酔いしれながら、私は迷うことなく答案を埋めて行った。


 テスト初日に手応えを感じた私は、テスト後すぐに帰宅して、次の日の科目の復習に勤しんだ。


 全てのテストが終わった時、私はふと、我に返ったように思い出した。


星宮ホシミヤさん、最近話してないな。テストに集中しすぎちゃったかな?)


 帰宅する澪織ミオリを、自分の席から眺めた。その表情は心なしか、暗く塞ぎ込んでいるように見えた。


 そして、期末テストの結果は――


(私が……一位?)


 思いがけず、私は学年一位の成績を納めていた。しかし、次の瞬間、彼女の名前が無いことに気付く。


星宮ホシミヤさんは? やっぱり、私がノートを借りてたから、復習できなかったんだ。私のためにあんな嘘を!)


 教室に戻ると、澪織ミオリは他の女子生徒に取り囲まれていた。


澪織ミオリちゃん、テストの点なんて、気にしちゃダメだよ」


「次があるよ!」


 皆口々に澪織ミオリを励ましていた。しかし、彼女は俯いたまま立ち上がると、


「ごめんなさい、トイレ行ってくるから」


 周りの生徒をかき分けるように、澪織ミオリは教室を後にした。テストの時と同じ、暗く塞ぎ込んだ表情で。


 その日の放課後、私は待ち構えていた。


「やっぱり、こっちに来てくれましたね」


 校舎の影の中、東門で。


日向ヒナタさん……」


星宮ホシミヤさん、話があります。ちょっとよろしいですか?」


 疑問形の語尾とは裏腹に、私の手はしっかりと彼女の手首を掴んでいた。そして、以前彼女がそうしたように、私は彼女を公園のベンチに座らせた。


星宮ホシミヤさん、私のせいで、あなたの成績に傷をつけてしまいました。ごめんなさい」


 私は地面に跪いて手をつき、額を深々と下げる。そう、土下座の姿勢を取っていた。


「や、やめてくださいっ! 決して日向ヒナタさんのせいでは……」


 澪織ミオリはベンチから一歩踏み出てしゃがみ込み、私の肩を両手で起こした。その手はとても柔らかい感触がした。


「現に点数が下がったじゃないですか? 私にノートを貸してたから復習できなくて、それで点数を落としたんですよね?」


「ち、違うんです!」


「何が違うんですか? あなたのお陰で私は学年一位になれました。だけど、あなたの成績を犠牲にしてまで一位になっても、嬉しくありません」


「本当に、違うんです。テストに集中できなくて……」


「集中できなかった?」


 目を丸くした私を前に、澪織ミオリは自分のカバンから、一冊のノートを取り出した。


「じ、実は……」


 私には、澪織ミオリの表情が見えていなかった。彼女が手にしたものが、私の心に深く突き刺さったのだ。


「こ、これって……」


日向ヒナタさんが私に返してくれたノートの中に混じってました」


 言葉は出なかった。澪織ミオリは私にノートを差し出すが、私はそれを震える手で掴むことしかできなかった。それは確かに、私のノートだったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る