第八章 きみを忘れない

第43話 覚醒と解放

「……なにもーいわーずにー……さよなーらすーるよー……きみとーであーえてー……すごくうれーしかったなー♪


 ……ねえ、マクロボさん、私の友達を傷つけないでよ」


 それは、私の声だった。月葉ゲツヨウグループ本社ビル、地下3階。そこでは大勢の人が、椅子に拘束されていた。私もそのうちのひとりだったのだ。


「み、海果音ミカネ?」


「女神が、目覚めただと?」


 私はゆっくりと目を開いた。不明瞭な視界に、当惑している二人が見える。私は、おぼろげな意識のまま尋ねた。


「私、今、友達って言いました? 私に友達なんて、いないはず」


「……っ!」


 息を漏らしたのは澪織ミオリだった。彼女は、動かなくなったロボットたちを引き剥がし、私に迫ってくる。


「あなたは誰ですか? 目、すごくきれいですね」


 私はピントが合わない眼で、その瞳をじっと見つめた。


海果音ミカネ、私はね、あなたの、その、と、友達だよ」


 なぜか目を逸らし、語尾が下がる澪織ミオリ。私は、刺さったトゲに触れられたような痛みを、心に感じた。


「わかりません。でも、その声は……」


「うん、そうだよ。私は……」


 澪織ミオリが涙ぐんで、息を詰まらせた刹那、私が口にした名前は――


「ドラゴンフルーツちゃん」


 アニメのキャラクターだった。その瞬間、澪織ミオリの涙腺は決壊した。


「こ、声はそうだけどっ! うぐっ、私だよっ! 星宮ホシミヤ 澪織ミオリだよっ!」


「ほしみや、みおりさん? ……ごめんなさい、やっぱり思い出せません」


海果音ミカネ、やっぱり、あなたは誰からも忘れられて、誰もかも忘れてしまうんだね」


 その様子を唖然として眺めていた葉月ハヅキ会長は、恐る恐る口を開く。


「女神、いえ、海果音ミカネさん。まさか、モルフォに接続されて、記憶に障害が」


「あなたが、私をここに連れてきたんですか?」


「やはり、こんなことをしてはいけなかったんだ……」


 私の問いに答えることなく、くずおれる葉月ハヅキ会長。私は、自分がどうしてここにいるのか、記憶を辿ってみた。


「何も思い出せません。私は何もかも、忘れてしまったのでしょうか」


 私の嘆きに、澪織ミオリも唇を噛み締める。その表情を見つめるうちに、私は記憶の欠片を拾い上げた。


「そういえば、私、メガネはどうしたんでしょう? 大切にしていたのに」


 私は椅子に縛り付けられたまま、もぞもぞと動いて、自分の身なりを確認した。私はコートを着ていた。あの冬の日の姿のまま、私はそこに拘束されていたのだ。それを見ていた澪織ミオリは、おもむろに、自分のジャケットの内ポケットに手を入れる。


海果音ミカネ、ごめん。これ、返すよ」


 澪織ミオリは中腰になって、内ポケットから取り出したメガネを、私にかけてくれた。


「これって、私の……」


 次の瞬間、メガネで明瞭になった視界に映ったのは――


「みおりさん……って、澪織ミオリなの? 澪織ミオリなんだよね!? 私、なんで忘れて……」


 私の脳内に、次々と鮮明な記憶が蘇ってくる。


「思い出してくれたならいいんだよ。私、あなたを忘れないために、ずっとそれを持ってたんだ」


 目の前が再び滲んで行く。そう、それは私の涙だった。


澪織ミオリ、ありがとう。お陰で、全部はっきりしたよ」


 私は目を閉じる。一筋の涙が頬を伝う。すると、椅子からガチャリと音がする。私を拘束していたベルトが、一瞬にして解除されたのだ。


海果音ミカネ、それ、あなたがやったの?」


 驚く澪織ミオリの前で、私は立ち上がった。そして、澪織ミオリの肩に、優しく手を置いて微笑む。


 私は澪織ミオリを横目に、膝をついた葉月ハヅキ会長へと向かう。その首の後ろには、椅子に繋がったままのケーブルが伸びていた。


葉月ハヅキ会長、私、ひどいことをしていたんですね」


 私を見上げた葉月ハヅキ会長は、泣きそうな顔をしていた。私は彼の前でしゃがみ、両腕で膝を抱えて、淡々と語り掛けた。


「私、夢の中で空を飛んでました。突風をこらえて、障害物を避けて、私を待ってる人に会いに行くんです。でも、私、風を起こすこともできたんです。誰かにそうしろって言われて、大きな風を起こしました。風が吹いた場所に行くと、私は羨望の眼差しで迎えられました。それが、とっても嬉しかったんです。でも、その意味がやっとわかりました」


「あの台風を起こしたのは、女神、やはりあなたが」


「そんなんじゃありません。私はただのちっぽけな人間です。でも、私がしたことは、人々の生活を破壊したんですよね」


「すまない。あなたにそんな思いをさせるつもりはなかった」


「謝ってもらっても、私がしたことは帳消しにできません。私はこの罪を、どうやって償えばいいのでしょうか?」


「ち、違う、あれは私がやったことなんだ! 私があなたや他の人たちを利用して、勝手にやったことなんだ」


「マクロボさんたちを操って、澪織ミオリを傷つけようとしたように?」


 私はしゃがんだまま横を向き、動かなくなったマクロボに、憐みの視線を投げた。


「私がすべて間違っていた」


 再び俯き、後悔の涙を流す葉月ハヅキ会長。私はポツリと呟いた。


「後戻りなんて、できなかったんですよね」


「いえ、もう、こんなことは終わりにします。それであなたは、すべてを忘れてください」


 葉月ハヅキ会長はスマホを操作する。すると、私の首の後ろのロックが解除され、ケーブルが抜け落ちた。拘束されていた他の人々にも、同じことが起きる。椅子のベルトもすべて解除された。次に響いたのは、気の抜けるような声だった。


「ふあ~、良く寝た」


「んあ? ここはどこだ? 私は何を……」


「あれ、荷物が無い。落としちゃったかな?」


 人工知能モルフォに接続されていた人々は皆、意識を取り戻した。


葉月ハヅキ会長、急に解除して、大丈夫なんですか?」


「ええ、安全に解除しました。だから後遺症の心配もないでしょう」


「無事は何よりなのですが、彼らの中には、配送を手伝っていた人もいたでしょう」


「そちらは自動運転に切り替えました。不測の事態がなければ、無事に荷物は送り届けられるでしょう」


「それはよかったです。さてと」


 私は立ち上がり、ぐるりと辺りを見渡した。


「みなさん、おはようございます」


 薄明かりの中に浮かぶ人々の顔は、やけにすっきりとしている。彼らは私に、「おはようございます」と、朗らかな挨拶を返した。


「どうですか? 具合の悪い方はいませんか?」


 私の問いかけに、人々は顔を見合わせる。そして、ひとりが口を開いた。


「いえ、不思議なことに、身体がすごく軽いんですよ。僕、いつもは疲れてたんですね。はははっ」


 明るい声だった。他の人たちも、笑顔でうんうんと頷く。そんな彼らとは対照的に、葉月ハヅキ会長は悲痛な面持ちで口を開いた。


「皆さま、大変申し訳ないことをしました。私はあなたたちの無意識を利用して……」


 深く頭を下げる葉月ハヅキ会長。しかし、その謝罪は彼らに聴こえていなかった。


「あ、Matchargeマッチャージ葉月ハヅキ社長だ! テレビに出てましたよね?」


IaMovieアイアムービーのチャンネル、いつも観てますよ!」


 はつらつとした人々の声に、葉月ハヅキ会長は当惑する。


「いえ、私はみなさんに、謝らないといけないことが……」


 私は、彼の言葉を遮るように、耳打ちをした。


葉月ハヅキ会長、どうやらみなさん、あなたを責めるつもりはないみたいですよ」


「しかし、私が何をしたかを説明すれば……」


 他の人たちは、コソコソと話す私と葉月ハヅキ会長を、キョトンとした顔で眺めていた。


「そんな必要、あるんですかね? ねえ、澪織ミオリ


 私は彼女に向かって、急に振り向いた。


「は、はいっ!」


 しばらく蚊帳の外にいた澪織ミオリは、咄嗟に変な声を出していた。


「みなさんを、案内してあげてよ。とりあえず、ここから出た方がいいんじゃないかな?」


「わ、わかったよ」


「いいですか? 葉月ハヅキ会長」


「はい、問題ありません」


「じゃあ……」


 澪織ミオリはスマホを操作して、星神輿ホシノミコシグループの警備会社に連絡をつける。救援を要請したのだ。彼女が電話をしている間、目を覚ました人々は、互いに親友であるかのように振る舞っていた。自分の身の上を話したり、談笑したり。それは、とても和やかなひとときだった。

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