第51話 闇の中で目覚めるもの

「なんかさ、私、もうずっとこのままでいいかなって思うんだ」


 私と澪織ミオリは、閉ざされた闇の中にいた。


「は?」


 私は苛立ちを匂わせた口調で返す。しかし、澪織ミオリはそれを気にも留めずに続ける。


「このまま海果音ミカネとずっとふたりきり。他の誰にも邪魔されない。私はそれがいいんだ」


「何言ってんの?」


 イラついている私に、くすくすと笑う澪織ミオリ。きっと彼女は、極限状態において、精神的な限界を超えてしまったんだ。


澪織ミオリ、カロリーをとらないと、正常な思考ができないんだよ」


 私はそう言いながら、澪織ミオリからのど飴の袋を取り上げ、中から飴玉を取り出した。澪織ミオリがしてくれたように、彼女の口の中にそれをねじ込む。


「甘いね」


 暗闇の中でも、彼女がニコニコと微笑んでいるのがわかる。まったくこっちは気が気じゃないというのに、やっぱり少しでも動いて、出る方法を探した方がいいんじゃないか、そう考え始めた時――


「でも私、もっと甘いのを知ってるよ? 教えてあげようか?」


 澪織ミオリはいたずらっぽく言うと、私の返事を待たずに行動を起こした。


「ふぐっ……ううっ!」


 私は息が出来なくなっていた。その代わり、私の身体には、かつてない感覚が走っていた。


「う……ぷわっ」


「はぁ……はぁ……はぁ……どう、甘いでしょ?」


 気付いた時、私の口の中にはふたつの飴玉が収まっていた。私が息を吸い込むと、彼女は私の唇のかすかな隙間に、再び狙いを定めてきた。


「ん……ちゅっ……んんっ」


 私の口の中で転がるふたつの飴玉、そして、私の舌を執拗に撫でまわす――そう、それは澪織ミオリの舌だった。彼女は私の唇を奪い、そして、舌を使って、私の奥へ奥へと入り込もうとしていた。


「ん……んん~~っ!」


 いつの間にか私は澪織ミオリに押し倒されていた。彼女は私の舌にめいっぱい吸い付いたあと、息継ぎをするように、私の唇から離れる。


「ねえ、海果音ミカネ、あったかくなった?」


 その時、私に降り注いでいた液体が、彼女の汗なのか唾液なのか、それとも涙なのか、それは定かではなかった。寒くも暑くも感じない。ただ、体中に快感が充満しているだけだった。


「はぁ……はぁ……」


 息が上がっている。鼓動が速い。それは、宙に浮いたような感覚だった。見えないはずの澪織ミオリの表情が、ひどく恍惚に映る。再び彼女は私を責め始めた。


「なっ……きゃっ!」


 やわらかくてしねっとりとしたものが、私の首を這っている。彼女の10本の指が、私の身体から、作業着をはぎ取って行く。


「ねえ、肌と肌で触れあった方が、あったかいんだってさ」


 澪織ミオリの声はところどころ裏返り、その指が私の下着に伸びる。私が着ていたものは、背中の下に敷かれたコート以外、どこかへ行ってしまった。仰向けの私に馬乗りになった澪織ミオリが、自分の衣服に手をかける。


澪織ミオリ、こんなこと、ダメだよ」


 私は口でそう言いつつも、何も抵抗することができなかった。素肌に触れる空気が、澪織ミオリの吐息が、私の身体を包むすべてのものが、私に快感を与え、抵抗する力を奪っていたのだ。彼女の露わになった肌が、私の肌を襲う。


「はぅっ! ……んっ!」


 澪織ミオリが私にのしかかる。そのすべてが柔らかかった。彼女の舌や指が動く度に、私の身体には電流のような衝撃が走る。そして――


海果音ミカネ、私、あなたのこと、もう友達なんて思えないんだ」


 その言葉とともに、何かが体に触れ、入り込んでくる。自分ではどこかわからない。ただ、私の身体の中心から、マグマのような熱が込み上げる。ただそれだけを感じていた。


「……!」


 ドゴッ……ズゥーン……ガラガラガラ……ガシャンッ!


 私はその音で、飛んでいきそうな意識を繋ぎとめた。澪織ミオリも動きを止めている。ほどなくして、私たちの身体は光に照らされていることに気付く。澪織ミオリの白く美しい肌に見惚れていると、私の身体は急に宙に浮いた。


海果音ミカネっ!」


 それは、澪織ミオリの声だった。私は何か巨大な指のようなもので、コートごと掴まれていたのだ。光に慣れてきた目を白黒させていると、私を掴み上げた者の正体がわかる。


「これって、マクロボさん……?」


 ステラソルナの3倍はあろうかというその巨体は、朱色の装甲に包まれていた。私を掴んでいるのはその前肢。その手はとても、優しく私を抱えていた。


「ちょっと、海果音ミカネを返してよっ!」


 澪織ミオリの言葉を無視して、その赤いマクロボは私を掴んだまま、破壊された壁の奥へ、ゆっくりと進んでいく。澪織ミオリがそのマクロボにパンチやキックを見舞うも、当然のように傷ひとつつかない。澪織ミオリは私の作業着を手に取って、裸のまま赤いマクロボを追った。


澪織ミオリ、私、どこへ連れていかれるの?」


海果音ミカネは、絶対に渡さないっ!」


 しかし、その声と打撃音は、コンクリートの壁に虚しくこだまするだけだった。


 ガィンッ!!


「つっ……!」


 膝を痛めて一瞬うずくまる澪織ミオリ。彼女が顔を上げると、赤いマクロボの向こうに、高さ10メートル、幅3メートルほどはある、黒い板のようなものが見える。


「あれが、モルフォ……!」


 澪織ミオリは生まれたての小鹿のような足取りで、なおも赤いマクロボを追う。そして、赤いマクロボは、私をその巨大な板、モルフォの前に優しく降ろしてくれた。


「あなた、私をここにつれてきてくれたの?」


 目のようなふたつのライトが数回点滅する。それはとても優しい光だった。光に照らされたモルフォには、枝のような無数の溝が、放射状に走っている。そして、中心の幹のような大きな溝に、人間がはまっているのがわかった。


葉月ハヅキ会長!」


 その身体は、私の声に反応することもなく、ただ目を閉じて、モルフォに背中を預けていた。両腕は横に伸びた溝に収まっている。その姿は、十字架にはりつけになっているかのようだった。


海果音ミカネ、どうしたの?」


澪織ミオリ葉月ハヅキ会長が……」


「なんですって、大変!」


 澪織ミオリは、溝から葉月ハヅキ会長を引っ張り出す。すると――


「ひっ!」


 ドサッ……!


 彼女は葉月ハヅキ会長から手を放し、後ずさった。うつ伏せに倒れた葉月ハヅキ会長の首には、ケーブルがささっている。それは、モルフォに繋がっていた。


 私は倒れたままの葉月ハヅキ会長に近付いて行く。


葉月ハヅキ会長、自分でモルフォを制御しようとしたのかな?」


 私の問いに答える者はいなかった。澪織ミオリはただ、唖然とその状況を見つめていた。


「きっと、私ならまた、モルフォに接続できるよね。それで、どうしたのか調べてみるよ」


 私はそう言うと、葉月ハヅキ会長に刺さっていたケーブルを引き抜こうとした。


「嫌……! 海果音ミカネ、やっぱりやめようよ! そんなことしてもなんにもならないよ。ねえ、お願い!」


 澪織ミオリの悲痛な声。しかし、私は彼女を見て首を横に振り、葉月ハヅキ会長の首の後ろの装置に手をかけた。


 カチャ……


 あっさりとケーブルは抜けた。私はそれを自分の首の後ろに接続しようと試みる。


「だめーっ!」


 澪織ミオリは私に向かって叫ぶ。私が一瞬手を止めて振り返ると、澪織ミオリは赤いマクロボの手に握られていた。


「離せ! この! 機械なんかに、海果音ミカネは渡さないんだから!」


 しかし、澪織ミオリはその機械に対して無力だった。マクロボたちを破壊した力はどこへ行ったのか、じたばたと手足を動かす彼女は、酷く滑稽に見えた。


澪織ミオリ、ごめんね」


「やめてーっ!」


 カチャリ、その音とともに、私の頭に情報が流れ込んできた。


澪織ミオリ、わかったよ。その子の名前はヴァーミリオーネ。葉月ハヅキ会長が娘さんのために作った、特製のマクロボ。その子は、私をモルフォのもとに迎えるために、近付いてきたんだ」


「どういうこと? って、海果音ミカネ、それ……」


 私の髪は徐々に金色の光を放ち始める。横目で澪織ミオリをみる私の瞳は、赤い光を帯びていた。そして、私は葉月ハヅキ会長がしていたように、モルフォの溝に、背中を預け、両腕を収める。


海果音ミカネ、何をしているの?」


 私は真っ赤に輝いたその瞳で、澪織ミオリの透き通る空のような青い瞳を、まっすぐに見つめた。彼女の表情から、抵抗の意思が消えてゆく。


澪織ミオリ、落ち着いてそのまま聞いて。……さ、喋っていいよ」


 私がそう言うと、モルフォは唸りを上げ始める。その表面の枝のような溝に、私の瞳と同じ、赤い光が滲み出る。そして、私の口から無機質な声が響き始めた。


「ぼくの名前はモルフォ。月葉ゲツヨウが創り出した人工知能だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る