第32話 気にしないでください

 私は澪織ミオリの策略によって、彼女との奇妙な同棲生活を送ることになった。そして、夏も終わりに近づいた頃――


「うう、まさか爆風で階段も消えるなんて……」


 私は、スーパーな方のゲーム機で、千回遊べるという謳い文句のソフトにハマっていた。いいところまで進んでいたのだが、謎の現象によってゲームオーバーを迎え、意気消沈する。


「はぁ……」


 深い溜息をついた私は、仰向けに寝っ転がって天井を眺めていた。そして、手探りでリモコンを取ると、ディスプレイにテレビを映す。


「いやー、社長、相変わらず絶好調ですね!」


 テレビでは、ニュースのような番組で、キャスターがインタビューをしていた。


「いえ、これもお客様あってのことです」


 ゲストはショッピングサイト「抹茶味マッチャアジ」を運営する、株式会社 月葉ゲツヨウの社長であった。以前、私が仕事で関わっていた会社の社長だ。なぜ一般企業の社長がニュース番組に出ているのか、私はとても不可解に思った。


「さて、本日は、葉月ハヅキ 真玄マクロ社長から、重大なお知らせがあると伺っていますが」


「はい、実は、抹茶味マッチャアジを畳もうかと」


「えっ! いやいや社長! 冗談きついですよ! ……ちゃんと台本通りやってくださいよ」


 キャスターは驚きの表情をしたあと、ヒソヒソと囁くように社長を窘めた。


「はっはっは、すみません。娘が観ているかもしれないので、面白いことを言わなければと」


「娘さーん、お父さんは元気ですよー。コホン、さっさと本題に入って下さい」


「はい。それでは。この度、抹茶味マッチャアジは大改革を行います。名称を『Matchargeマッチャージ』に変更するのです」


「えー、視聴者の皆さま、テロップをご覧ください。アルファベットで『Matchargeマッチャージ』となるそうです」


「はい。そして名称が変わるだけではありません。Matchargeマッチャージには新機能が追加されます。その名も『キュースコア』です」


「『キュースコア』ですか。それはどういったものなのでしょうか?」


「はい、急須とスコアのダジャレなのですが」


「そんなことは聴いていません。さくさく参りましょう」


「はは、すみません。会員のみなさまのランクのようなものですね」


「ランクですか。それは、Matchargeマッチャージを利用すればするほど上がっていくようなものですか?」


「はい、それもあるのですが、いくつかの質問に答えてたり、SNSと連携していただいたりすることで、お客様のランクを精密に設定させていただきます。主に、社会的な立場、責任の大きさと、人柄の良さをランクに反映します」


「なるほど、それでランクの高い方には、お得なサービスがあると」


「それはそうなのですが、ランクが低い方だって、好きでそうなったわけではないですよね。だから、そちらはそちらで、ランクの高い方とは別の優遇策が用意してあるのです」


「ほほう、それはどういった形で?」


抹茶味マッチャアジでは、よそ様の食品や、その他あらゆる商品を扱っています。


 ですが、もともとうちは、お茶の農家なんです。茶葉を使った自家製の食品を提供するために立ち上げたのが、抹茶味マッチャアジなのです。


 『美味しいお茶を味わってほしい』。その理念に立ち返れば、自社製品の価格など、如何様にも設定できます。


 そこで、ランクが低い、社会的に立場が弱い方には、自社製品を可能な限り、お安く提供させていただきたいのです」


「なるほど。でもそれだと、ランクの高い方が損をするのでは?」


「いえ、ランクの高い方には、他社様の製品をお安く提供いたします。そちらは、他社様にも協力していただきます。


 そうやって、ランクの高いお客様に沢山ご利用いただいて、経済を回していただくのです。


 そうすれば、ランクが低い方々にとっても、良い社会になってゆくのではないかと考えています」


「それは素晴らしい発想ですね。社長のお考えは大変立派だと思います」


「ありがとうございます」


「さて、そんな社長ですが、これからのMatchargeマッチャージの展望などを語っていただけますでしょうか?」


「はい。先程、『素晴らしい発想』とお褒めに預かりましたが、発送も素晴らしくしたいと考えています」


「は?」


「ははは、すみません。何言ってるかわかりませんよね。うちでは元々、茶畑に霜が降りないようにするためのファンを自社開発していたのですが、その技術を応用して、現在ドローンの開発をしています。お客様への商品の発送に、ドローンを使おうと考えました」


「そうですか。でも、この国ではなかなかドローンが普及しないと言われていますよね。どうしてでしょうか?」


「それは、ドローンの安全性に、まだ不安があるからでしょう。安全で、もしもの事態に即座に対応できる配達ルートが計算できれば、ドローンの活用も活発になりますよ。ですから、現在、ドローンを制御するAIの開発をしているのです」


「そうでしたか。それは大変期待が持てますね! これからの社会のためにも、葉月ハヅキ社長には頑張っていただきたいと思います。


 葉月ハヅキ社長、本日はありがとうございました」


「ありがとうございました」


 画面の中の二人がお辞儀をすると、番組は終了して、スポンサーのテロップが映る。


「この番組は、『株式会社 月葉ゲツヨウ』の提供でお送りしました」


 私はそれを見て呆れかえった。


「なんだ、ただのコマーシャルじゃん。くだらな……」


 私は、ディスプレイをゲームに戻し、再びダンジョンへと潜ることにした。


 そうして、私は日がな一日ゲームをして、澪織ミオリは私の生活の面倒を見る。それが日常となった。しかし、それにも少しずつ異変が訪れる。


「ただい……」


 季節は10月半ば。夕刻、玄関の方からドサッという音がする。なんとそこには澪織ミオリがうつ伏せに倒れているではないか。


「だ、大丈夫っ!? 澪織ミオリ!」


「大丈夫です。少し疲れただけですので。さ、夕飯にしましょう」


 両手をついて立ち上がろうとする澪織ミオリに、肩を貸しながら私は言った。


「そんな、無理しちゃダメだよ。今日はもう横になろう?」


 普段、澪織ミオリは押し入れから布団を出して寝ていたが、その日は私のベッドを澪織ミオリに譲ることにした。


「ありがと。ごめんね」


「いいから、もう目を閉じて」


 澪織ミオリは私の言う通り目を閉じた。しかし、その鼻はひくひくと動いていた。


「ど、どうしたの? 私のベッド、臭い?」


「あ、ううん、海果音ミカネのいい匂いがするよ」


 澪織ミオリの口調は、いつの間にか昔に戻っていた。


「ううう、そんなこと言われるとちょっと」


 澪織ミオリは私の言葉を聞かず、掛布団に潜り込んだ。私は慌てて次の声をかける。


「えっと、息しづらいでしょ? 顔出しなよ」


 すると、澪織ミオリは目から上だけを出して、私をうっとりと見つめながら呟いた。


「ねえ、海果音ミカネ、いつもここでしてるの? スマホでえっちな画像見てるでしょ?」


 私は心臓が飛び出すかと思った。


「そ、そんなこと、ななななないよ!」


 図星だった。澪織ミオリは少し笑いながら続ける。


「そうなの? この匂い、そうなのかなって思ったんだけどな」


澪織ミオリがそう思うなら、そうなのかもしれないけど……」


 私は顔を赤らめながら、目を背けた。


「ふふ、海果音ミカネ、欲求不満なら、私が解消してあげるのに」


「ななななに言ってるの? 早く寝た方がいいよ!」


 私は苦し紛れに後ろを向きながらそう言った。澪織ミオリからの返事はない。私はゆっくりと彼女の方に向き直る。


「すー……すー……」


 澪織ミオリは既に意識を失っていた。相当疲れがたまっていたのだろう。そりゃあんなことを口走るくらいだ。そして、私の心には大きな不安が残った。


「私がネットで何を見てるのか、筒抜けになってるってこと?」


 その答えは翌日、いつもは澪織ミオリが使っている布団から、私が起きた時に明るみになった。


「あ、澪織ミオリ、おはよう」


 澪織ミオリは何故か私の枕元に正座をしていた。


「おはようございます、海果音ミカネ様。昨晩はベッドを貸してくださいまして、ありがとうございます」


「ううん、もう身体はいいの?」


「はい、お陰様で。それで、その、昨晩は変なことを言ってしまい、申し訳ありません」


「そのことね……あはは」


 私は無理に笑ってみるが、その声は震えていた。


海果音ミカネ様がどんなサイトを見ていようが勝手ですよね。ですが、私としては心配でして、履歴を拝見していました」


「あ、ああ、そうなんだ……」


「はい。ともかく、気にしないでください」


「う、うん、わかったよ」


 気にしないことなんて不可能だと思った。その時、私の胸の鼓動は高鳴り続けていた。


「しかし、さすが海果音ミカネ様ですね。リンクを辿るだけであんなサイトまで行けるなんて」


「うう、ごめん。褒めてるつもりかもしれないけど、それ以上言わないで」


「わかりました。このことは私の胸にしまっておきます。だから海果音ミカネ様も……」


「わかった。昨日、澪織ミオリが言ったことは忘れるから」


「よろしくお願いします」


 澪織ミオリは深々と頭を下げた。その後、私は彼女のことを、ネットニュースのリンクを辿って調べてみた。なんと、彼女はその10月から、24ものアニメにレギュラー出演していたのだ。その上、彼女は星神輿ホシノミコシグループの総裁としての活動や、ボランティア活動にも精を出していた。そんな彼女が過労で倒れたのは、当然のことだったのだ。


 しかし、澪織ミオリが私に弱音を吐いたことはなかった。彼女は忙しい日々を過ごしながらも、充実を感じていたのだろう。


 それから私は、できるだけ家事を担当することにした。掃除や洗濯、冷蔵庫の余りものを使った料理など、できるだけ澪織ミオリに負担をかけないように振る舞った。

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