第38話 両親

「そう。そして、あなたが生まれたのよ」


「え? いま、なんとっ?」


 素っ頓狂な澪織ミオリの声。その問いに母は、頬を桃色に染め、甘い声で答える。


「……だぁからぁ、私はそこにあった同人誌を見てぇ、そこに描いてあることを彼と実践することでぇ、創作物は悪ではないと証明しようとしたのっ!それで、あなたのような優秀な娘ができたんだから、創作物に悪影響はないと証明できたようなものよねっ!」


 澪織ミオリは、腰をくねらせる母から目を逸らし、俯いて言葉を失った。


「どうしたの、澪織ミオリ? まあ、炎上を食い止めて作家を救ったのは事実なんだから、コノエさんの手腕は確かなものよ。表舞台に立つのは苦手だけど、汚れ役を引き受ける度量を持っているの。自分の親を教祖に仕立て上げたのも、この世の中のためだって、コノエさんなりに考えたんだからね。そのために、私の国の財産を利用するなんて、大胆なこともできるわ。だから、星神輿ホシノミコシコノエさんに任せておきなさい」


 気が遠くなった澪織ミオリは、しばらくして考えるのをやめた。そして、何も聴いていなかったかのように口を開く。


「お母さま、私、本当のことを言います」


「あら、急にどうしたの?」


「私は、あの部屋に住んでいた人を探すために退院したいのです。お父さまのことは、ただの口実です」


 娘のまっすぐな視線を受け、母は得意げに答える。


「ふふ、そんなことだろうと思ったわ。あなたが神主と総裁と声優の活動の合間を縫って、彼氏と半同棲してたなんてね」


 一瞬後ろめたさを覚えて、澪織ミオリは母の言葉を否定する。


「いえ、その人は女の子です」


「あら、じゃあ、大事な友達なのね」


 母のあっけらかんとした口振りに、澪織ミオリは何も答えることができなかった。彼女の母は何かを察して、割り切ったような態度を取る。


「そう、分かった。じゃあ、私がその子を探してあげるわ」


「えっ、どうやって?」


 母の思いがけない提案に、澪織ミオリは目を丸くした。


「ふふ、私の親衛隊『ナイト・メア』は、今でも私の命令を聴くのよ。コノエさんを見つけた彼らに、その女の子を探させるわ」


「で、でも」


「でもじゃありません。今はゆっくりと養生して、私たちに任せておきなさい。私とコノエさんの、大事な愛の結晶のためですもの。なんでもするわ!」


 澪織ミオリが真顔で母を見つめたまま、1分が経過した。


「わかりました。お願いします」


 その観念したかのような声に、メルリアは胸を張った。


「ふふん、わかればよろしい。すぐに見つけてあげるからね。あ、そうだ、ひとつ言っておくわ」


「なんでしょう?」


コノエさんは、目的のためならどんな嘘でも平気でつく人よ。『私が最初から神主を引き受けていれば』なんて言ってたけど、そんなこと欠片も思ってないわ。だから、コノエさんの発言には気を付けておきなさいね」


 メルリアの目は真剣そのものだった。澪織ミオリは気圧されたように固唾を飲み、静かに頷いた。


「……はい」


 メルリアは意気揚々と病室を出て行った。澪織ミオリはその背中に頼もしさを覚える。しかし、彼女の心には割り切れない想いが渦巻いていた。


「その話、する必要ありました……?」


 誰もいない病室で呟いた澪織ミオリ。彼女は自分の出生の秘密に衝撃を受け、重苦しい感情を抱いていた。


 そして、澪織ミオリの退院が迫った8月の初頭。彼女の病室に、父、コノエがやってきた。


澪織ミオリ、今までよく頑張った。ようやく退院だな」


「はい、お父さま。お父さまが星神輿ホシノミコシを支えてくださったので、リハビリに専念できました」


 澪織ミオリの脳裏には、メルリアの笑顔が浮かんでいた。


「そうか、良かった。こんな私でもお前の役に立てるなんて、嬉しいぞ」


「はい。退院しましたら早速、星神輿ホシノミコシの仕事に復帰しなければなりませんね」


「そうか。でも、本当にいいのか?」


 その時澪織ミオリは、父が放つ雰囲気に違和感を覚えた。


「え?」


「いや、澪織ミオリが倒れてしまったのは、声優の仕事と、星神輿ホシノミコシの仕事に忙殺されたからだろう?」


「そう言われれば、そうですけど」


「遠慮しなくていいんだ。澪織ミオリ星神輿ホシノミコシの神主を退いて、声優に専念するというなら、私はこのまま星神輿ホシノミコシの神主になる。それで構わないのだぞ?」


 澪織ミオリは再び違和感を覚える。それは、父の身体を流れる熱に、ノイズが混じったような感覚だった。


「本気で言ってるんですか?」


「ああ、娘の心配をするのは当たり前だろう」


 澪織ミオリは、メルリアの「コノエさんは、目的のためならどんな嘘でも平気でつく人よ」という言葉を思い出した。


「いえ、私は大丈夫です。仕事はうまく両立してみせますので、お父さまはまた、私の補佐に回っていただければ」


 すると、コノエのノイズは消え去った。


「そうか、やってくれるのか! すまないが、適任者は澪織ミオリしかいないと思っていたんだ。これからもよろしく頼むぞ」


 その時澪織ミオリは、コノエが自然な笑顔を見せたような気がした。


「はい、ご心配おかけして申し訳ありません。これからはうまく休養を取って、倒れないように気を付けます」


「ああ、不調を感じたら、すぐに休むんだぞ」


「わかりました」


「では、早速だが、澪織ミオリが退院したら、快気祝いのパーティーをしようと考えているんだが、どうかな?」


 澪織ミオリにとってそれは、父親ではなく、ビジネスマンの言葉に聞こえた。


「え、どうかと言われましても」


「なーに、ただ、星神輿ホシノミコシの神主として、前に出てくれるだけでいい。会場はもう押さえてあるんだ。日程の候補もまとめてある」


 スマホの画面を見せつけるコノエ。その有無を言わさない態度に、澪織ミオリは少し苛立ちを覚えた。


「そんなに早く?」


「ああ、みんな澪織ミオリの帰りを待っている。その期待に応えることこそが、神主であり、総裁の使命だとは思わないか?」


「そうですか。ならば、私に拒否する権利はありませんね。しかし、随分と手際がよろしいことで」


「ははは、私も嬉しくてな。自慢の娘のためだ。なんでもするさ」


 なんでもする。メルリアと同じ言葉を使うコノエだったが、澪織ミオリにとっては、ただの脅迫のように聴こえた。


「では、これからも全力で私のサポートをしてくださいまし」


 すましたように、目を閉じ、上品に言ってのける澪織ミオリコノエは一瞬たじろいでから、語気を強めた。


「おお、言うようになったな! まあ、任せておけ! では、私はこれから打ち合わせがあるのでな!」


 コノエは軽い足取りで病室を後にした。その背中を目で追う澪織ミオリ


(お父さまの、『私が神主になる』という言葉は嘘だろう。私、人が嘘をついてるのがわかるようになったんだ。人が嘘をつくとき、念動力の流れが変わる。これが、無意識の決定を意識が捻じ曲げているということ……)


 彼女は確信に近い想いを抱いていた。

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