第9話 夏の1ページ

 炎天下えんてんかの道端、ばったり出会った星宮ホシミヤ澪織ミオリは、その場で私に都市伝説の説明を繰り広げた。結果、私の身体は5分も耐えられず、ばったりと倒れてしまうのであった。目を開いた時、そこには見慣れた天井があった。遠くで扉が開く音がする。


「大丈夫ですか?」


 視界に入ってきて私を見下ろしていたのは、ジョギング姿のままの澪織ミオリ。彼女はスポーツドリンクのペットボトルを持っていた。どうやら私は、彼女に運ばれて、自宅で寝ていたようだ。


「ごめんなさい。これ、熱中症ってやつですかね?」


「そうでしょう。ともかく今はこれを飲んでください。勝手に冷房を付けさせてもらいましたけど、良かったですよね?」


「ありがとうございます。いただきます」


「ゆっくり、すこしずーつ飲んでくださいね、それと、謝るのは私の方です。炎天下えんてんかの道端なのに夢中になって、本当にごめんなさい」


「いえ、大丈夫です」


 私は仰向けのまま上体を少し起こし、ラッコのようなポーズで、こくこくとスポーツドリンクを喉に流し込む。澪織ミオリは私の虚ろな目を心配そうに見つめていた。


「こほっ、こほっ!」


「ほら、もっとゆっくり。頭も冷やしましょう」


 澪織ミオリは冷たいおしぼりを私の額に乗せる。ひんやりとして気持ちがいい。だんだんと意識がはっきりしてきた私は、手を突いて上半身を起こした。


「ありがとうございます。助かりました」


「ですから、これは私のせいであって」


「いえ、虚弱体質きょじゃくたいしつの私が悪いんですよ。気にしないでください。あはは」


「そんな……」


「おしぼり、暖かくなってきちゃいました。自分で換えますね」


 私はメガネをかけて立ち上がる。そして、何の気なしに澪織ミオリを見ると――


「しかし、なんというか、その恰好、よく見ると目のやり場に困りますね」


「え?」


 澪織ミオリは黒のタンクトップの上に白いTシャツを着て、下はグレーのショートパンツに黒タイツ。Tシャツが透けて体のラインがくっきりと浮き上がっていた。


「えっと、その、そんな恰好して外をうろついてたら、襲われちゃうんじゃないかって」


 澪織ミオリは一瞬何を言われているのかわからないといった表情を浮かべ、ハッとする。


「ふふっ、変なこと言うんですねっ。大丈夫ですよ、私は」


 すると、澪織ミオリの目が鋭く光る。次の瞬間、彼女の拳が私の目の前に迫っていた。驚いて瞬きをすると、今度は彼女のしなやかな脚が、私の目の前ギリギリを鞭のように通り過ぎる。


「わわっ!」


 バランスを崩した私が尻餅をつくと、澪織ミオリは微笑んで見せた。


「どうですか? 私、ちょっと武術をかじってるんですよ。今のは寸止めですが、瞬時に4発くらいは叩き込めますよっ」


「よ、よんはつ? パンチと、キックと……」


「パンチ2回に上段回し蹴り、それから上段後ろ回し蹴りです」


「すごい、瞬く間っていうのはさっきみたいなのを言うんですね」


 尻餅をついたまま見上げる私に、澪織ミオリはかがんで手を差し伸べる。


「大丈夫ですか? 立てます?」


「いえ、その、えーっと」


 私は目を逸らしてしまった。なぜならば――


「どうしたんですか?」


「その、谷間が気になって……」


「これですか?」


 澪織ミオリは両手で自分の胸を少し持ち上げる。その豊満さに私は、固唾かたずをのみ込むことしかできなかった。


「ふふ、やっぱり変な人ですね。女の子同士、なんてことないじゃないですか」


「いえ、自分にはないものなので……」


「そうなんですか?」


 次の瞬間、私は自分の胸にかつてない感触を覚えた。


「って、なにしてるんですかっ!」


「あるじゃないですか。おっぱい。確かに控えめですけれども……」


 澪織ミオリは私の胸に両手を被せ、入念にさすり上げていた。


「あ、んっ、はぁっ……や、やめてくださいっ」


 私は尻餅をついたまま後ずさり、背中を壁にぶつける。


「ふふっ、変な気持ちにさせちゃいました?」


 澪織ミオリは手をわきわきしながらいたずらっぽくこっちを見つめていた。


「い、いえ、こんなこと、初めてでしたので。ただちょっと、ドキドキして……」


「夜眠れなくなっちゃいますかね?」


「うう、そしたら、頭に浮かんだことをタダノートに書いて落ち着きますっ」


「タダノート? ああ、私が差し上げたノート、使ってくださってるんですか?」


「はい、そういえば、あなたに頂いたんでしたね」


 私は、それが澪織ミオリからもらったノートだということを、すっかり忘れていた。


「嬉しいですっ。で、どんなことを書いてるんですか? もしかして、えっちなことなんですか?」


 澪織ミオリは私のパソコンデスクに近付き、上にあるノートを手に取った。


「ひいっ、やめてくださいっ! 大したことは書いてませんからっ!」


 私は立ち上がり、手を伸ばして駆け寄ろうとする。が、ふらついて膝をついてしまう。澪織ミオリはその隙にタダノートをペラペラとめくりだした。


「あははっ、ちゃんと日付が書いてあるっ。それからそれから、言葉とその説明。辞書みたいですね! 面白いですっ」


「それは、頭に浮かんだ変な言葉を、って、やめてくださいっ!」


「ふふん、私の言いつけをちゃんと守ってるか確認してるだけですよ。言いつけ、はて、私、何を言いつけてたんでしたっけ?」


「そ、それは……」


 その時、澪織ミオリはタダノートを開いたまま手を止め、ページをまじまじと見つめだした。


「これって、ペットで何か嫌なことがあったんですね。なるほど……あれ?」


「何か変ですか?」


「いえ、このページだけ切り取られてるから、どうしたのかと思って。そんなに恥ずかしいこと書いたんですか?」


「え、あ!」


 私は大変なことを思い出した。


「そのページはっ!」


 私の声を聴き終わる前に、何かに気付いた澪織ミオリは走り出していた。向かった先は例の電柱だった。


「はぁ、はぁ、待ってくださいっ! それには訳があって……」


「やっぱり、ページの破れ方が張り紙と一致してます。それに、前のページの日付は、未確認生物の噂が始まる少し前。ということは……」


 澪織ミオリは追いすがる私をゆっくりとにらみつける。


「この張り紙、あなたがやったんですね?」

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