第26話 メガネ
二学期の期末テストで大きく成績を落とした
「
言葉は出なかった。
「ごめんなさい、そのノート、読んでしまいました」
目を合わせようとせずに言う
「ああっ、いえっ、私、独りで自分の世界に入り込むことが多くて、それをそのノートに書いていただけで……」
弁明を試みる私に、
「私、それを読んでて苦しくなって、テスト中もそこのことばかり考えてしまって……」
私は震えて半開きになった唇に、言葉を乗せることができなかった。
「『自分はダメな人間だ』とか、『将来できる仕事なんてない』とか、『死んだ方が楽だ』とか、そんなに苦しんでるなんて思いませんでした」
「いえ、このノートに書いてあるのはタダのネタですよ。タダのノート、タダノートです。意味なんてありません」
私は意味不明な弁解を繰り広げた。そう、高校時代の私はすでに、タダノートをつけていたのだ。
「意味が無いって、なんで自分が苦しんでいることに意味がないなんて言うんですか?」
「うう、ごめんなさい、そういうことじゃなくて……それに、もうそのノートはつけていません。
「え?」
「私、ずっと独りだったからそんなことをしてたんです。でも、
「必要ない?」
「はい! それは自分と会話しているようなもので、
「私が……」
「はい。だからごめんなさい。よくしてくれる
「そんな、謝らなくても。ああ、えっと、でも、ネタと言えば、面白い言葉も沢山書いてありましたよね」
「『セルフダイエット食品』とか、食品自体が小さくなることだって、確かになーって! あと、サイドの後れ毛を『つ毛めん』って言うんですよね? ラーメンのスープに浸かりそうだからっ! そう言えば邪魔ですよねっ! あと、『しょうがない』って妥協案に誘導するまとめ役を『ショーガナイザー』とか!」
「ああ、私、変な言葉を考えるのが好きなんですよ。変ですよね」
「そうですか? あなたの言語センス、私は好きですけど」
「好き?」
「はい、それに
「へ?」
「な、なんでもありません! あ、あの、地べたに座ったままっていうのもなんですから、ベンチに座りませんか?」
「そ、そうですね」
私と
「やっと落ち着きましたね。
「あ、はは……でも私、
「そんな、お礼なんて」
「ふふ、私、やっぱりメガネ買いますよ。私の近眼で迷惑をかけたことには変わりありませんから。今日帰ったら父に頼んでみます。それで、これからは
「見習うだなんて、私にはもったいない言葉です。……あ、そうだ、メガネ、お父さんに選んでもらうのが嫌だったら、その、私が選んでいいですか?」
「
「はい、私、メガネをかけた
私はぶんぶんとかぶりを振った。
「いえいえっ!
「ホントですか?」
「は、はいっ!」
「じゃあ、明日、丁度お休みですし、
「い、一緒にですか?」
「はい、勿論。では、明日の10時に待ち合わせで」
「わかりました! ありがとうございます」
次の日、私は約束通り、朝10時に
「お待たせしました! はぁ……はぁ……」
それは、
「いえ、全然、全然待ってません!」
両手の平を胸の前で振る私に、笑顔で応える
「お父さんにお金だけもらってきました! 視力は健康診断で変わってないのがわかってるので、昔の処方箋をもってきたんですよ!」
「え、メガネにも処方箋があるんですか?」
「はい」
そんな会話を交わしながら、メガネショップの自動ドアを抜ける私たち。
「いらっしゃいませー!」
メガネショップの女性店員さんは、やけに明るい笑顔で迎えてくれる。その視線は、私の手元を捉えていた。
「あ……」
私は自然と
「ふふ、じゃあ、私が選びますね。昔はどういうのをかけてたんですか?」
「えっと、ピンクのセルフレームで、恥ずかしかったです」
「そういうのも似合うと思いますが、さて」
「うん、これがいいですね! 似合ってますよ」
「そ、そうですかぁ?」
私は鏡を覗き込んで
「あ、頭良さそうなメガネですね」
「だって、学年一位だったんですよ? 頭いいですよ!」
「えーっと、ああっ、そうだった! 学年一位!」
「忘れてたんですか? 自分の成績?」
「いえ、
「もうっ、次は負けませんよ」
そうして、私たちのやりとりをニヤニヤしながら眺めていた女性店員に声をかけ、私は
「わぁ!」
外に出ると私は声を上げた。それまで気付かなかったわけではないが、季節柄、赤と緑の装飾が鮮やかに目に飛び込んできたのだ。
「どうしました?」
「くっきり見える。今日って、クリスマスでしたね」
「今更気付いたんですか? あははっ!」
「うう~、でも、
「そんな、私は選んだだけですよっ?」
「それでも嬉しかったので、何かお礼しますよ。そうだ、ケーキでも食べませんか?」
「いいんですか?」
「はい。そこの喫茶店でいいですか?」
「はいっ!」
私たちは喫茶店に入り、ビュッシュ・ド・ノエルと紅茶を二人分注文する。テーブルにどっかりと置かれたケーキに、私は目をぱちくりさせていた。
「大きい……」
「ですね。カロリー気になっちゃいますね」
「私、メガネをかけてるから大きく見えるんですかね?」
私はおもむろにメガネを外した。
「わぁっ!」
そう、近視用のメガネは、対象物を小さく見せるのだ。
「ふふふっ、かわい……面白い人ですね」
「あの」
「は、はい」
「私のこと、たまにかわいいって言いますよね?」
「あー、えっと、これは口癖で……」
「気遣ってくれてるんですね。恥ずかしいけど、大丈夫ですよ。お父さんから言われるのが好きじゃないだけなので」
すると、
「あ、ごめんなさい」
「おじいさま、こんにちは……メ、メリークリスマス……はい、元気です……はい、16歳になりました……ありがとうございます……はい、おじいさまもお元気で」
その表情は困惑しながらも、喜びを隠せない微笑みを讃えていた。
「お祖父さまですか?」
「はい。とっても素敵なおじいさまなんですよ。神社の神主をしていて」
「そうだったんですか。
「実は今日、私の誕生日なんですよ。おじいさまは忙しいのにわざわざお祝いしてくださったんです」
「誕生日……って、誕生日なんですか!?」
「はい……」
「じゃじゃじゃじゃじゃあっ! やっぱりプレゼントを差し上げないとっ! ああっ、さっきのメガネでほとんどお金がっ……」
「いいんですよ! 気になさらないでくださいっ!」
「もももちろん、ここの代金は持ちますけど! 何か他にも……べ、別の日でも構いませんか?」
「本当にいいんです! 私は
「でも、聴いてしまったからには、
「あ、ありがとうございます! もうこれで、結構ですからっ!」
「そんな! 何か望みとかないんですか? 欲しいものとか!」
「うう、だいじょうぶですよぉ……」
「そこをなんとか! お願いします!」
「そ、そうですか、じゃ、じゃあ……」
「はいっ!」
「もう、敬語を使うのはやめませんか? それと、私のことは名前で呼んでください」
「え?」
私の目は点になっていた。しばらくの沈黙。
「……それだけで構いませんので、ダメですか?」
「名前、ですか……」
「は、はい、『
私の表情は暗く曇っていた。
「ごめんなさい。それはできません」
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