第2話 燃える言葉
「げほっ! げほっ! ……はぁ……はぁ……」
古びたマンションの一室、自宅の玄関で私は息を切らしていた。運動不足の癖に、歌いながら全速力で帰宅するという
「つめたっ! ああ、びっくりしたぁ」
シャワーの水は徐々にお湯に変わる。肌に当てると、まとわりついていた疲れが溶けてゆくようだった。うなじを隠しきらない程度に切り揃えた髪の毛を洗い、
「ふぅ……」
お湯で全てを排水溝に流し、タイマーで沸かしていた湯船に浸かる。温まってゆく自分の身体を観察してみると、精神的には疲れ切っているのに、髪は艶やかで、きめ細かい肌はハリを失わずにいる。私にはそれが不思議でならなかった。私は再び小さく歌を口ずさむ。
「すーいーへーいーせーんのむこうには、あああーぁぁぁ♪」
風呂を上がると、
翌日、目覚まし時計よりも早起きしたことに、晴れやかな気分になる私。さわやかな朝を演出するために、トーストした食パンを口に運ぶ。
(何で"食"パンって言うんだろう?)
ふと疑問に思い、スマホで検索する。私はなにかにつけて検索するのが癖になっていた。
(ふーん、消しパンに対して食パンって呼ぶのか。昔は消しゴムすらなかったんだなぁ。今はスマホに書いて簡単に削除できるから、消しパンって言葉自体が消えていくのかな? あれ?)
私は前日インストールしたコトリゴトに通知が来ていることに気付いた。思い付きで書き込んだことを思い出し、少し
「うわ、『いいね』がついてる!」
つい口に出してしまった。私は独りごちることが多い。しかし、驚いた理由は、「いいね」の数が100を超えているからであった。私の書き込みに共感する声も多数寄せられていた。
「それな!」
「分かる。これからは楽にいこう」
「そうそう、こっちは散々悩んでるのに」
「繊細なんだね。みんながあなたみたいならうまくいくのにね」
私は少し心がほぐれるような感覚がした。しかし、書き込みへの反応に対して、不可解なことがあった。自分のアカウントをフォローしてる人が1人もいないのだ。
「そ、そういうものなのかな?」
通知をよく見てみると、書き込みに直接つけられている「いいね」よりも、私の書き込みを引用した書き込みについている「いいね」の方が多い。まるで、言葉だけが独り歩きしているかのようだった。だがそれでも、嬉しいことには変わりがなかった。
私はその日、いつになく明るい表情で家を出た。満員電車の中、自分の投稿と同調する声を見返しては顔をほころばせる。それは不審者そのものだった。しかし、やはりフォロワーがゼロなことが気にかかる。
(そうだ、私のことを知ってもらえばいいんだ)
私はニヤニヤしながら、会社に到着するまで自分をアピールする投稿を繰り返した。
「おはよう……お前、どうした? 疲れてるのか?」
上司が少しうろたえて私に尋ねる。緩んだ表情のまま出勤していたようだ。
「……え? あ、おはようございます」
「お前、それ、笑ってるのか? ちょっと怖いぞ……まあ、その、落ち着けよ」
「す、すみません」
「いや、いいんだけどさ、なんかあったら言えよ? な?」
「あ、はい、ありがとうございます」
上司も上司なりに気を
――1週間後の朝、穏やかな日々は上司の声によって幕を閉じる。
「おい、ヒカゲ! あの報告書いつ出すんだよ!? もうとっくに締切過ぎてるだろうが! お前ってやつはいつもいつも……」
恒例となっていたミスの指摘から人格否定への流れに、私は深く落ち込み、いつもの疲れた表情に戻る。そうこうしているうちに時間は昼休みとなった。
「おい、ヒカゲ! メシ行くぞ!」
上司の発言に、私は自然と顔をしかめてしまった。
「いいから来い!」
否応なく上司の馴染みの定食屋に付いて行くことになった。
「何食うんだ?」
上司に促され、私がメニューを取ろうとしたその刹那。
「
選ぶ隙も与えない早業で注文する上司。そこから再び小言が始まる。
「ったく! お前はいつまで
運ばれてくる
昼休みから戻ると、沈んだ気分のまま仕事を続け、すっかり夜が更けてから会社を後にする。
私は電車に揺られながら、再びコトリゴトを開く。
(あの書き込みはあんなに拡散されたのに、今はどうなってるのかな?)
私は最初の書き込みへの、最新のコメントを確認する。
「いるいる、コミュニケーション下手な奴。いつもケツを拭かされてるよ」
「悪いのはコミュ障なのに被害者面されるんだよな」
「コミュ障は社会のお荷物」
「コミュ障を排除しないとこの国の未来はない」
「コミュ障は根性なし、人権なし、逃げ場なし」
反応の空気が変わっていた。最初とは打って変わって、攻撃的な言葉の数々に恐ろしさを覚えた。そして、やはり個人的な投稿に関しては何ひとつ反応が無い。そんな状況に、スマホをそっとしまう私であった。
――数日後。
「おい、ヒカゲ!」
「はひぃっ!」
「お前単体テストちゃんとやってんのか!? こんなの運用テストで出ていいバグじゃねえぞ!」
「いえでも、実際にテストをしたのは私じゃないので……」
「ので? なんだよハッキリ言えよ! 伝える努力をしろ!」
「スミマセン、私のせいです……」
「お前はコミュニケーションが下手なんだよ。テストの担当者ともうまく連携が取れてねーだろ? 知ってるか? コミュニケーションが下手な奴が得してるって、最近バズってるんだぞ。いいよなー、まさにお前のことだよ。そうやって口ごもってれば相手が全部決めてくれるんだからな。お前みたいな指示待ち人間がいるせいで、こっちは損してばっかりだよ」
いつもの言葉の暴力に、いつものように傷付いた私は、自席に戻り、コトリゴトの反応を思い出していた。
トイレで改めてコトリゴトをチェックしてみると、「コミュ障は悪」という話題で溢れかえっていた。情報を辿ると、やはりそれらは私の書き込みに端を発していた。しかし、私が言いたかったのは、「コミュニケーションに悩んでる人が損している」ということだったはずだ。
「どうしてこんなことに……」
私はトイレの中でひとり、震えた声を漏らしていた。
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