第16話 私の真意

「あの『あなたが居なくても大丈夫』という素材を作ったのは、あなたですね?」


 突然私の部屋に現れた澪織ミオリ。その言葉は冷たくて鋭い。


「な、何を言ってるんですか? そんなこと……」


 その時私は澪織ミオリから目を逸らしていた。しかし、彼女は無理矢理私と目を合わせて続ける。


「このメールアドレス、あなたのですよね?」


 スマホを私の目の前にかざす澪織ミオリ。それはまさしく、私がプライベートで使用しているメールアドレスだった。動かぬ証拠を叩きつけられた私は震え上がる。だが、ひとつの疑問が湧いてくる。


「あの、なんでそれが私のメールアドレスだと?」


「あなたは私にホームページの素材をメールでくださいましたよね? その時のアドレスがこれだったのです!」


 メールソフトは一度受信したメールアドレスを、名前と共に連絡先に保存する。そして、メールソフトにメールアドレスを入力すると、自動的に入力は補完される。


「このメールアドレスを入れたらあなたの名前が表示された。それでわかったのです」


「えっ、そんなはずは……ああっ!」


 私は気付いた。私が自宅でメールを送信するときは、会社のアドレスと、プライベートのアドレスを切り替えながら使っている。澪織ミオリにメールを送った時は非常に疲れていた。そのためだろうか、私は送信元メールアドレスの選択を誤ってしまったのだ。


「なぜあのような素材を作ったのですか?」


 澪織ミオリは私に詰め寄った。こんな状況になるのは3度目だろうか。何度味わってもそれは、私の背筋を凍らせる。


「つい出来心で……いえ、そうです、テレビ、テレビのせいですよ! あとポスター!」


 澪織ミオリは私の言葉が理解できず、少し困惑の表情を浮かべる。私は彼女が口を開く前に言葉を続けた。


「あの、違うんです! いや、違わないけどっ、あーもうっ」


「何か、事情があるのですか?」


「いえっ、事情ってほどではないんですが」


「あるんですね。わかりました、聴かせてください」


 澪織ミオリは表情を和らげた。私は彼女を家に招き入れる。


「あの素材を作った頃、私はテレビを手に入れたばかりで、コマーシャルに面食らってしまったのです」


「それはどのような?」


「24時間働くためとか、風邪でも休まないようにとか、薬のコマーシャルです。なぜ無理して働くことがいいことみたいに言われてるのかと」


「そうですか、私も見たことがあります。無理して働くことを美化している。確かにそう捉えることもできますね」


「あと、この会社のポスターです」


 私は、スマホで社員教育ポスター販売業者のサイトを表示し、澪織ミオリに渡した。彼女はそのページをスワイプしながら、表情を険しく変化させていった。


「なるほど、働けることに感謝しなければならないと。確かに極端ですが、あなたが作った『あなたが居なくても大丈夫』というのも、極端な話ですよ」


「はい。私も今ではそう思います。憎しみのようなものですかね。やり過ぎてしまったようです。コンビニもろくにやっていない。これが私の言葉によってもたらされた末路なのでしょうか?」


 ピンポーン♪


 その時、部屋の呼び鈴が鳴った。澪織ミオリは扉に顔を向け、目だけを私に向け直してから無言で頷く。


「あ、すみません。はーい!」


 私は玄関へと急いで、扉を開いた。


「こんばんは、抹茶味マッチャアジです。商品のお届けに参りました」


「ありがとうございます」


「ここにハンコを」


「はい」


「ありがとうございました。またご利用ください。それでは失礼します」


 私が抹茶味マッチャアジで注文した商品が届いたのだ。抹茶味マッチャアジでは、宅配業者に委託することなく、配達員を好条件で社員採用していた。


「あ、このお茶菓子美味しいんですよ。召し上がって下さい」


 荷物の中から、お菓子を取り出して、ちゃぶ台に広げる私。


「ありがとうございます。しかし、あの通販サイトは今ものすごい勢いで成長してますね」


「お店に行ってもやってないことがありますからね。注文すれば予定通り届くんですから、みんな利用しますよ」


「結構おいしいですねこれ。もぐもぐ……」


「あ、お茶もどうぞ」


 澪織ミオリにコップを出し、ペットボトルからお茶を注ぐ私。そのお茶も勿論、抹茶味マッチャアジで購入したものである。


「ごくごくっ……すみません。話を戻しましょう。ともかく、あなたが作った標語の影響で、国の政府までもが動き、多くの労働力が失われた。これは由々しき事態です」


「そんな大袈裟な、とも言えないですね。本当にどうしてこんなことになったのか」


「なってしまったものは仕方がありません。それにあなただけを責めるつもりもありません。この社会の風向きが変わってきたということなのでしょうか」


「わかりません。ただ、無理して仕事することが正しいという風潮は、やっぱり苦しいです」


「わからなくもありませんが、何か理由があるのですか?」


 私は一瞬黙り込んでから、俯き目を伏せて、静かに口を開いた。


「私、いつも思ってたんです。みんな頑張らなきゃいけない、そう言われれば言われるほど、みんな追い詰められていくんじゃないかって。頑張って、頑張るだけじゃ足りなくて、他人を敵視して、利用して、ハッタリや嘘も使って競争して、いつでも自分と他人を比べて、優劣をつけて、勝った人は立場を必死に守って、負けた人は追い打ちをかけられて、みんなつらくなって、引き返せなくなる。だから、もうやめてって、もう頑張らないでって言いたくて……でも、その考え方が間違っていたのかもしれません」


 その時、澪織ミオリが少し微笑んだような気がした。


「そうですか。でもそれは間違ってなんかいません。そう考えるのは、あなたがとても優しい人だからです」


「違いますよ」


 私は顔を上げ、澪織ミオリの目を真っ直ぐ見つめていた。


「え?」


 目を丸くする澪織ミオリに、少し深呼吸してから、私は強く言い放った。


「私は優しくなんかないです。『やさしい』は『やさしい』でも、『Easy』の方の『易しい』、つまり甘いんですよ。だって、頑張ってる人の敵意が私に向いたら怖いじゃないですか。私は敵意や反感を買いたくない、自分が傷つきたくないだけなんです。そのために他人に頑張ってほしくない。自分も頑張りたくない。頑張ったら誰かの敵になるから。そんなことで苦しみたくないんです。だから、私はただ自分が可愛いだけの、自分にとても甘い人間なんですよ」


 最後の一言は声が震えていた。私の目には、今にも溢れ出しそうな涙が浮かぶ。澪織ミオリは私を慈しむような目で見つめて口を開いた。


「変わっていないんですね」


 彼女の表情は、ただひたすら私に優しかった。


「変わってない? えっと、結構変わりましたよ! ご飯もちゃんと食べるようになりましたし、休暇だって取ってます! もちろんSNSもやってません! あなたにもらったタダノートだって、たまに使ってるんですからっ!」


 私は手で涙を拭いながら、何故か誇らしげにまくし立てていた。


「やっぱり、覚えていないんですね」


「……?」


 私には彼女が何を言わんとしてるのか理解できなかった。彼女は少し悲し気な目をして立ち上がる。


「では、私はこれで失礼します。ホームページの件、引き続きよろしくお願いしますね」


「は、はい、わかりました。……ですが、あの素材はどうすれば?」


「あなたの想いが聴けてよかったです。あれはそのままにしておきましょう。それに今は、星神輿ホシノミコシノ会が人を必要としていますから」


 彼女は悲し気な笑みを浮かべ、私に背を向けようとする。しかし、私は彼女を繋ぎとめようと、精一杯声を上げた。


「あの!」


「なんでしょう?」


 しばしの沈黙。私の脳裏には、形にできない想いが現れては消えて行く。


「いえ、なんでも……」


「そうですか、ではまた」


 そうして、澪織ミオリは去って行った。その後、星神輿ホシノミコシグループは企業買収を繰り返し、星神輿ホシノミコシノ会は会員を増やしていった。そう、彼女の目論見通りに事は運んだのだ。しかし、そんな星神輿ホシノミコシノ会に危機が訪れようとしていることを、彼女は知る由もなかった。

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