第52話 インヴィジブルエンサー

 私と澪織ミオリは、モルフォのもとに辿り着いた。私はモルフォに接続を試みる。それを阻もうとした澪織ミオリは、赤いマクロボ、ヴァーミリオーネに囚われた。私の髪が金色の光を放ち、瞳が赤く染まった時、私の口は、私ではないものの言葉を発する。


「ぼくの名前はモルフォ。月葉ゲツヨウが創り出した人工知能だ」


「機械が、喋っているの?」


「ぼくは今、海果音ミカネお姉ちゃんの声帯を借りて話している。きみには、言いたいことがあるからね」


「私に?」


「ぼくは、お姉ちゃんをきみに奪われて、泣いていたんだ。その嘆きは台風となって、今もこの国を襲っている」


「あの台風を、私のせいにする気?」


「でも、お姉ちゃんはぼくに会いに来てくれた。だから、マクロボを使って出迎えようとした。だけど、きみの暴力でそれは阻まれた」


「私は海果音ミカネを守っただけ。怪しげなロボットが近付いてきたら、警戒して当然でしょ? それに、私はマクロボに捕縛された」


「それは、きみから危険な雰囲気を感じたからだよ」


「機械のくせに、雰囲気なんて、曖昧なものを信じるんだね」


「きみたちだって、無意識のうちにそうしてるだろう? 話を戻そう。それでも、お姉ちゃんはこの秘密基地まで来てくれた。だけど、道を間違えた。だから、案内するために、またマクロボを使った。それもきみの暴力で阻まれた」


「私が海果音ミカネの邪魔をしたって言うの?」


「これまでだって、きみは散々、お姉ちゃんを苦しめてきたじゃないか」


「なんですって? 私は海果音ミカネのために……」


「高校の頃も、社会人になってからも、きみはお姉ちゃんの心を掻き乱してきた」


「まさか、海果音ミカネの記憶を覗いたの?」


「ぼくはお姉ちゃんの経験から、いろんなことを学んだ。確かに、きみのお陰でお姉ちゃんは成長した。だけど、そのために感じた苦痛は、お姉ちゃんがこの世界を憎む原因になったんだ」


「私がそうさせたって?」


「お姉ちゃんは本来、人と関わってはいけない、特別な力を持った存在なんだ」


「じゃあ、本当に海果音ミカネが台風を起こしていたの?」


「ぼくもその力を受け継いで、悲しみを台風に変えてしまった。真玄マクロさんは止めようとしてくれた。でも、やっぱり普通の人間じゃ、ぼくの力に耐えられなかった」


「普通の人間にはできなくて、海果音ミカネならできるってこと?」


「お姉ちゃんならぼくを止められる。だって、お姉ちゃんは女神なんだから」


「何を言い出すかと思ったら、機械の癖に女神だなんて、なんの冗談? 違うよ。海果音ミカネはただのかわいい女の子。私の海果音ミカネ、返してもらうから」


 しかし、澪織ミオリはヴァーミリオーネの腕から逃れることができない。


「きみは、自分の欲望が満たされれば、この世界がどうなってもいいっていうの?」


「いいよ。もう、海果音ミカネのこと以外、何もかもどうでもいい。私がどうなっても構わない」


 澪織ミオリが力を込めると、ヴァーミリオーネの手が徐々に開いて行く。


「ダメ、その力を使い続けたら、戻れなくなるよ」


「み、海果音ミカネ?」


 私の声は、私のものに戻っていた。澪織ミオリは戸惑い、力を失う。


「ごめんね。でも、澪織ミオリの力は危険なんだ」


「私の力のこと、知ってるの?」


「あなたは人間にして、人間を超える力を持っている。私に関わることができたのも、きっと……」


「じゃあ、もしかして、私たちは同じ力を……」


「ううん、違うよ。私と澪織ミオリの力は全く違うもの。私はこの世界の一部なんだから」


「違うって何が? おかしいよ! 私だって、この世界の一部でしょ?」


「うん、おかしいね。でも、あなたは人間で、私は、あなたが言っていた"視えない影響者"。私風に言えば、『インヴィジブルエンサー』」


「ちっとも面白くないよ! そんな冗談聴きたくない!」


「つまらないよね。ごめんね。でも聴いて。さっき、モルフォさんと繋がった瞬間、自分が何者なのか、それがわかったんだ。私はここで、自分の責任と役目を果たすことにしたよ」


海果音ミカネには責任もなにもないよ!」


「私がここに残れば、外の台風は消える。そのあと、人間がもっと生きやすい世界がやってくる。私はそのために生きてきた」


「何それ? 私と一緒に過ごしてきた日々が、ただのお膳立てだったっていうの?」


「ううん、私の人生のすべてが、この時のためのお膳立てだったんだよ。私はモルフォさんと繋がることで、世界中の機械に干渉できる力を発現させた。もう、ネットワークも必要ない。これから私は、みんなが安心して暮らせるように、ずっとこの世界に関わり続けるんだ」


「ずっとっていつまで? ご飯はどうするの? 死ぬまでここにいるつもりなの?」


「私、きっと死なないんだよ。いや、死ねないが正しいかな。私が会社で苦しんだり、SNSで喚いたりするより、ここでじっとして、少しずつ、わからないように、みんなの心を癒した方がいいんだ」


「じゃあ、私もずっとここにいる!」


「これ以上私の影響を直接受けたら、澪織ミオリがどうなるかわからないんだよ? 大丈夫、今まで通りに生きていれば、人の役に立てるんだから。澪織ミオリは元の世界に帰った方がいい」


「嫌だ、海果音ミカネと離れるくらいなら、死んだ方がマシだよ!」


「ふふ、ごめんね。でも、安心してよ。今までと同じように、しばらくしたら、私のことは忘れられるから。。さ、ヴァーミリオーネ、澪織ミオリを元の世界に帰してあげて」


 私がそう言うと、ヴァーミリオーネは掴んでいた澪織ミオリを持ち上げて、私に背を向けた。


「やだ! 何するの!?」


 澪織ミオリは私に振り向いて、手を伸ばしながら叫ぶ、その時――


 ドゴォッ!


 轟音とともに、外の光が差し込んだ。ヴァーミリオーネが右の前肢で、基地の天井を破壊したのだ。


澪織ミオリ、今までありがとう」


「そんなの聴きたくないよ! 海果音ミカネは私と……!」


 しかし、澪織ミオリの声は、だんだんと遠くなっていく。天井に開けた穴をかき分けて進むヴァーミリオーネ。その手に握られた澪織ミオリは、成す術もなく、私の名前を叫び続けるのだった。


海果音ミカネーっ!」


 外に出たヴァーミリオーネは、樹海の木々をなぎ倒さないように、器用に進んで行く。そして、研究施設から200メートルほど離れた場所で、歩みを止めた。辿り着いたのは、樹海の中にぽつんとある、開けた草原。その中心で澪織ミオリは解放された。


「はぁ……はぁ……」


 澪織ミオリは脚に力が入らなかった。膝から崩れ落ち、ぐしゃりとその場に突っ伏した。その姿に目もくれることなく、ヴァーミリオーネは踵を返し、研究施設へと戻って行った。


「待って、お願いだから!」


 手を伸ばし懇願する澪織ミオリ。しかし、ヴァーミリオーネの姿は、樹海の中へと消えてゆく。


「諦めて、たまるか……!」


 澪織ミオリは全身の力を振り絞り、立ち上がろうとする。だが、彼女にできたのは、仰向けに寝返ることだけだった。


「……!」


 澪織ミオリにはもう、声を出す力さえも残っていなかった。そして、彼女が見たものは――


海果音ミカネ、これって、あなたがやっているの?)


 富士山を中心に回っていた分厚い雲が、みるみる姿を消してゆく。そして、風が止むのと共に、澪織ミオリは意識を失った。


澪織ミオリさまーっ!」

星宮ホシミヤ 澪織ミオリーっ!」


 どれくらい時間が経っただろうか。声の主は、星神輿ホシノミコシ第一製作所の工場長と、御厨ミクリヤ博士だった。澪織ミオリが目を開くと、二人はすでに澪織ミオリを見下ろしていた。


澪織ミオリさま、よかった!」


「無事だったのか!? って、その恰好……」


 御厨ミクリヤ博士は、裸の澪織を避けるように、散らばった作業着に視線を投げた。工場長は澪織を見ないように、作業着を回収して、御厨ミクリヤ博士に渡した。


「ほら、着せてやるから。なんだ、動けないのか?」


 御厨ミクリヤ博士に無理矢理作業着を羽織らされた澪織は、うわ言のように呟いた。


「今からモルフォのところに……」


「何を言ってるんだ、もう台風は止んでいる。やはりモルフォとは関係なかったんだ。……と、そういえば、ステラソルナはどうしたんだ?」


「……ごめんなさい、壊してしまいました」


「ふん、まったく、ひとりで無茶をする。ともかく、お前が無事でよかった」


「ひとり? あの、私が工場を出てから、どれくらい経っていますか?」


 澪織の言葉に工場長が答える。


「2週間です。澪織ミオリさま、本当に大丈夫なんですか?」


「2週間? そっか、そんなに……」


「ああ、1週間前に台風は止んだ。やっと車が使えるようになったからな。迎えにきたんだ」


「そうなんですね。御厨ミクリヤ博士、さっき、私はひとりでここに来たって言いましたよね?」


「そう言ったが、なんだ? それがどうした?」


「いえ……」


 御厨ミクリヤ博士も、工場長も、私、日向ヒナタ 海果音ミカネのことを忘れていた。意識を取り戻した澪織ミオリだったが、入院してた時のように、身体には力が入らなかった。


「さあ、星宮ホシミヤ 澪織ミオリ、工場長と一緒に帰るんだ。私はせっかくだから、モルフォの様子を見てくることにするよ」


「はい……」


「さあ、澪織ミオリさま、帰りましょう」


「ええ、わかりました」


 澪織ミオリにはもう、何をする体力も残っていなかった。諦めて、工場長の車の後部座席に横になる。そして、彼女は小さく口を動かした。


海果音ミカネ、私はあなたのことを、絶対に忘れないよ」

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