第42話 女神

「これより先は、トップシークレットになりますゆえ、くれぐれも口外なさりませんように」


「約束しましょう」


 澪織ミオリは、葉月ハヅキ会長と共に、月葉ゲツヨウ本社ビルの、地下3階に向かっていた。


「しかし、あの素晴らしい部品を製造していたのが、星神輿ホシノミコシさんだったとは」


「ええ、それはもう」


 エレベーターが停止する。葉月ハヅキ会長がいざなったのは、先を見通すことができない、真っ暗な部屋だった。


「では、こちらをご覧ください」


 葉月ハヅキ会長が、壁のパネルを操作すると、部屋全体に間接照明が灯った。すると、壁の至る所に操作パネルが備え付けられているのがわかる。部屋の広さは体育館くらいだろうか。その中に浮かび上がったのは、映画館のように並んだ無数の椅子と、中心にある、直径2メートルほどの円柱だった。


「この部屋はなんですか?」


 椅子に近付いた澪織ミオリは、弾かれたように後ずさる。


「ひっ! 人……ですか?」


 見渡す限りの椅子に、ベルトで固定された人が眠っていた。その数、百は下らない。


「ここは、我々が開発した人工知能、『モルフォ』の制御ルームです。あなたが仰ったとおり、Qスコアが著しく低い方々は、こちらにお招きしています」


「な、なんですって!?」


「モルフォとは、ブラジルの蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こす。そんな効果を期待して名付けました」


「そんなことは聴いてません! この人たちに、一体何をしたんですか!?」


 葉月ハヅキ会長を睨みつける澪織ミオリ、その瞳の奥に怒りの火を察知すると、葉月ハヅキ会長の硬かった表情は、優しくほどけてゆく。


「やはりあれは、私を怒らせるための嘘だったのですね。なあに、彼らは夢を見ているだけです。幸せな夢を…… その代わり、我々の手伝いをしてくれています」


「手伝いですって? そんなことのために、彼らの自由を奪っているのですか?」


 怒りをあらわにして詰め寄る澪織ミオリ。しかし、葉月ハヅキ会長は動じなかった。


「はい。我々は、配達ドローンの進路計算に、人工知能を使うことにしました。決められたルートだけでなく、周囲の状況によって、瞬時に判断が下せる知能を持たせたかったのです。しかし、周囲の状況とひとことで言っても、機械にとっては無限に近いデータを相手にすることになる。処理しきれるものではありません。それを解決してくれたのが、人間の無意識の領域なのです」


「無意識、だから彼らを眠らせて……」


「そうです。人は眠っていても、外部からの刺激に無意識が反応します。データを刺激に変換して彼らに与え、脳波を測定して人工知能にフィードバックする。それによって、人工知能は危険因子を容易に特定できるようになったのです。人の無意識の演算速度は、この世界のどのスーパーコンピューターよりも速い。彼らには感謝の念に堪えません。彼らの協力の賜物で、モルフォは完成したのですから」


 澪織ミオリの顔をまっすぐに見つめる葉月ハヅキ会長。しかし、澪織ミオリは声を荒げて会長を否定する。


「こんなことが、許されると思っているのですか?」


「彼らは社会生活の中で苦しんでいた。しかし、こうして安らかに眠り、人々の役に立てるなら、その方が幸せでしょう。それに刺激と言っても、アクションゲームをプレイする程度のものですよ。程よいストレスは人の身体を活性化させる。彼らにとっても悪い話ではありません」


「彼らがそれを聴いて、納得するとでもお思いですか?」


「モルフォには、彼らの反応を学習させています。モルフォが単独で人間の無意識を模倣できるようになれば、彼らには、一生困らないだけの報酬を提供して解放致します。ご希望とあれば、分析した脳波データから、その人に最適な生活プランを提供することもできます」


「人に与えられた幸せを甘受しろというのですか? 人は常に自由であらねばならない。自分で幸せを掴み取る権利を、侵害されてはならないのです!」


「確かにごもっともですが。自分で幸せを掴み取ろうとすることが、苦になる人間もいるのです。私の計画はすべて、苦しみの無い世界を造るため。そのためなら、多少強引な手段をとるのも致し方ないかと」


「人々をカフェイン中毒に陥れるのも、苦しみの無い世界を造るためだというのですか!?」


 見栄を切る深織に、葉月ハヅキ会長は観念して、目を閉じ俯いた。


「……私を責めたければ好きにするといい。だが、そんなことで私は止まる訳にはいかないのです」


 地の底から響くような低い声に、澪織ミオリは歯を食いしばった。その時、暗闇と沈黙が支配する部屋に、かすかな声が響き渡る。


「……なぜーそーんなーにー……かなーしいほーどー……こころにーきずー……おーってるーのー♪」


 葉月ハヅキ会長は、その声に肩の力を緩め、ほっと溜息をついた。


「ひとりだけ、無意識のうちに歌を歌う方がいましてな。私は彼女のことを、女神と呼んでいます」


 歌声に緊張の糸を解かれた澪織ミオリは、しばらくポカンとしたあと、葉月ハヅキ会長に問い返す。


「女神?」


「はい。彼女が歌っている間は、モルフォの演算も活発になるのです」


 澪織ミオリはにべもせずに、歌声に引き寄せられてゆく。


「そーろそろくるーんーだねー……さーいごのしゅうーまーつがー♪」


 立ち止まった澪織ミオリ。正面には、黒くて長い髪に顔を覆われた、小柄な女性が椅子に拘束されていた。


「どうですか? 心が温まる、安らかな歌声でしょう。こんな時、私は彼女にお願いするのです。私たちにひどいことをする国をやっつけてください、と。するとモルフォは、我が社が販売した世界中の空調装置を操って、嵐を起こしてくれるのです」


 葉月ハヅキ会長の言葉は澪織ミオリの耳に届いていなかった。澪織ミオリはただ、歌声に耳を傾け、髪の隙間でさえずり続ける唇を見つめていた。


「……海果音ミカネ


 そう、そこにいたのは眠ったままの私、日向ヒナタ 海果音ミカネだった。澪織ミオリは私の名前を口にすると、急に取り乱しだした。


海果音ミカネ! 海果音ミカネっ!!」


 澪織ミオリは私を拘束から解き放とうとする。前髪をかき分け、名前を呼び、肩を揺さぶる澪織ミオリの表情は、何かに憑りつかれたように歪んでいた。


海果音ミカネぇーっ!」


「や、やめてくださいっ!」


 葉月ハヅキ会長は、その太い腕で澪織ミオリを取り押さえる。


「そんなことをしたら、接続が切断されてしまいます。手続きを踏んで解除しなければ、その人の意識がどうなってしまうか、わかっていないのですよ?」


 澪織ミオリに引き寄せられて俯いた私。首の後ろには、椅子の背もたれに繋がったケーブルが伸びていた。


「……もしーもーぼくーがー……そらーにーかえーるー……ときがきーたらー……どーするーのー♪」


「許さない! 海果音ミカネを私に返しなさい!」


 澪織ミオリは、そのしなやかな細腕から想像できない力を発揮して、葉月ハヅキ会長を振りほどいた。


「お、落ち着いてください!」


「ああああああああっ!」


 我を忘れて雄叫びを上げる澪織ミオリ。瞳からは、輝きが消え失せている。葉月ハヅキ会長は、獣や怪物に睨まれたように、恐れおののいた。


「くっ、話し合いどころではないようですね。仕方がありません」


 葉月ハヅキ会長は、逃げおおせながらもスマホを操作する。すると、周囲の壁が開き、直径1メートルはある、円盤のような物体が現れた。6本の脚を展開して歩き始めた円盤は、昆虫型のロボットと呼ぶに相応しい。


「あなたとはわかりあえると思ったのですが」


 数体のロボットは、器用に椅子の間を縫って澪織ミオリに接近する。3体が彼女を取り囲み、腕や足を前肢のマニピュレータ、鋼鉄の爪で握りしめる。澪織ミオリは我が身に危険を感じ取り、瞳の輝きを取り戻した。


「……私を、どうしようと言うのですか?」


「何、少し記憶にトラウマを与えて、ここで見たことを全て忘れてもらうだけですよ。何かあれば最初からそうするつもりでした」


「忘れさせるですって!?」


「はい、さあ、マクロボたちよ。その方をお連れするのです」


 しかし、ロボットは急停止する。その様子に澪織ミオリ葉月ハヅキ会長も、固まって動くことができない。その時――


「……なにもーいわーずにー……さよなーらすーるよー……きみとーであーえてー……すごくうれーしかったなー♪


 ……ねえ、マクロボさん、私の友達を傷つけないでよ」

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