第10話 共同作業

「この張り紙、あなたがやったんですね?」


 道端でばったりと再会した星宮ホシミヤ澪織ミオリは、熱中症に倒れた私を家まで運び込でくれた。彼女は私の胸の感触を味わったあと、私のタダノートを勝手にめくり始め、ページが破れていることに気付く。道にも戻り、張り紙の前に急行した彼女は、追いすがる私を追求し始めるのであった。


「え、えっと、それは、書いたと言えば書いたんですが、意図して書いたものでは……ああっ、どうしよ」


 私の狼狽うろたえようは自白に等しかった。未確認生物の噂の元凶げんきょうが私だと確信した澪織ミオリは、呆れた表情を見せる。


「はぁ、そうなんですね。やはり、あなたの言葉には不思議な力があると」


「いや、私の言葉のせいで未確認生物が出たって話ですか? そんなことがあるはずが……」


「いえ、そうではありません。そもそもさっきから言ってるように……と」


「ほへ?」


「一旦部屋に戻りますか。外は暑いですからね」


 澪織ミオリは私の手をとって私のマンションまで戻った。私と彼女はちゃぶ台を挟んで対面に座る。


「ご、ごめんなさい」


「謝るってことは罪を認めるってことですか?」


 私を真っ直ぐ見つめる澪織ミオリ。その視線は私を責め立てるように鋭い。


「えーっと、まさか私のせいではないと思いますが、少しだけ不安を煽っちゃったかな? って。だって、私のせいで未確認生物が出現するなんてあり得ないですよ」


「はい」


「ふえ?」


「その通りです。未確認生物が出現するなんてあり得ません」


「え、ええ」


「未確認生物は存在しない。だけど、人の心が幻を見せることはあります」


「そうきましたか」


「あなたの言葉には力がある。不安を掻き立て、人々から正常な認識力を奪ったのでしょう」


「えー……」


「なんですか、その不満げな顔は」


「私も薄々うすうすそう思ってた節はありますが、面と向かってそう言われると……」


「そうとしか考えられないでしょう。ペット被害もあるようですが、偶然怪我したのを見て、居もしない未確認生物に濡れ衣を着せただけですよ」


「そうですか……うん、そうですよね。ではこの事件は解決ということで、いいんですかね?」


「いいわけがありません! 人を惑わせるような噂は、終息しゅうそくさせなければならないのです」


「ど、どうやって?」


 澪織ミオリは少しにやりと笑った後、目を閉じて口を開いた。


「噂に関わる全ての張り紙を剥がせばいいのです!」


「そ、そんな強引な」


「強引でも力ずくでもいいんです。人の心を惑わす元凶げんきょうを始末してまえば、噂なんて勝手に終息しゅうそくしてゆくでしょう」


「そうなんですか? でも、全部剥がすのは大変ですよ。この街中に貼ってありますから」


 澪織ミオリは目を開く。その視線は心なしか浮かれているように見えた。


「何、他人事ひとごとのように言ってるんですか」


「はひ?」


「あなたも一緒にやるんですよ」


「え、えーっっ!」


 澪織ミオリは窓の外を遠い目で見つめる。


「しかし、この炎天下えんてんかでは都合が悪いですね。あなたがまた倒れたら困りますから」


「私がやること前提なんですね……」


「夕方まで待ちましょう。私はそれまでに準備を整えますね」


 そう言うと澪織ミオリは出掛けて行った。私はといえば、ネットで都市伝説について調べ始めるのだった。


「ふ~ん、あの夢の国にそんな都市伝説が……」


 そうしているうちに、自分の住む街の噂に辿り着く。


「なるほど~、逃げたペット説か……って……大変!」


「ただいま戻りましたっ」


「わあっ!」


「そんなに驚かなくても。経口補水液けいこうほすいえきとシール剥がし用の器具を買ってきたんですよ」


「ありがとうございます。それよりっ、星宮ホシミヤさん、これを見て下さいっ!」


 私がパソコンのモニターを指さすと、澪織ミオリはまじまじとネットの記事を読み始めた。


「人間が、襲われたですって!?」


「そうです。相変わらず未確認生物の写真はないですけど。こんなことになるなんて」


 画面には切られた腕から血を流している女性が映っていた。


「これは、急がなければなりませんね」


 シール剥がし用のヘラを強く握りしめる澪織ミオリ


「私も星宮ホシミヤさんも幻だって決めつけてましたけど、張り紙を剥がしたくらいで収まるんですかね? やっぱり、現にこうやって被害が出ているとなると……」


「それも気の迷いによる行動でしょう。あの張り紙を見る度にサブリミナル効果が発生して、自傷じしょう行為こういに走ったに違いありません! 未確認生物なんて、そんなオカルト認められるもんですか……」


 澪織ミオリの表情には焦りが見える。


「も、もう日も暮れてきたことですし、早速実行しますか」


 私は澪織ミオリを落ち着かせるために、とりあえず合わせることにした。


「はい。ですが、くれぐれも体調には気を付けましょう」


 澪織ミオリ経口補水液けいこうほすいえきを私の目の前に突きつけていた。私はそのペットボトルとヘラを受け取り、彼女と一緒に道路に出る。私たちは夕陽が照らし出す中で、街中に貼られている張り紙を剥がし始めた。


「しかし、本当にたくさん貼ってありますねえ。私が言うのもなんですが、勝手に貼っていいものなんでしょうか? というか剥がすのも……」


「……よし」


 澪織ミオリは私の話に耳を貸すことなく、一心不乱に張り紙を剥がしていた。彼女のビニール袋に張り紙が溜まってゆく。私も徐々に作業に慣れてくる。


「しんにゅーきんしのひょーしきー♪ ふったごーのスミスのトレーナー♪ デイリーニュースのひょおっしー♪」


 作業に集中した私は、自然と歌を口ずさんでいた。歌い続けていると、澪織ミオリは動きを止め、小刻みに震え出した。


「くすくすっ、なんですか、その歌」


「あ、ごめんなさい。歌うのが好きで」


「いえ、あなたのそういうところ、好きですよ」


「は、恥ずかしいっっ」


「でも、あなたは普段、なんだかおどおどしていますよね。それって、結構損してると思います。人に警戒されちゃいますよ?」


「そうなんですか?」


「そうです。人は怯えてる人を見ると不安になるものです。それに比べて、今のあなたはとても安心できます」


「安心……」


「はい、なにより、あなたが笑顔だと、こちらも笑顔になれます」


 澪織ミオリはにっこりと笑顔を向ける。その表情に、身体の内側から込み上がってくる熱を感じた。


「笑顔ですか……」


「はい」


 そして、太陽が沈む頃、街中の貼り紙を剥がした私たちは、マンションの前に戻ってきた。目の前には例の電柱。最後に残ったのは――


「では、あなたが貼ったこれを剥がせば終わりですね」


「はい、でもなんで、最初に剥がさなかったんですか?」


「いえ、この張り紙自体には、それほど害がないと思いまして」


 しかし、澪織ミオリの表情は少し寂しそうで、手に持ったヘラには躊躇ためらいが表れていた。


「じゃあ、私が剥がしちゃいますね。自分の責任ですので」


「……ええ」


 私が張り紙のマスキングテープを剥がそうとしたその時――


「何してるんだね、君たち!」


「あ、いえ」


 声をかけてきたのは警官だった。彼は懐中電灯の光を私の顔に当てる。


「まぶっ」


「ちょっと、やめてください!」


 澪織ミオリは光の前に立ちはだかる。警官は一瞬、彼女の美貌びぼうに見惚れる素振そぶりを見せたが、すぐに気を取り直した。


「それはこっちのセリフだよ。何やってるんだね? 街中の張り紙が剥がされてると思ったら、君たちだったのかね」


「え、張り紙を剥がした犯人を捜してたんですか?」


 私が澪織ミオリの後ろから顔を出すと、警官は懐中電灯を下げた。


「いや、剥がすのをとがめるつもりはないが、さっき、住民が何者かに襲われたって通報があってな。それを捜していたんだ。君たちも危険だから帰りなさい」


「それって、ネットに出てた……」


「うむ、この街のことが噂になって、ネットで見た奴が面白半分でやってるんじゃないかと踏んでるんだ。愉快犯だよ」


「なるほど、確かにその線はありそうですね。盲点でした」


 澪織ミオリがそう言ったその時、遠くから、ざざざざっという不気味な音が迫って来た。

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