第39話 陰謀論

 8月下旬。澪織ミオリは、予定通り退院することとなった。出迎えのリムジンから現れたのは、彼女の母、メルリア。澪織ミオリは母に促されるまま、リムジンの後部座席に乗り込む。そこは、何人たりとも立ち入ることのできない、母と娘の聖域だった。


「無事に退院できてよかったわ」


「はい、お陰様で。それで、捜索の方はどうなりましたか?」


「わかっているわ。今日はそれを伝えにきたの。でもね、えっと、あの、なんて言ったかしら?」


 澪織ミオリの母は、瞼の裏を探すような表情で言葉につまる。澪織ミオリは、やはりそうなるのかと、心の中で溜息をついた。


日向ヒナタ 海果音ミカネです」


「そう、その、海果音ミカネさんなんだけど、目撃談ひとつ得られないのよ。務めてた会社にもあたってみたけど、まるで、そんな人は知らないかのような反応をされたわ」


「そうですか」


 澪織ミオリは薄々その答えを予見していた。そう、人は時と共に私のことを忘れてしまう。それは澪織ミオリの母も同じことだった。しかし、だが、澪織ミオリだけは私のことを忘れまいと、必死に足掻いていたのだ。


海果音ミカネのことを覚えていられるのは私だけ。それはそれで、悪くないよね)


 なぜか少し上機嫌になった澪織ミオリに、メルリアは神妙な面持ちを見せる。


「でもね、最近、似たような話がよくあるみたいなの」


 その展開を予想していなかった澪織ミオリは、目を白黒させる。


「どういうことでしょう?」


「日本中でね、ある特定の人たちが、行方不明になっているらしいの」


「特定の人たち?」


「うん。調査によると、行方不明になる人はみんな、ある通販サイトに登録していたの」


 メルリアは窓の外、上空を仰ぎ見る。視線の先には、商品を配送するドローンが飛行していた。


「あれは『くばるーん』とかいう……確か、Matchargeマッチャージの」


 「くばるーん」とは、配る風船を意味する、球体に四枚のプロペラがついた配達用のドローンだった。


「そうよ。Matchargeマッチャージはあのドローンを使って、配達業務を効率化し、世界中に勢力を伸ばし始めた。そのタイミングと、行方不明者が増えたタイミングが、ぴったり一致するのよ」


 澪織ミオリが入院していた9ヶ月間のこと。Matchargeマッチャージを運営する株式会社 月葉ゲツヨウは、ドローン開発の成功により、世界的なグループ企業へと躍進を遂げていた。都内には、グループ本社ビルが建設され、葉月ハヅキ社長は、会長の座に就いていた。


Matchargeマッチャージの利用者が増えたから、行方不明者もMatchargeマッチャージの利用者が増えた。それだけの話でしょう」


 澪織ミオリはよくある勘違いだと踏んで、母の言葉に興味をなくしていた。


「それがね、行方不明になった人は、MatchargeマッチャージのQスコアが一桁の人ばかりだったの」


 Qスコアは、通販サイトのMatchargeマッチャージが、利用者の社会的な立場を数値化したものである。


「まさか、海果音ミカネもQスコアが?」


「そうよ。海果音ミカネさんの身辺調査をして、類似する境遇の人の統計データを採ったら、Qスコアの低さと、行方不明になる確率が比例していたの」


「ただの偶然ではないのですか?」


「偶然にしては偏りすぎている。人為的な力が働いていると考えるのが妥当ね」


「なるほど。しかし、いち民間企業が、調査されれば嗅ぎつけられてしまうようなリスクを冒しますでしょうか?」


「そのリスクに見合うだけの、メリットがあるとしたら?」


「Qスコアが低い人を集める価値があるんでしょうか?」


「そうね。考えすぎかもしれないわ。ごめんね。でも、海果音ミカネさんの情報がないからって、関係ない調査をしてたってわけでもないのよ」


「はい。それはわかっています。すみません、調査してもらっておいて、失礼な言い草でしたね」


「謝る必要はないわ。引き続き、調査は任せてちょうだい。あなたはとりあえず、明日のパーティーに専念するといいわ」


「パーティーですか。うまく笑える気がしませんけど……」


「しっかり眠りなさい。気持ちの整理がつくってものよ」


 しかし、久々に帰宅した澪織ミオリは、母の助言を無視して、Qスコアについて調査を始めた。


(Qスコアとは、個人の資質を数値化したもの。会員全員に可視化される代わりに、様々なサービスがある……)


 澪織ミオリは、パソコンで「Qスコア徹底攻略」というサイトを開いていた。そこには、Qスコアをゲームに見立て、上昇させるための攻略情報が掲載されている。しかし、彼女が注目したのは、攻略情報ではなかった。


(Qスコアが低い者には、無料で抹茶製品が提供される。ですか。そんなことをして、Matchargeマッチャージに何の得が?)


 澪織ミオリは、Matchargeマッチャージに不信感を抱くユーザーの口コミを追ううちに、個人が運営する、オカルトを扱ったサイトに辿り着いた。


(タダだからといって、Matchargeマッチャージの抹茶製品ばかり食べていると、社会復帰できなくなる。ですって?)


 世界中で利用されているMatchargeマッチャージは、抹茶製品を無料で提供しているため、貧困層の強い味方として知られている。しかし、抹茶製品ばかり摂取している人々は、カフェイン中毒に悩まされているという。カフェイン中毒になると、強い興奮と倦怠感に苛まれて、仕事どころではなくなってしまうのだ。真っ当な仕事ができなければ、当然、貧困層から抜け出せず、Qスコアの上昇も望めない。そして、Matchargeマッチャージから無料提供される抹茶製品を食べるしかないという、悪循環に陥ってしまうのだ。


 これについて各国政府は、Matchargeマッチャージを危険視し、カフェインに規制を加えようとした。しかしその頃、世界中で気象災害が多発していた。Matchargeマッチャージは、その被災地に、救援物資を無料配布していたのだ。


(大量のドローンによる、円滑な物資の供給。それによって、Matchargeマッチャージは被災地の住民から支持を得ている。まるで救世主のような扱いね)


 その続きは、紛れもなく陰謀論だった。Matchargeマッチャージに圧力をかけようとした国に限定して、異常気象が起きているというのだ。そして、救援のため、真っ先に駆け付けるMatchargeマッチャージに、疑いをかけるものだった。


Matchargeマッチャージに敵対した国に自然災害を起こし、それを救援することで黙らせているというの?)


 澪織ミオリはその記事を、ばかばかしい与太話だと一笑に付す。記事の最後はこう締めくくられていた。


(今、テレビやネットは、Matchargeマッチャージの親会社、株式会社 月葉ゲツヨウの広告で溢れている。そのため、この真実を報道できる媒体は存在しない。ですか)


 澪織ミオリはため息をひとつついてから、パソコンの電源を切り、ベッドに入って次の日に備えた。


 そして、澪織ミオリの快気祝いは、巨大なホールを借り切って盛大に開催された。巫女装束に身を包んだ澪織ミオリは、ステージの上からアイドルさながら、マイクを片手に笑顔を振りまいていた。


「みなさま、星神輿ホシノミコシノ会の神主、及び、星神輿ホシノミコシグループの総裁、星宮ホシミヤ 澪織ミオリです。このたびは私の体調不良により、多大なご迷惑をおかけしたことを、お詫びいたします」


 ステージの前には、澪織ミオリに羨望の眼差しを向ける人々が、折り重ならんばかりに詰めかけていた。中にはサイリウムを持つ者までいる。彼らは口々に、澪織ミオリを庇いだてするのであった。


澪織ミオリさまーっ! 気にしないでくださーい!」


「そうだそうだっ! 澪織ミオリさまは頑張りすぎただけです!」


 声帯が千切れんばかりに叫ぶ星神輿ホシノミコシの人々。澪織ミオリはそんな彼らに、優しく手を振り返した。


「ふふ、ありがとうございます。しかし、休ませて頂いた分、これからも精一杯、職務に勤めさせていただきます」


 そうして始まった、題して、「夏の星神輿ホシノミコシ祭」。ホールの中には屋台が軒を連ね、星神輿ホシノミコシに関わる人々でごった返していた。そんななか、澪織ミオリはひとりひとりの言葉に耳を傾けるため、会場を練り歩くことにした。

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