第33話 もう何もいらない

 そして、季節は流れ、12月となった。街はクリスマスの装いに変わったが、すっかり引きこもりとなった私には、関係のないことだった。私にはもっと大切な記念日があったのだ。


(12月25日、澪織ミオリの誕生日……)


 高校時代の思い出が蘇った時から、私はその日を意識していた。問題はどんなプレゼントを渡せばいいか、そのことに尽きる。財布もカードも止められた私に、プレゼントを買うことなどできないのだ。


「あ、そうだ!」


 私は独りの部屋で声を上げ、パソコンでMatchargeマッチャージを開いた。以前、抹茶味マッチャアジだった頃に獲得したポイントが残っているだろう。パソコンにはパスワードが記憶されていたため、難なくログインすることができた。しかし――


「あれ? 何この質問」


 画面には「お答えください」と表示されている。それは、以前ニュースで見た、会員のランクを決めるための質問群であった。私はしぶしぶ選択肢を選んでいく。


「職業は、無職…… SNSは、やってない。そもそも文字が入力できない。…… 趣味は、今はゲームかな」


 そうやってマウスをカチカチしていると、自分が置かれている状況を思い知る。


(こうなったのも、全部私が悪いのかな……あっ!)


 その時、私は重大なことを思い出した。


「サイトの閲覧履歴、澪織ミオリに筒抜けになってるんだった!」


 私が叫んだ時、画面には私のQスコアが表示されていた。その結果は――


「1024点中、2点!?」


 それは、私に自分の身の程を知らしめる数字だった。そりゃそうだ。仕事もしてない人間に、社会的な立場など存在するはずもない。


「はあ……」


 私はサイトを閉じてため息をついた。しかし、私は諦めなかった。


(どうにかして澪織ミオリにわからないように、プレゼントを買えないものかな?)


 そうして辿り着いた結論は、大変情けないものだった。


「街を歩いて、小銭を拾って、それで何か買えばいいんだっ!」


 それが私にできる精一杯、そう考えていた。12月25日、澪織ミオリの誕生日当日。相変わらず多忙を極める澪織ミオリは、朝早くから仕事に出掛けていった。私はゆっくりと起き出して、街へ繰り出すことにした。


「うう、寒っ……」


 澪織ミオリが買ってくれたダッフルコートに身を包み、自販機の下などをまさぐる私。12月24日にはハメを外す人が多く、お金を落とすことも多いだろうと私は睨んだのだ。100円でもいい。何か買って渡してあげたい。私の澪織ミオリへの想いは、その一心だった。


(しかし、バレないようになんて考えなくてもよかったかもな。落ちてる小銭じゃ、のど飴くらいが関の山だよ)


 私はそんなことを考えながら、這いつくばって小銭を探し続けた。しかし、そうそう小銭など落ちていないものだ。キャッシュレスが当たり前になりつつある社会の中で、小銭を落とすなどというドジを踏む者は、ごく少数だったことだろう。


 ストレスのない生活を送っているが故に肌艶が良く、上質なコートを着た女性。そんな私が自販機の下を覗いていても、街ゆく人々は一顧だにしなかった。


 そうして私は、小銭を探しながら、数駅分の距離を歩いていた。


「はぁ、はぁ、ここまでで集まったのはたったの15円。五円玉ってなんなの? 自販機で使えないのに、なんで自販機の下に落ちてるのぉ?」


 私は駅前のベンチに腰を掛けた。空を見ると日は暮れかけている。途方に暮れるとはこのことなのだろう。そう考えていると――


「あの、顔色が悪いみたいですが、大丈夫ですか? って、日向ヒナタ? お前、日向ヒナタじゃないか!」


「あ、え? あっ! ああーっ! さ、坂上サカガミさん!? なんでここに!?」


 声を掛けてきたのは私が勤めていた会社の上司、坂上サカガミであった。


「なんではこっちが聞きたいよ! あそこ、うちの会社だぞ?」


「え、見覚えがあると思ったら、そうだったんですね。と、いうことは、5駅分も歩いたってこと?」


「何言ってんだお前? しかし、急に退職代行を使って辞めやがって。心配したんだぞ。まぁ、元気そうで良かったよ」


「あー、それには深い訳がありまして、話せば長く……はぁ」


「って、あんま元気じゃないか。はは、いやしかし、もう会わないかと思ってたんだがな。色々事情があるだろうから詮索はしないが、挨拶くらいよこして欲しかったな」


 私はとてもバツが悪そうに、頭を掻きながら答えた。


「いや、ホント申し訳ありません。そう、色々事情があったんです。私にはどうにもできない事情が」


「それで、今日はどうしたんだ? 戻ってくる気になったのか?」


「いえ、そういう訳じゃないんですが、ちょっと歩いてて、気付いたらここに居ました」


「歩いて? 虚弱体質の日向ヒナタがこの寒空の下を? 冗談はやめてくれよ」


「いえ、本当なんです。でも、どうしてこんなことになったのか」


「てかお前、もうくたくたじゃないか。歩いて帰る気じゃないだろうな?」


 私は、そこから家まで歩くことを考えて青ざめた。


「いえ、絶対に無理です!」


「まあ、当然電車で帰るよな。寝過ごさないように気を付けろよ」


「いえ、電車に乗るお金がありません」


「マジか。お前どうしてそんなことになってるんだよ」


「私にもわかりません。私はこれからどうすれば」


「……ったく、しょうがねえな」


 上司は上着のポケットから財布を取り出すと、その中から五百円玉を差し出した。


「これで帰れるだろ? 風邪引かないようにな」


「え? 貸していただけるんですか」


「貸す? はっはっは、日向ヒナタに収入があればな」


「収入? ありません」


「えっ、冗談のつもりだったんだが、本当にそうなのか。じゃあどうやって生活してるんだよ」


「それは事情があって、とにかく大丈夫です」


「お前、事情事情って、そればっかりだな。まあいいよ、それは無期限で貸しておいてやる」


「いいんですか?」


「ここで何もしなかったら俺は人でなしになっちまうからな」


「あ、ありがとうございます。このご恩は必ずお返しします」


「おう、わかった。楽しみにしてるよ」


「では、私はこれで」


「ああ、元気でな。たまには連絡よこせよ」


「はい。本当にありがとうございます」


 そうして私は元上司と別れて駅に向かった。私は切符を買うと、自動販売機から出てきたお釣りを見て、その日の目的を思い出した。


(あ、そうだ、このお金があれば、お菓子くらい買えるよね。やっぱりのど飴にしよう。澪織ミオリ、声優のお仕事大変そうだし)


 お釣りを握りしめた私は、駅の売店へ走り、のど飴を買った。そして、それをコートの内ポケットにしまい、電車に乗って自宅の最寄り駅まで揺られる。私が駅の改札から出た時には、空はすっかり真っ暗になっていた。


(こんなに歩いたのは初めてだ。もう変なことは考えないようにしよ)


 しかし、内ポケットに収まったのど飴のことを思うと、暖かい気持ちになってくる。いつも世話になっている澪織ミオリに、ほんの少しだけどお礼ができる。それが純粋に嬉しかったのだ。私は自宅に向かって歩き始めた。その時、私は肩を叩かれる。


「は、はい」


 私は裏返った声を上げて振り返った。そこに居たのは、黒いコートに身を包み、サングラスをかけた男性二人組だった。


「あの、どちら様ですか? えっと、どこかでお会いしましたっけ……」


 ――その頃、澪織ミオリはアニメのアフレコ収録を終え、帰路に就こうとしていた。


「お疲れ様でした。……ゴホッ!」


澪織ミオリちゃん、大丈夫? 最近頑張りすぎてるんじゃない?」


「あー、いえ、ゴホッ! だ、大丈夫です。ちょっと冷えちゃいましたかね。今日は家で暖かくしてゆっくり寝ます」


「そうだね。今、澪織ミオリちゃんが休んだら、いくつも番組が飛んじゃうからさ。代役探すのも大変だしね」


「そんな縁起でもないこと、言わないでください。大丈夫です。私、鍛えてますから!」


「ははは、まあ体には気を付けてね。また来週!」


「はい、それではまた」


 澪織ミオリは足早に私のマンションを目指す。


「ゴホッ! ゴホゴホッ!」


 真っ暗な寒空の下、澪織ミオリは震え上がりながら歩く。口からは白い息と声をこぼしていた。


「はぁ、はぁ、遅くなっちゃった。海果音ミカネ、大丈夫かな。お腹すかせてるよね。急がなきゃ……ゴホッ!」


 しかし、澪織ミオリの身体は思うように動いてくれない。少し歩くとすぐに息が上がり、意識が朦朧とする。


「今までこんなことなかったのに……私は休むわけにはいかないんだ……私が居なくなったら……星神輿ホシノミコシノ会が……また神主AIの出番になるのかな……はは……でも……私は……私が居なくなったら……海果音ミカネが……ねえ……海果音ミカネ……私のしてることは人のため……あなたのためになっているのかな? ねえ……教えてよ……海果音ミカネ……ゴホッ! ゴホッ!」


 澪織ミオリにとって、その道のりは果てしなく長かった。私を思う気持ちが、辛うじて彼女の足を動かしていた。そして、その口はうわ言のように私の名前を呟き続ける。


海果音ミカネ……今までごめんね……ひとりにしちゃって……辛い想いをさせて……ごめんね……海果音ミカネ……私は……海果音ミカネが……あなたが居れば……もう……何も……いらないよ」


 音も無く降り始めた白い粒は、その年の初雪だった。よろけて横たわった澪織ミオリの身体を、雪が薄っすらと包み込んでいった。

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