第九章 星が輝くとき

第53話 天災禍

澪織ミオリさま、着きましたよ」


 澪織ミオリは目を覚ます。彼女は車の後部座席に横たわっていた。


「う……おはようございます」


 身体を起こす澪織ミオリ。車の外には工場長がいた。


「お体の方は大丈夫ですか?」


「大丈夫です。ご心配おかけしました」


 澪織ミオリは車を降りる。彼女の体力は、立って歩けるほどに回復していた。


「でも、お疲れでしょう。お部屋が取ってあるそうです」


 そこは、星神輿ホシノミコシグランドホテル。台風が始まった日、私が泊まっていたホテルだった。


「ここは、無事だったのですね」


「はい。さすがは星神輿ホシノミコシが誇るホテルです」


 にっこりと笑う工場長から、澪織ミオリは目を逸らす。


「工場長、あなたの大切なジャケット、無くしてしまいました。申し訳ありません」


「いいえ、きっと澪織ミオリさまのお役に立ったのでしょう。構いません。あの台風を止めてくださったのは、やはり、澪織ミオリさまなのでしょう?」


「いえ、私ではありません」


「あそこで、何があったのですか?」


「もう、思い出したくありません。全て忘れてしまいましょう。それと、工場で作っていたロボットのことはご内密に。ロボットの痕跡も、抹消しておいてください」


 数秒の間を置いて、工場長が返事をする。


「わかりました。それでは、私は工場に戻ります。澪織ミオリさまはごゆっくりお休みくださいませ」


「はい。そうさせていただきます」


 澪織ミオリはホテルの部屋に通された。


海果音ミカネ……」


 ドサッ!


 澪織ミオリはベッドに身を投げた。そこは、私が使っていた部屋だった。彼女は私の残り香を求めて、シーツに頬ずりをする。そして、そのまま眠ってしまった。


澪織ミオリ……」


 蚊の鳴くような声に、再び目を覚ます澪織ミオリ。窓の外には朝日が昇っている。


「お母さま、おはようございます」


「あら、ごめんなさい。起こしてしまったわね」


 それは、澪織ミオリの母、メルリアだった。澪織ミオリは身体を起こし、母に笑顔を向けた。


「いえ、大丈夫です。お母さま、来てくださってありがとうございます」


「無事で良かったわ。富士の樹海で倒れていたんですって?」


「はい」


「何があったか知らないけど、あなたがいなくなれば、困る人がたくさんいるのよ」


「申し訳ありません」


「いなくなるといえば、あなたは人を探していたわね? そこにその人がいたの?」


「いえ」


「誰だったかしら? 確か……」


 記憶を辿る澪織ミオリの母。それを遮るように澪織ミオリは口を挟む。


「もう、そのことはいいんです」


「どういうこと?」


「すべて忘れてしまいたいんです。お母さまも、そのまま忘れてくださいまし」


 しばしの沈黙。澪織ミオリは母から目を逸らしていた。


「そう。では、もう追求しないわ。でも、私にできることがあったら、何でも言ってね」


「ありがとうございます。少し、独りにさせてください」


「わかったわ。今はゆっくり休むのよ」


 母が部屋を出ると、澪織ミオリは部屋のテレビをつけた。電波は回復しているようだ。どのチャンネルを回しても、台風被害を報道する緊急番組が放送されていた。


「ひどい……」


 台風は天災禍ディザストームと呼ばれ、しきりにその名を強調されていた。テレビ中継は、街の惨状をこれでもかと映し出す。それは、澪織ミオリにとって責め苦に等しかった。しかし、彼女は目を逸らすことなく呟いた。


「なんとかしなければ」


 次の日、澪織ミオリはホテルの駐車場で、選挙の街頭演説よろしく、ワゴンの上に立っていた。


星神輿ホシノミコシノ会の皆さま、お集まりくださいまして、ありがとうございます」


 澪織ミオリの前には数千の人。彼女の呼びかけが、人から人へと伝わり、星神輿ホシノミコシノ会の会員が集結していた。


「これから皆さまには、この国を復興させる支援活動をしていただきます。これはボランティアです。参加の可否は、みなさまの判断に委ねます。しかし、ここで立ち上がることが、みなさまのためになると、私は信じています。ボランティアに参加された方には最低限、衣食住を保証いたします。そして、この災難を完全に乗り越えた暁には、更なる御礼をお約束いたします。ここに居る方のほとんどは、星神輿ホシノミコシグループの企業で働いてる方だと思いますが、可能な限り、ボランティアを優先して頂ければと、お願いします」


 こうして、星神輿ホシノミコシノ会の総力を結集した、日本復興作戦が開始された。


 一方その頃、月葉ゲツヨウグループ本社ビルには、御厨ミクリヤ 亜生アオイ博士が帰還していた。


「さて、どこから手をつけたものか」


 地下1階の研究室に戻った博士。彼女がパソコンの前で腕組みをしていると、とある人物が訪れた。


御厨ミクリヤ 亜生アオイ! あんた、こんな時にどこをほっつき歩いてたのよ?」


 声の主は、研究室の中にずかずかと上がりこんできた。それは、セミロングの赤いくせっ毛と、鳶色の瞳が美しい女性であった。彼女は黒いブラウスに黄色のネクタイ、黒のタイトスカートに黒のストッキングを身に着け、赤いジャケットを羽織っていた。研究室の玄関には、彼女が脱いだ赤いハイヒールが転がっている。


「おや、これはこれは、お嬢様ではないですか。こんなわたくしめにどういった御用ですか?」


「『くばるーん』が動かないのよ。どういうこと? これじゃあ、救援活動もままならないじゃない」


「それには深い訳がございまして。すぐに直しますので、もう少々お待……」


 ドンッ!


 お嬢様と呼ばれた女性は、御厨ミクリヤ博士に肉薄し、パソコンデスクを掌で叩いていた。


「その口調、やめなさいよ。ごまかさないで、全部話してちょうだい」


「わかったよ。全く、冗談の通じないお嬢様だ。静岡にあった、『くばるーん』の制御システムが壊れてしまったんだ。天災禍ディザストームの影響でな」


「そう。簡単には復旧できないの?」


「ああ。データセンターが崩壊したようでな。昨日まであちらに居たんだが、どうすることもできなかった」


「それはご苦労さま。そうだったのね」


「それと、もうあのシステムと同じものを作ることはできない。……真玄マクロがいない今となってはな」


 その時、お嬢様の目が、真ん丸に見開いた。


「やはり、本当に訊きたかったのはあいつのことか。すまない。きっとやつはもう戻らない」


 その瞬間、お嬢様はプイっと博士に背を向け、腕組みをして少し上を見上げた。赤い髪が博士の頬を撫でる。


「あ、あんな親父おやじのこと、何とも思ってないわよ! ふーん、もう戻ってこないの。こんな変な書置きして、どこへ行ったんだか!」


 お嬢様は赤いジャケットの内ポケットから、四つ折りになった紙を取り出し、御厨ミクリヤ博士に広げて見せた。振り返ったお嬢様の目は、微かに潤んでいた。


「私に何かあった時は、珠彩シュイロが会長だ」


 紙にはそれしか書いてなかった。お嬢様改め珠彩シュイロは、立て続けに口を開いた。


「しょうがないから、私が会長をやってやるわよ。あんたは『くばるーん』を動かせるようにしなさい。私も次の手を考えているわ」


 その声は震えていた。御厨ミクリヤ博士は、自分より背の高いその女性を、自分の子供のように抱きしめた。


「わかった。真玄マクロのことは、本当に申し訳ない」


「や、やめなさいよ! あんたが親父おやじをどっかにやったって言うの?」


「いや、私も天災禍ディザストームが始まってからは会っていない。ただな、静岡のデータセンターの前で、一瞬だけ、やつのスマホの反応があったのだ。しかし、データセンターは潰れていて、私には何もできなかった」


「……うぐっ」


 息を詰まらせた珠彩シュイロは、御厨ミクリヤ博士を振りほどき、ハイヒールを履いて出て行った。

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