第六章 守りたいもの
第30話 その必要はありません
「
私からメガネを取り上げた
「それって、どういうこと?」
「あ、もしもし、
その声は、先程までと打って変わって、至って冷静沈着。なおかつ、人を安心させる温かみがあった。
「いままで、ごめんね」
心の底から零れたような、微かな声で謝罪を受ける。私は何故か涙ぐんでいた。
「うぅ、なんで、謝るの?」
「もう、ほら、泣かないで、
――
「
私は我に返り、彼女の胸の中で声を上げる。しかし、それは彼女の耳に届いていなかった。ただひたすら、彼女は私を抱きしめ続けた。
――10分が過ぎようとしていた。その時、私が顔をうずめた胸が震え出す。
「はい。ありがとうございます。では、向かいます」
「さ、
「どこへ?」
「あ・そ・び・にっ♪」
夏の焼け付く日差しの中、マンション沿いの通りに、黒いリムジンが停車していた。
「
運転手と思しき男性は、
「ど、どこ行くの?」
「ん? えっとね、久しぶりに
リムジンは繁華街のカラオケ店の前で停車した。
「えっと、わ、私はどうすれば?」
「ふふ、
「って言われても」
私がかすれた声を出して困惑していると、
「もう、じゃあこれでいい? さ、マイクをどうぞっ♪」
満面の笑顔でマイクを差し向ける
「ながい、さかーみちーをーのーぼるぅ♪ あーしどりは、ときにぃ♪ おーもーくなーるけどぉ♪」
さわやかなメロディに、手拍子を合わせる
「もういーちどー♪ ……コホン、ご清聴ありがとうございました」
「み、
「ん? 私はいいの。
「えっと、これ、
「ううん、
「ああ、そう……まち、なみ、みおーろすのさ♪ いちばーん、たかいーばーしょでー♪」
こうして、私は
「さーにーさーにーさーま―♪ いえーーーーーいっ! ……けほっ! えほっ!」
喉がからからになっていた。
「大丈夫? さ、これを飲んで!」
「けほっ…… う、うん」
私は
「う、これ、お酒?」
「あ、もしかして、
「うう、大丈夫だけど、アルコールにはあんまり強くないんだよね」
「そっか、じゃあ少しだけにしておこうね。ごめんね」
「こっちこそごめん。
「うん、付き合いが多くてね。はたちになってから、すぐに慣れちゃった」
「そっか、
「別に、なりたくてなったわけじゃないのにね」
「へ?」
「ああ、ごめん。なんでもないよ。さ、次の曲、歌お?」
「あいのぱっわぁー♪ かがやーくまっでー♪ おくるわぁー♪」
「うーん、やっぱり
「もう勘弁してよぉ」
私の声は枯れていた。アルコールも回ってフラフラになった私に、肩を貸してくれる
「じゃあ、お会計してくるから、ここで待っててね」
私は受付の前の待合席に腰を下ろす。すると、急激に意識が遠のきだした。
「み、
疲れ果てた私は、彼女が支払いを終える前に意識を失っていた。そして、目を覚ますと――
「うう……けほっ! けほっ! ……あ、朝か」
私は自分の部屋のベッドに横たわっていた。身体はやけに重たくて、うまく力が入らない。その時、玄関の方からガチャリと音がして、ドアノブが回った。
「おはようございます」
「……み、
彼女は昨日のスーツ姿から一転、紅白の巫女装束を身に纏っていた。そして、深々と頭を下げる。
「はい、その通りです。私が
「な、何その口調?」
「いえ、私は今日から、
「ご主人様って、どういうこと?」
「戸惑うのは無理もありませんが、ご安心ください。
「それって、昨日も」
「はい。さ、朝食にしましょう」
「今日って、月曜日だよね? 仕事には……はぁ、余裕で間に合うか。よかった。さ、メガネ返してよ」
時計の針を見て安堵する私に、
「その必要はありません」
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