第31話 ゲームで遊んでてくださいな

「その必要はありません」


「へ?」


 私が仕事に行く必要はない? 目を丸くして固まる私に、澪織ミオリはみそ汁をひとくち飲んでから、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「ですから、海果音ミカネ様が仕事に行く必要はありません」


「なんで? 先延ばしにしてたバグ修正をしなきゃならないんだけど」


「もう、働かなくていいんですよ」


「そんな、仕事は待ってくれないんだよ? あはは……」


 無理矢理ぎこちない笑いを浮かべる私に、澪織ミオリは至って冷静に対応する。


海果音ミカネ様はもう、会社を辞めたんですよ」


「そんなっ、もしかして、私が無能だからクビになったってこと?」


「そうではありません。退職代行業者を使ったんです」


「たいしょくだいこうぎょうしゃ? って、勝手に辞めさせたってこと?」


「その通りです。星神輿ホシノミコシグループの系列会社に、そういった業者がありまして」


「そんなの聴いてないけど、なんで勝手にそんなことしたの?」


「仕事、お辛かったのではないのですか?」


「そ、そうだけど、急に辞めるだなんて、そんな無責任なこと」


「『あなたが居なくても仕事は回る』。海果音ミカネ様はそう仰ってませんでしたっけ?」


「確かに言ったけど、もう考え直したし……」


「それと、海果音ミカネ様の銀行口座、クレジットカードを止めさせてもらいました。財布の中身も私が預かってます」


「え、何言ってるの?」


「私はこれでも星神輿ホシノミコシグループの総裁ですから、方々に顔が効くのですよ」


「そういう問題じゃなくて、お金がなくなったら、私はこれからどうすればいいの?」


「大丈夫です。海果音ミカネ様の財産はすべて私が預かっておくだけです」


「なんでそんなことを?」


「それは、この社会をあなたの不思議な力から守るためですよ」


「不思議な力って、まだそんなこと言ってるの? やっぱりあれは、ただの偶然だって」


「いえ、見過ごせないことが起きたので。偶然かどうか確かめるためにも、今は私に委ねてください」


「で、でも」


「私を信じてください」


「信じるって、いや確かに、澪織ミオリのことを忘れてたのは悪かったけど、こんなお仕置きみたいなこと」


「お仕置きなんかじゃありませんよ。これは、あなたを守るためでもあるのです」


「信じろとか、守るとか、その口調とか、全部が疑わしいんだけど、私が澪織ミオリを訴えたらどうするの?」


「すみません。この口調は私のけじめなんです。あと、訴えるだなんて、海果音ミカネ様にそんなことはできませんよ。どうやって訴えるのか、知らないでしょう?」


「でも、調べれば!」


 私はこれみよがしにスマホを操作する。しかし、スマホは私のフリック入力に無視を決め込んだ。


「あれ? 検索できない」


「ちょっと細工させてもらいました。なぁに、入力ができないだけで、リンクを辿れば閲覧はできます。勿論、誰かに何かを依頼することなんて、到底できませんけどね。お金もないのですし」


「な、なんてことを……これも、星神輿ホシノミコシグループの業者が?」


「はい。チョチョイノチョイでした。もちろん、パソコンの方も同様の処理が施してあります」


 私は無言でパソコンを起動した。インターネットブラウザを開き、キーボードを叩いてみたが反応しない。文字が入力されないのだ。澪織ミオリは私の後ろからディスプレイを覗き込み、マウスを持つ私の手に、自分の手を重ねた。


「閲覧するならマウスのクリックだけで十分ですよね? あ、ソフトキーボードを使おうとしても無駄です。あなたがネットに何かを発信したら、またあの時と同じになりかねませんから」


「そんな……」


 私がパソコンの前で呆然としていると、澪織ミオリは朝食を摂り終えて告げた。


「ごちそうさま。さて、私は仕事に行ってきますね」


 私は澪織ミオリの方に振り向くと、小さく呟いた。


「そっか、忙しいんだ。総裁なんだもんね」


「いえ、急にオーディションの話が舞い込みまして」


「声優のお仕事?」


「はい、まあ、数合わせのようなものでしょうが、精一杯やってきます。お昼はこのお弁当を温めて食べてください」


 澪織ミオリは冷蔵庫に弁当箱をしまいながらそう言った。


「そっか、じゃあ頑張ってきてね。私は、ちょっと今の状況を、冷静になって考えてみるよ」


「ふふ、応援してくれるんですね。ありがとうございます。では、行ってきます」


「いってらっしゃい。その様子だと、また来るんだよね?」


「ええ、今日から私もこの部屋で暮らします。帰ってくるまで大人しくしててくださいね。まあ、何もできないでしょうけど。気晴らしに散歩でもするといいですよ」


 そうして、澪織ミオリは私の部屋を後にした。


「私は、どうすればいいんだろう」


 と、独りごちるも、何もする気が起きなかった。そして、いつの間にか眠りこけてしまう。気が付いたのは、再びドアノブが回った時だった。


「ただいま」


澪織ミオリ、お、おかえり」


「あら、寝ていたんですね。昨日はあんなに歌って、しかもお酒まで飲んで、大変疲れたことでしょう」


「丸一日、昼寝してたみたい」


「お酒まで使うことはなかったようですね。夜のうちに全部済んじゃいましたし」


「そういえば鍵、閉めてなかったっけ?」


「いえ、合鍵を作らせてもらいました」


「そ、そうなんだ。はぁ……」


 すべてを諦めた表情の私に、澪織ミオリは不敵な笑みをこぼす。


「ふふ、さて、海果音ミカネ様が暇を持て余してると思って、いいものを持ってきたんですよ」


「いいもの?」


 澪織ミオリは、外から重そうな段ボール箱を運んできた。畳の上にドサっと置かれた箱は、ガシャガシャと音を立てる。


「なにこれ?」


「これは、亡くなった祖父の遺品です。うちではもう必要ないので、海果音ミカネ様に丁度いいかと思いまして」


「え、お祖父じいさん亡くなったの?」


「ええ、大往生でした。悲しくないわけじゃありませんが、受け入れるのが祖父のためです」


 澪織ミオリはしみじみと語りながら、段ボールの中身を取り出して、床に並べ始めた。


「そっか、これがお祖父じいさんの……」


 プラスチック製の小さな箱の数々、それぞれに絵と文字がついたシールが貼ってある。その物体にそこはかとないときめきを感じた私は、澪織ミオリへの態度を、さらに和らげた。


「これ、なんか面白そうだね。なんなの?」


「はい。これは、祖父が若い頃好きだったゲームたちです。この本体にセットして遊ぶんですよ」


「ゲーム? ゲームって、スマホとかの?」


「あれのご先祖様のようなものですよ。これはロムカートリッジと言って、ゲームのプログラムが内蔵された基盤が入ってるんですよ」


「そ、そっか、フラッシュメモリみたいなものか」


「まあ、そんなところですね」


 澪織ミオリは、本体と呼んだ赤と白の箱から伸びるケーブルを、アダプターらしきものを経由して、ディスプレイに繋いだ。次に、重そうなアダプターを、コンセントに差し込んだ。そして、ロムカートリッジを手に取ると――


「ふーっ!」


 なんと、下から息を吹き込んだではないか。何をしているのかと不思議がっていると、澪織ミオリはロムカートリッジを本体に差し込み、カチっとスイッチを入れた。


「さ、やりましょう」


 澪織ミオリは二つのゲームパッドのうち、ひとつを握り、もうひとつを私によこしてきた。


「やるって、ほら、私、メガネかけてないから」


「あら、近くのものはちゃんと見えるんですよね? 昨日のカラオケだって、文字はちゃんと読めてたじゃないですか?」


「ああ、いや、それはそうだけど、ゲームって……」


 36インチのディスプレイを見ると、黒い背景に、カクカクした文字が大きく表示されていた。そのゲームは解像度が低く、文字の種類も、アルファベットと数字しか並んでいなかった。


「読めますでしょう? というか、読めなくてもさして問題はありません。さ、やりますよ。海果音ミカネ様は下から敵に向かってジャンプするだけでいいですから」


 こうして私は、澪織ミオリに誘われるまま、そのゲームを始めた。


「えいっ! 澪織ミオリ、お願い」


「はい!」


 画面上のカクカクしたキャラクターが、申し訳程度にキックのアクションを繰り出して、私がひっくり返したカメをやっつけた。最初の頃は手間取っていたものの、次第に操作に慣れてくる。私はジャンプするだけでなく、敵を倒せるようになってきたのだ。そうこうするうちに、ステージは64まで進んだ。


「ねえ澪織ミオリ


「えいっ、なんでしょう?」


「このゲームって、他の場所にはいけないの?」


「ええ、そうですね。でも、床の色が変わって、敵の種類も増えましたでしょう? もしかして、つまらないですか?」


「いや、面白いんだけど、なんというか、すごくデータ容量が少なそうなゲームだなって」


「そこに目を付けましたか! さすがIT業界人。それと、気に入ってくれたみたいで良かったです」


 澪織ミオリは相変わらず距離を感じる口調のまま、楽しそうに笑っていた。私と彼女はそのままゲームを続け、ステージ99まで進んだ。


「次はステージ100か~。まあ、なんも変化はないんだろうけど」


「私もこれを見つけてから、結構やり込みましたけど、ここまできたことはないですね」


 そして、ステージ99をクリアすると――


「ステージ……ゼロ?」


「ゼロですね」


 澪織ミオリもあっけにとられた様子だったが、ステージの内容は変わらず、簡単に突破することができた。


「で、ステージ1って、無限ループかいっ!」


「あはははっ! 昔のゲームですからね」


「なんか拍子抜けだなぁ。でも面白かったよ」


「そうですか! それは良かった。じゃあこれからは暇な時、ここにあるゲームで遊んでてくださいな」


 四つの段ボールに入っていたゲームたちを背に、澪織ミオリは私に優しい笑みを向けた。


「うう、なんか腑に落ちないけど……」


 ゲームに惹かれた私は、残りの段ボールを開いてみる。すると赤白の本体より大きい、灰色の箱を見つけた。


「あれ、これは?」


「これは、スーパーってやつですよ。これもさっきのと同じようなものなので、好きな方で遊んでくださいね」


「は、はあ。わかったよ。それでさ、澪織ミオリ、このあとどうするの?」


「え? 夕食を食べて、お風呂に入って、ここに布団を敷いて寝るんですよ? 何か問題でもございますか?」


「いえ、ございません……」


「ふふ、結構遅くなってしまいましたね。お風呂に入ってきてください。ご飯を作りますので」


「は、はい」


 こうして私は、澪織ミオリとの奇妙な同棲生活を始めた。

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