第28話 進路

 澪織ミオリと友情を結んだクリスマスから数週間後、冬休みが明けて新学期。私は意外な人物から声をかけられた。


「ねえ、ヒカ……日向ヒナタさん、ちょっと来てくれる?」


 それは、かつて澪織ミオリと一緒にいた女子生徒、リカさんだった。私は廊下の突き当りまでいざなわれる。すでに待ち構えていたもう一人の女子生徒、ヨーコさんが、腕を組んで怪訝そうに尋ねてきた。


日向ヒナタさん、あなた、どうやって学年一位になったの?」


「え? どうやってって、勉強したんですけど……」


「へえ、カンニングしてたわけじゃないんだ」


「そ、そんなことできませんっ! 澪織ミオリに教えてもらって!」


澪織ミオリ? 澪織ミオリちゃんのこと、そうやって呼んでるんだ?」


 リカさんの問いに、私は少し顔を引きつらせて答える。


「はい、仲良くしてもらってます」


「そっか、だから澪織ミオリの成績が下がったんだね」


「なるほどね」


「ああ、それは……」


 心当たりがあった。私が言葉に詰まっていると、ヨーコさんが詰め寄って来る。


「ふーん、やっぱりそうなんだね」


「ええっと……」


「そんな頭良さそうなメガネかけちゃってさ。いい気なもんだよ」


「ああ、これは澪織ミオリが……」


「また澪織ミオリ? ちょっと、そのメガネ見せてくれない?」


「ええ? 見せるんですか?」


「いいからさ」


 リカさんの指が私のメガネのレンズに触れた。その時、ふたりの後ろから人影が迫ってくる。


「何してるんですか? リカさん、ヨーコさん」


澪織ミオリちゃん?」


澪織ミオリ、どうしたの?」


 澪織ミオリの視線は二人を飛び越えて、リカさんの指に焦点を合わせた。


「……! リカさん、その手を放してください!」


「えっ?」


 リカさんがそう言った瞬間、彼女の手首は、澪織ミオリに捻り上げられていた。


「いてててっ!」


 澪織ミオリは無言で私と二人の間に割り込み、庇う様に両腕を広げた。


澪織ミオリ、どうしたんだよ……まさか、ヒカゲちゃんに取りつかれちゃったの?」


「ふざけないでください。二人とも、海果音ミカネから離れてください」


澪織ミオリちゃん、そんなよそよそしくしないでさ……」


「何も聞きたくありません。私の目の前から消えてください」


「な、なんだよぉ、澪織ミオリ、怖いよ?」


「ねえ、澪織ミオリちゃん、ちゃんと話し合おうよ?」


 しかし、澪織ミオリはそれ以上何も口にしなかった。二人はすごすごと教室へと退散してゆく。その姿が見えなくなったところで、澪織ミオリの表情は柔和にほどけた。


海果音ミカネ、大丈夫だった?」


「う、うん、澪織ミオリこそ、どうしたの?」


「あのふたり、海果音ミカネに何かしようとしてたんだよ。ほら、レンズに指紋がついてるよ?」


 澪織ミオリは私のメガネを手に取り、レンズを優しく拭き始めた。


「メガネクロス、持ってるんだ」


「うん、こんなこともあろうかとね」


 澪織ミオリは、私のメガネから汚れがなくなったことを確認すると、それを私の顔に戻した。


「あ、ありがとう。でもさ、私、何もされてないよ? それに、私が澪織ミオリに迷惑をかけたこと、言えなかった」


「迷惑?」


「あの、澪織ミオリが私のノートを見たから、テストがダメだったこと」


「そんなこと、言わなくていいんだよ。それよりさ、海果音ミカネ、何もされてないって、そんなことないよ。あの子たちは、あなたに敵意があった」


「そ、そうなの?」


「うん、だから、私は海果音ミカネを守るよ」


「敵意……やっぱり成績のせいかな。でもそんな、守るなんて大袈裟だよ」


「だって、さっきの海果音ミカネ、怯えてたでしょ?」


「それは突然のことで、びっくりして」


「そう? でも、メガネのレンズを触るなんて、あり得ないじゃない」


「うーん、確かにそうだけど、メガネをかけてない人にとってはそんなものかなって」


「ううん、きっとわざとだよ。もう、海果音ミカネには指一本触れさせない」


「もー、過保護だなあ。過保護な御前様、過保御前かほごぜんだね。あはは……」


「そうだね。過保御前かほごぜん、それでもいいから」


 こうして、私と澪織ミオリ、ふたりだけの学園生活が始まった。三学期の期末テストの総合得点では、澪織ミオリが一位、私が二位になり、相変わらず数学だけは私が澪織ミオリに勝っていた。


 そして、高校二年へと進級した私たちは、始業式の日、通学路で顔を合わせた。


「おはよう、海果音ミカネ


「あ、澪織ミオリ、おはよー!」


 私と澪織ミオリの間に、桜の花びらがはらはらと舞い降りた。


「桜、満開だね」


「うん、ほっぷ♪ すきっぷ♪ あっぷ♪ すぷりんぐぅ♪ って感じだね」


「あはは、よくわからないけど、そうだね」


「えー、この歌も知らないかー。だいじななかま♪ たいせつなきみ♪ であいとはまるで、さ、く、ら♪ って」


「相変わらず歌、上手だね。そうだ、そろそろ私のために歌ってくれる気になった?」


「ああ、それだけどね、私も、澪織ミオリと同じ学校行こうと思って……」


「えっ、ほんと? やったーっ! 海果音ミカネと同じ学校に行けるんだっ!」


「あはは、まあ受験次第だけどね」


海果音ミカネならきっと大丈夫だよっ!」


澪織ミオリは心配なさそうだね」


「あはは、そんな風に見える? もっと謙虚にならないとなぁ」


「そっかー、私、澪織ミオリを謙虚にさせちゃうんだね。


 話は変わるけどさ、私、今すごく怖いんだ」


「え? 何が?」


「いや、二年生になるじゃない? そしたら、澪織ミオリと同じクラスになれないかもって」


「うーん、大丈夫だよ、同じクラスになれるよ」


「そうかな~? もし、違うクラスになったら、教室の壁ブチ抜いて、物理的に澪織ミオリと同じクラスになってやろうかなって」


「あはははははっ! 何それ、やっぱり海果音ミカネって面白いよ!」


「へへんっ! それくらい、私にとっては深刻な問題なんだよ」


「大丈夫、クラスが別になっても、私は海果音ミカネを守り続けるよ」


「もう、そーいうことじゃなくてっ!」


「あはははっ!」


 結局、私たちは同じクラスになった。私たちはテストで高得点を取り続け、ランキング上位の常連となっていた。私の点数はいつも澪織ミオリに負けていたが、それでも私は嬉しかった。澪織ミオリは私をライバルと呼んでくれたからだ。私たちは、三年生になっても離れ離れになることはなかった。


 そして、受験の季節。私たちは約束通り、同じ大学を受験した。その結果は――


海果音ミカネ、ごめん……」


「……」


 合格発表の帰り道、私は無言で澪織ミオリの隣を歩いていた。


海果音ミカネ?」


澪織ミオリ、謝らないでよ」


「でも、私だけ合格しちゃうなんて……」


「おめでとう。それはいいことでしょ? 澪織ミオリは合格するべくして合格したんだよ」


「そんな……」


 澪織ミオリは今にも泣きだしそうな表情で私を見つめる。私は無理をして彼女に優しく笑いかけた。


「ふふっ、何? 私が落ちたのは私の実力不足。それだけのことだよ」


「でも、私が誘ったのに……」


「私があの学校を受験したのも、私の意思。澪織ミオリのせいじゃないよ」


 それを聴いた澪織ミオリは私の前に回り込み、私の両肩を掴んで揺さぶった。


「そんなこと言って欲しいんじゃない!」


 私は、澪織ミオリに愛想笑いのようなヘへらへらした態度を取ることしかできなかった。


「あはは、ごめん。澪織ミオリと同じ学校に行きたかったけど、私にはその資格がなかったみたい」


「資格のあるなしじゃないでしょ!」


「いや、それがさ、私には資格が無いってわかったんだよ。面接の待合室でね」


「どういうこと?」


「座って呼ばれるのを待ってたらさ、周りの人が気になってね。みんな、必死だってわかったんだ。ここで受からなきゃ後がないみたいな、そんな鬼気迫る表情をしてたんだ」


「え……?」


「私は澪織ミオリと一緒に居たいだけという不純な動機で受験したから、周りにいる本気の人を邪魔しちゃいけないんじゃないかと思ったら、声が出なくて」


「他の人なんて、関係ないじゃない! なんでそこで諦めちゃうんだよ!」


「諦めたわけじゃないよ。私は周りの人を押しのけてまで合格なんてしたくないと思った。その時点で、私には合格する資格なんてなかったんだ」


「それとこれとは話が違うでしょ!」


「違わない。私はそんなことで怖気づく、ただの臆病者なんだよ」


「違うよ! それは、海果音ミカネが優しすぎるからだよ!」


「優しい? 私が?」


「うん。海果音ミカネは優しい子だから、他の人のことを考え過ぎちゃうんだ」


「そっか、澪織ミオリは勘違いしているね。私は優しくなんかないよ。『やさしい』は『やさしい』でも、『Easy』の方の『易しい』、つまり甘いんだよ。あは、ははは……」


「また、愛想笑いと言葉遊びに逃げるんだね」


「逃げてるわけじゃない。私は本当にそう思ってる。私が合格して喜んでたら、頑張ったけど合格できなかった人の目にどう映るか、そう考えると怖いんだ。頑張ってる人の敵意が私に向いたらと思うと、怖いんだ。だから、私は自分に甘いだけ。自分かわいさに、他人を刺激しないようにしてるだけ」


「そんなっ! 違うよ! それは海果音ミカネが他人の立場になって考えられる人間だからだよ! それが優しさ以外のなんだっていうんだよ!」


「ありがと。そう言ってくれるのは、澪織ミオリが本当に優しいからだよ。成績が優れている澪織ミオリは、心も優れている。優しすぎるのは澪織ミオリの方だよ」


「私、あの学校には行かないからね。海果音ミカネと同じ大学に行くんだ!」


「それはダメだよ。独り立ちして、声優になるって決めたんでしょ? せっかく合格したのにもったいないよ」


海果音ミカネが居なければ何も意味がないよ」


「それは凝り固まった考え方だよ。別に同じ大学に行かなくたって、澪織ミオリと私の関係がどうにかなるわけないじゃない」


「ほんとに?」


「うん。だから、私のことは気にせず、澪織ミオリは自分の夢を叶えるために頑張ってほしいんだ」


「……」


「返事は?」


「……うん」


 こうして、私と澪織ミオリは、別々の大学に通うことになった。

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