第24話 成績向上作戦

 私の自虐的な態度に怒り心頭の澪織ミオリ。彼女は、自分のノートを私に貸し付けて、写すようにと言い渡す。私は罪の意識に苛まれ、彼女の言う通りにするのであった。


 ――次の日。


「ごめんなさい!」


 朝、教室の席に座った瞬間だった。澪織ミオリが私のもとに駆け付けてきて、頭を下げたのだ。私が唖然としていると、彼女は息を切らせてまくし立て始める。


「昨日は勢いであんなこと言って、本当にごめんなさい。ノートを全部写せだなんて、横暴にもほどがありますよね? あなたの気持ちも考えずに……」


 周りの生徒は、何度も頭を下げる澪織ミオリを、珍しそうに遠巻きに眺めていた。私は慌てて席から立った。


「あの、えっと、ぜ、全部は写せなくて……!」


 気が動転していた私は、カバンの中から自分のノートを取り出して、澪織ミオリの前でめくって見せた。


「え、ああ……」


 澪織ミオリは言葉にならない声を上げながら、ペラペラと流れて行くページに、目を白黒させていた。


「どうですか?」


 私の問いに、澪織ミオリは悲痛な面持ちをする。


「うう、こんなことをさせてしまって、ごめんなさい! 私のノートは人に見せられるような代物じゃなくて」


 澪織ミオリは更に謝罪を重ねたが、私はそれをにべもせず話を進めた。


「まだ途中までしか写せてないから、こんなんじゃ許してもらえないかもしれないけど、時間が無くて」


「いえ、そうじゃなくて……」


 その時、朝礼のチャイムが鳴った。


「あっ、それと、星宮ホシミヤさんもノートがないと困りますよね? だからこれはお返しします!」


 私は自分のノートを机の上に置き、カバンの中から澪織ミオリのノートの束を取り出した。彼女はそれを受け取ると、「あああ、ううう」と狼狽えながら自分の席に戻っていった。そして、次の休み時間――


「あの、星宮ホシミヤさん」


 今度は澪織ミオリの方が私から逃げた。その日彼女は、恥ずかしさのあまり、私の呼びかけに聴こえてないふりをして逃げ続けた。しかし、私は彼女にどうしても伝えたいことがあったのだ。


「あ、来てくれましたね」


「う……」


 放課後、私は東門で澪織ミオリを待ち構えていた。彼女が一瞬たじろいだ隙に、私は彼女の手首を握った。


「あの、どうしてもお礼がしたくて」


「ど、どういうことですか? 私はあなたに不当な怒りをぶつけてしまった。嫌われるならまだしも、お礼を言われるようなことは……」


「違うんです。帰ってノートを必死で写してたら、気付いたんです」


 私は澪織ミオリの手を引きながら、自然と歩き始めていた。


「ととっ」


 澪織ミオリは一瞬つんのめりかけたが、前日のように、私に歩幅を合わせて歩き始める。


「私、あんなに真剣に怒られたこと、なかったなあって」


「そ、そうなんですか?」


「はい。先生は私に何も言ってくれませんでしたし、お父さんとお母さんは、私に『かわいい』と言って、甘やかしてくるんです」


「かわいい……」


「怒られたことが、ちょっと嬉しかったんです。だから、ありがとうございます」


「うう、私は自分勝手に感情をぶつけてしまっただけです。やめてください」


「そうですか? 私にとってはいい薬だったんだと思います。それと……」


「それと?」


星宮ホシミヤさんのノートを写すのは楽しかったです。なんというか、星宮ホシミヤさんがノートを通して語り掛けてくるみたいで」


「語り掛ける…… そうですね。私、ノートを取る時に、自分の言葉に直しちゃう癖があるんです。だから、人に見せられる代物ではないと」


「いえ、違うんですよ! その、星宮ホシミヤさんの言葉が、すごく丁寧に教えてくれる先生みたいで! 面白くて!」


「面白い?」


「はい。授業よりずっと」


「うう、恥ずかしいです。でも、そう言っていただけると嬉しいものですね」


「なんか、星宮ホシミヤさんの気持ちがわかるような気がして、怒られたのも、私に本気になってくれる人がいるんだなって。そんな人が居るんだったら、頑張ってみようかなって思えたんです」


「頑張る?」


「はい。お父さんに頼んで、メガネを買ってもらいます。それでまた頑張ろうって」


「メガネ、嫌なんじゃなかったんですか?」


「嫌ですけど、これ以上星宮ホシミヤさんに迷惑をかけるわけには」


「やっぱり、嫌なんですね。私にも思い当たる節があります」


「反抗期ってやつですかね。どうしても生理的に受け付けられません」


日向ヒナタさんもそうなんですね。それならば、私に良い考えがあります」


 澪織ミオリは私に握られた手首をほどき、改めて私の掌を掴んだ。そして、前日と同じ公園の、同じベンチに私を座らせた。


「良い考えとは?」


 ベンチから尋ねる私に、澪織ミオリは立ったまま話し始めた。


「期末テストの範囲は二学期の最初からですよね? 今からメガネを買って授業に参加しても、途中からじゃわからないんじゃないですか?」


「そうかもしれません……」


「それならば、その……私のノートを本当に全部書き写してみませんか? もちろん、わからないところはお教えしますし、日向ヒナタさんが嫌でなければ」


 澪織ミオリの包み込むような優しい口調に、私の表情は明るくなった。


「授業に追いつけるなら、願ってもないことです。嫌でもありません。そもそも私は、星宮ホシミヤさんが言うように、二学期の半分を怠けて過ごしてしまったのですから、その埋め合わせだと思えば」


「あっ、ごめんなさい。怠けてただなんて言って……」


「いえ、本当のことですから。星宮ホシミヤさんはがはっきりものを言う人だってだけですよ」


「うう、本当に申し訳ないです…… でも、決まりですね。私のノートを全部写す。これで日向ヒナタさんがメガネをかける必要もなくなります」


「あはは…… あ、でも私、授業中は何をしてればいいんですかね? 前と同じように、先生の言葉を写してみようかな」


「うーん、そうですねえ。先生の話を書き写すって、正直どうでした?」


「耳と手が忙しくて、結局ついていけなくて、途中で諦めちゃったんですよね。でも、根性でなんとかすれば」


「根性ですか…… その時のノートって見せてもらえますか?」


「ん? いいですよ」


 私は自分のカバンからノートを取り出し、澪織ミオリに手渡した。


「ありがとうございます」


 澪織ミオリは黙ったまま、私のノートをパラパラとめくり始めた。ほどなくして、彼女から唸り声が上がる。


「む~~~……」


「ど、どうしました?」


日向ヒナタさん、あなた、先生の話を一言一句漏らさず、完全に書き写そうとしてませんでしたか?」


「そうですけど。当然じゃないんですか?」


「なるほど。努力は認めますが、それってかなり無茶をしてますよ」


「無茶ですか。でももっと努力すれば」


「実らない努力だってあるんですよ。こうやって見ると、文章が途中で切れていたり、肝心な部分が書かれていなかったり…… これでは勉強になりません」


「お、仰る通りです」


「そもそも、書き写すだけなんてストレスが溜まりませんか?」


「ストレスですか。まあ、星宮ホシミヤさんのノートを写すのが楽しめたんだから、先生の話も書き写すのを楽しめばいいのかなって」


「ひ、日向ヒナタさんの言葉は嬉しいですけど、それとこれとは話が別です。ノートや板書は、書いてあるから書き写せるんですよ。流れてゆく先生の言葉を、一言一句逃さないように書くのなんて、不可能でしょう」


「あ~、言われてみればそうですね」


「書き写すだけだと、意味が理解できないまま話が流れてしまう。それなら、写さないで真剣に聴き入った方がためになるんじゃないでしょうか?」


「聴くだけですか。それじゃ手持無沙汰なのでは?」


「じゃあ、真剣に聴いても分からなかったことをメモするのはどうですか?」


「は、はあ」


「そして、そのノートは私に持ってきてください。私なりに回答を書いてお返しします」


「そんなことまでっ?」


「ええ、日向ヒナタさんが頑張るんだから、私も頑張らないと!」


「そんなに負担をかけるわけには…… なんでそこまでしてくれるんですか?」


「そ、それはあなたがかわい…… いえ、昨日の罪滅ぼしですよ。私のノートを貸して、日向ヒナタさんの疑問に答える。やらせてください」


「なんか逆に悪い気がしますね。ありがたいですけど。うーん、あっ、でも!」


「なんですか?」


「私がノートを借りて帰ったら、星宮ホシミヤさんが家で復習できなくなってしまいます。やっぱり、ノートを借りるのはやめときましょう」


 私は精一杯爽やかな声を出したつもりだった。その言葉に澪織ミオリは、不敵な笑いを浮かべる。


「ふふふ、心配には及びません。私、家でノートは開きませんから。宿題も休み時間に済ませてます。復習は、寝る前に授業を思い出すだけですね」


「そんな能力が! 私には絶対にマネできません」


「そうですか? 同じ高校に通ってるんですから、能力は私に劣ってないはずですよ」


「そ、そうですかね」


 ポリポリと頭をかく私に、澪織ミオリは自分のノートを再び差し出した。


「今日はこれだけですけど、明日には全部持ってきます」


「ああっ、はい、私も授業が始まる前にはお返ししますのでっ!」


「全部持ってくるのは重いでしょうから、その日授業がある分だけで構いませんよ」


「わかりました!」


 こうして私は、二学期の期末テストに向けて動き始めた。

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