第四章 悲観する機械

第17話 遺言

 私が作った「あなたが居なくても大丈夫」という標語は、労働者たちの意欲を奪い、深刻な人材難を招いた。それを良しとしなかった澪織ミオリは、「あなたが必要です」の標語のもと、私の会社に依頼して、星神輿ホシノミコシノ会のホームページを立ち上げた。結果、澪織ミオリの想いは労働者たちを救い、数々の企業を救った。


 そんな社会的な変化の中、5月初頭、私に小さな異変が訪れる。


(あれ? なんだこのメール)


 業務中、私にアプリインストールの依頼メールが届いた。


坂上サカガミさん、総務から『ストレッサートレーサー』とかいうのを、作業用のパソコンに設定しろってきてますけど、必須なんですか?」


「ああ、必須だ。うちでも社員のストレスマネジメントを始めるらしくてな」


 アプリの説明書によるとそれは、パソコン利用者のストレス状態をモニターするもので、パソコンに常駐して、タイピングの調子や、打っている文章のニュアンスから、AIが利用者にかかってるストレスを算出するものなのだとか。


「へえ~、なんでこんなものを?」


「今、いろんな会社で流行ってるからだ。ってのが本当のところなんだろうけど、社長は『社員の精神衛生のため』なんて言ってたな」


 これも、私の言葉と澪織ミオリの言葉が化学反応を起こした結果であろう。


「そうですか。じゃあ、これでストレスが閾値しきいちを超えたりしたら、なんかあるんですか?」


「さあな。やってる感を出してるだけかもしれん」


「な、なるほど……」


 その頃、株式会社システイマーにはあまり仕事がなく、私はサクっとストレッサートレーサーの設定を終えた。


 ――その日の夜。


「ふー、ただいまー」


(って、独り暮らしなのに言ってもね。さーて、今日は面白いことを思い付いだぞっ。タダノートに書いておこーっと)


 私はパソコンデスクの上のノートを手に取った。思い付いたことはなんでも書く。それが私の習慣になっていた。


 かりかりかりかり……


(このノートももう、最後のページか。しかし、分厚いノートだな。結構書いてるつもりなのに1年も持つとはね)


 かりかりかりかり……


(ありがとう、星宮ホシミヤさん。ありがとう、タダノート。まあ、これからはわざわざノートに書かなくてもいいよね。パソコンのメモ帳でもいいでしょ)


 その日、澪織ミオリからもらったタダノートは役目を終えた。


 それから更に1ヶ月ほどが経過し、6月、澪織ミオリに悪いニュースが舞い込んだ。


「おじいさまが、入院!?」


「はい、神主は以前から不調を訴えていましたが、肺炎で……このところ、気温の変化が激しかったからですかね」


 そう語るのは、星神輿ホシノミコシノ会の幹部、神主の側近、島本だった。神主とは澪織ミオリの祖父、星宮ホシミヤ 恒彦ツネヒコのことである。


 澪織ミオリの実家は、古くから続く星宮ホシミヤ神社の神主の家系だ。星神輿ホシノミコシノ会は、星宮ホシミヤ神社の神輿を担ぐために集まった人々の組織が発展したものだった。星神輿ホシノミコシノ会はいつからか、神主に最高権力者の地位を与え、その教義や、意思決定に従って活動していた。


「そうでしたか。私が声優の仕事にかまけていたばかりに……」


「いえ、澪織ミオリ様は何も悪くありません。それを言えば我々だって、神主の変化に気付けず……」


 澪織ミオリはかぶりを振った。


「やめましょう。誰が悪いとかそういうことではありません。それで、皆はこのことを?」


「いえ、まだ、星宮ホシミヤ家に近しい人間にしか話していません」


「そうですか。では、父と母には?」


「お話ししております。コノエさまは、もしもの時のために対策を練っているようです。メルリアさまはひどく気を落とされています」


「もしもの時? それほど祖父の容体は悪いのですか?」


「神主は現在意識を無くしており、そのままという可能性も」


 その時、島本の電話が鳴る。


「失礼、電話が」


「どうぞ」


「もしもし、私だ。……そうか、では澪織ミオリ様にお伝えする。……ああ、くれぐれもな」


「どうなさいました?」


「神主の意識が回復したようです」


「そうですか、それで、容体は?」


「面会は可能だそうですが、予断を許さない状況とのことで」


「わかりました。すぐにでも面会に向かいます」


「承知しました。神主は大地ダイチ総合病院に入院なさっておりますので、よろしければ私がお送り致します」


「はい。では、お言葉に甘えて。参りましょう」


 澪織ミオリは島本が運転する車に乗って大地ダイチ総合病院へ向かった。


 ――30分後、澪織ミオリ星宮ホシミヤ 恒彦ツネヒコの札がかかった病室の扉を開き、ベッドに駆け寄った。


「おじいさま!」


「おお、澪織ミオリか。よく来たな」


「はい、倒れられたと聴いて、居ても立っても居られず」


「まあ、そう慌てるな。とりあえず座りなさい」


 澪織ミオリは丸い椅子に腰を掛けて再び口を開いた。


「おじいさま、それで、お体の調子はいかがでしょうか?」


「ああ、ちょっと苦しいな」


「そうですか。私が代わって差し上げられたら」


「ははは、澪織ミオリにこんな想いをさせるものか」


「だって、おじいさまに代わる人間なんていないのですよ?」


澪織ミオリよ、そんなことを言うでない。大体、私の他にも苦しんでいる人はたくさんいる。この世界には人が抗えぬ理不尽が無数に存在するのだ。そういった現実に少しでも希望を見い出すために、私は神に仕えてきたのだよ」


「はい、わかっています」


「しかし、人の力ではどうにもできない、慰めることすらできない苦しみも存在する。それに加担しているのもまた人だ。己の欲望を満たすことだけを考える者、富の独占を企てる者、怠惰に生きる者、他人を踏みにじって平気な顔をしている者がいる。人々が互いを傷つけずに幸福を手に入れるには、欲望に打ち勝つ精神と、互いの協力が不可欠だ。しかし、それを全ての人に求めるのは不可能なのかもしれん」


「な、何を仰っているのですか?」


 当惑した表情の澪織ミオリに、星宮ホシミヤ 恒彦ツネヒコは優しく諭す。


「遺言だよ」


「そんな。やめてくださいまし! おじいさまの身体はすぐによくなります!」


澪織ミオリ、気休めはよしてくれ。自分の身体のことくらい知っているさ。澪織ミオリもわかってはいるだろうが、私ももう長くはない。来るべき時が来たということだ」


「そんな……」


「悲しい顔をしないでくれ。いいか、これは皆平等に訪れることだ」


「平等……ですか」


「そう、平等だ。言うまでもなくな。取り乱すようなことではない。私は生涯を賭けて人類の幸福のために尽くしてきたつもりだ。しかし、全ての人が平等に幸福になるには、課題が多すぎてな。私は叶わぬ夢を見ていたのかもしれんよ」


「いいえ、おじいさまが叶えられなくても、私が……」


澪織ミオリもよく考えてみてくれ。お前の命は、お前が一番大事にしてることのために使って欲しい。私もそうしてきたつもりだ。


 私が他人の幸福を願うのは、神主の立場以上に、他人の不幸を見ていられない、精神的な弱さからくるものなのだよ。それを誤魔化して、厳しい現実から目を逸らすために慈善事業に手を出したんだ。皆には私の独善的な思想、ワガママに付き合わせてきたということだ。


 理想を押し付けられて苦しんだ者もいるだろう。すまないことをしたと思っている。だから、私の死を契機に、星神輿ホシノミコシノ会の皆それぞれが、自分のために考えてほしい」


「おじいさまは恥じることの無い、立派なことをしてきました。私だって、おじいさまの意志を受け継いでいます」


「そうか、そう言ってくれるか。ならばもう、私に思い残すことはない。ゴホッ! ゴホッ! ……話し過ぎたようだな。少し疲れた。すまないが、眠らせてくれないか?」


「はい、おじいさま……」


 星宮ホシミヤ 恒彦ツネヒコが最期に見たのは、澪織ミオリが流した美しい涙だった。

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