第27話 友達

 澪織ミオリは誕生日プレゼントに、自分を名前で呼んでほしいとねだった。


「ごめんなさい。それはできません」


「な、なぜですか?」


「ごめんなさい」


 その時、澪織ミオリは非常に残念そうな顔をいていた。私はそれに耐えられずに漏らす。


「私には、人を名前で呼ぶ権利なんてないんです」


「権利? それってどういうことですか?」


「……」


 無言で窓の外を眺める私。澪織ミオリはテーブルに乗り出して、更に続けた。


「また、理由わけがあるんですね。聴かせてください」


「でも」


「いいから!」


 澪織ミオリの語気の強さに小さく震え上がる。私は乾いた声で、たどたどしく言葉を紡いだ。


「あの、私がクラスメイトを名前で呼ぶと、優しかった人もみんな、嫌そうな顔をするんですよ」


「そんな!」


「敬語をやめてもそうでした。直接『なれなれしくしないで』って言われたこともあります」


「私がそうしろって言ってるんですよ!?」


 澪織ミオリの言葉を聞き流すように、私は続けた。


「いいんです。私が優しくしてもらえるのは、相手に見下されているからなんです。みんな言わないけど、そうなんですよ。星宮ホシミヤさんだって今は浮かれてるけど、いつか私が鬱陶しくなる時が来る。わかっているんです。結局、人に期待すると、その分痛い目を見るんですよ」


「……不愉快です」


「そうですか。ごめんなさい」


「また謝って、私をバカにしてるんですか? 私があなたのことを見下してるって、そんなこと考えてたんですか?」


「少なくとも、元々の成績は星宮ホシミヤさんの方が上です」


「私、言いましたよね? あなたに負けて悔しかったし、尊敬もしたって。今回の期末テストではあなたの圧勝だった。そんな人を見下してるわけがないでしょう?」


 澪織ミオリの透明感のある美しい声が、喫茶店中に響いていた。それは、氷のように冷たくて厳しい。


「ごめんなさい」


「謝ってなんてほしくありません」


「じゃあ、どうすれば?」


「さっき言ったように、私が望むプレゼントをくれればいいんですよ。私に馴れ馴れしくしてください」


 私は澪織ミオリと目を合わせた。彼女もまっすぐ私をみつめていた。


「じゃ、じゃあ……澪織ミオリ


 その時澪織ミオリは、神に祈るようなポーズで、私に羨望の眼差しを向けた。


「あ、ありがとうございます! 日向ヒナタさん!」


「ほし……澪織ミオリ、それ、ちょっとおかしくありません?」


「え?」


「私には名前で呼ばせておいて、自分では『日向ヒナタさん』って」


「ああ、ごめんなさい……海果音ミカネ


「はい、澪織ミオリ、それと、もう敬語を使うのもやめるんでしたよね?」


「は……うん、わかったよ、海果音ミカネ


「うん。じゃあ、これからよろしくね、澪織ミオリ


 こうして、私たちはお互いを友達として認めた。そう、私が15歳の時、私と澪織ミオリは名前で呼び合う仲になっていたのだ。


澪織ミオリ、今日は付き合ってくれてありがと」


「ううん、メガネ、似合うと思ってたんだ。かわいいだろうなって」


「あははっ、お世辞がうまいね」


「ふふ、あ、あとね、お父さんが苦手っていうの、私もわかるんだ」


「そうなの?」


「さっき、おじいさまから電話がかかってきたよね。おじいさまは神社の神主だけど、星神輿ホシノミコシノ会っていう団体のトップでもあるんだよ」


「そ、そうなんだ。偉い人なんだね」


「物心ついたときにはそうで、私はなんかそれが嫌だったんだ。宗教団体みたいだなって」


「宗教……」


「規模が大きくてね。日本全国に支部があるんだ。私はそんな家に生まれたんだって」


「でも、さっき、お祖父さまと楽しそうに話してたよね?」


「おじいさまは好きだよ。そうじゃなくて、お父さまがね。よくよく調べたら、星神輿ホシノミコシノ会が宗教じみてきたのって、お父さまが結婚してからなんだって」


「ど、どういうこと?」


「私のお母さまは、ヨーロッパの小さな国の王族なの。それで、お父さまはその財力を利用して、町内会レベルだった団体を大きくしたんだって」


「だからお父さんを?」


「それまでおじいさまは、小さな神社の神主だったらしいんだけど、お父さまが教祖みたいにしてしまったの。お父さまは、おじいさまの知らないところで、会員さんたちに滅私奉公を求めていた」


「すごい話だね……」


「うん。だから、小さい頃から家は大きくて、人がたくさん出入りしてた。なんか私には、居心地が悪くてね」


「居場所がなかったんだね」


「うん、それでね、私、自分の部屋でアニメばっかり見てたんだ」


「え? 意外! 頭いいのに?」


「もう、アニメは立派な文化なんだよ?」


「ごめん、そうだね。私も最近やっと、アニメの面白さがわかってきたんだよ」


「そう、アニメの面白さって、子供にとっては動きの面白さだけど、作劇の面白さがあるって、私も最近気付いたんだ」


「そっか。それじゃ、今も好きなんだね」


「そうだよ。今はスタッフロールを眺めて、『この作品とこの作品は同じ人が作ってるんだ』なんて思ってるんだ」


「あー、それすごいね! そっか、そんな視点があるんだね! 私は声優さんくらいにしか注目してなかったよ」


「勿論、声優さんにも詳しくなったよ。それでね、私、将来は声優になろうと思ってるんだ」


「ええっ! そうなの? 学者さんか何かになるもんだと!」


「あはは、もう、海果音ミカネは私を買いかぶりすぎだよ。それに、アニメの世界は私を救ってくれたんだよ? その恩返しがしたいんだ」


「じゃあ、レッスンとか受けてるの?」


「ううん、それがね、お父さまは私に、『星神輿ホシノミコシノ会の巫女になれ』ってうるさくて。将来はうちの家系で女性初の神主とか、押しつけがましくね」


「そうなんだ。そりゃ嫌いにもなるよね」


「まあね。でも、高校を卒業したら私、バイトしながら、演技の勉強ができる大学に行くって決めてるんだ」


「そっか、親元を離れればいいだけだもんね。私、応援するよ!」


「うん、ありがとう。あ、そうだ、そろそろケーキ食べよ? 長々と話しちゃってごめん」


「ああっ、そうだった。そうしよっか、澪織ミオリ


「うん。じゃあ、海果音ミカネ、『めしあわせ』」


「うう、それってタダノートの……」


「うん、『幸せを召し上がれ』、略して『めしあわせ』、いい言葉だと思って、言いたかったんだ」


「……イジワル」


「ふふ、じゃあ、いただきますしよ」


 私は澪織ミオリと一緒に手を合わせた。


「「いただきます」」


 私たちふたりは、笑顔でケーキを頬張った。ほっぺが落ちるとはこういうことか、私がそんな風に思っていた刹那。


「あ、海果音ミカネ、ついてるよ?」


 澪織ミオリは手を伸ばして、私の頬についたチョコレートクリームを指ですくった。


「ああっ、ごめん」


「はむっ」


 澪織ミオリはその指を愛おしそうに咥えていた。


「あはは……もー、恥ずかしいなあ。澪織ミオリって、なんかお節介なところあるよね? 勉強もあんなに手伝ってくれたし」


「そ、そうかなぁ?」


「そうだよ。まるでお母さんみたい。母節介ぼせっかいってやつだね」


「ふふふ、なにそれ? また新しい言葉?」


「ああっ、つい癖で……えへへ」


「いいよー、海果音ミカネのそういうとこ、好きだよ」


「むー、これからは気を付けないと」


「あはははははっ!」


 こうして、ケーキを食べ終えた私たちが喫茶店から出ると、外には夕闇が迫っていた。イルミネーションたちが、私たちの友情を祝福してくれているように輝く。私たちはしばらくクリスマスの喧騒を楽しむことにした。


「あおく、まるく、えがく、まーいおりるてーんしー♪ したし、おいし、いとし、こーころはハレールヤー♪」


 華やいだ街の空気に刺激されて、私の口から自然と歌声が響きわたる。隣を歩く澪織ミオリは、一瞬びっくりしたあと、イルミネーションにも負けない笑顔を輝かせた。


「ふふふ、なにその曲? 面白いね」


「まほうなーんてーなーかーったのー♪ ……って、澪織ミオリ知らない? まあ、結構古いゲームの曲だからね」


「でも、いい曲だね」


「あはは、ありがとう、じゃあ、澪織ミオリにもわかりそうな曲を……コホン。


 サンタクロースはどこのひとー♪ やーまのむこーの、やまからくるよー♪」


「あはははっ! それものすごく古い曲だよね? 海果音ミカネ、よく知ってるね」


「おじーいちゃんかもしれないなー♪ ……ゆーめいな曲だよね?」


「うん、すっごくかわいいよ!」


「もう、そうやってまたからかう」


「からかってなんかいないよ? ありのままの海果音ミカネが見れて、私、嬉しいんだ……」


「ありのまま、そっか、ありのままの私か…… れりごー♪ れりごー♪ きゃんほいべぁっえにーもぉ♪ れりごー♪ れりぃごぉー♪ ……」


 歌いながら歩く私を、天使のような微笑みで見守る澪織ミオリ。私の歌声は、降り始めた白い結晶たちの中に溶けてゆく。


「雪……」


「雪だね……」


 私たちふたりは空を見上げていた。そして澪織ミオリは、白い息に熱のこもった声を乗せる。


海果音ミカネ、歌、上手だね」


「そ、そうかな?」


「うん、私なんかじゃ絶対に敵わないよ」


「未来の大声優さまがそんなこと言っていいの?」


「あはははっ、大声優か、いいね。海果音ミカネもそういう歌が好きなら、アニメの歌い手さんになってほしいかな」


「私が?」


「ふふっ、そうだよ。未来の大歌手さま」


「やって……みようかな」


 その日、私たちは精一杯別れを惜しんでから、「また、三学期に」と言い合って別れた。


 一週間後の元旦、ひとりで初詣に出かけた私は、とある願いをかけて、賽銭箱に五円玉を投げた。

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