第36話 女優の端くれですから

星宮ホシミヤさん!」


 幽霊のような、青い光を放つ存在と対面していた澪織ミオリを呼んだのは、看護師の女性の声だった。驚いた澪織ミオリは、扉へと振り向く。


「こんなところで何をしてるんですか!?」


「えっと……」


「もう、病衣だけで出て行くなんて、風邪を引いてしまいますよ!」


「……すみません」


 澪織ミオリはそれとなく屋上を見回すが、青い光を放つ存在は消えていた。澪織ミオリは看護師に促されて病室に戻る。


(あれは、やっぱり幻だったのかな)


 しかし、幽霊目撃談は、その後も絶えることがなかった。その上、見た人によって証言が異なるという、不可解な状況となってゆく。ある者は半袖短パンの男の子を、ある者は麦わら帽子をかぶった白いワンピースの少女を、その目で見たというのだ。そして、病院に幽霊が集団で住み着いているかのような噂が広がって行く。


 数日後、澪織ミオリが窓の外を見ると、病院の門の前に、胸にプレートを下げた女性が立っていた。プレートには、「私はここで子供を亡くしました」と書かれている。その女性は訴えかけるように、日が暮れるまでそこに立ち続けていた。


 次の日になると、病院の前の人が増えている。その後も、日に日に人が増え続け、白昼堂々声を上げる者まで現れ始めた。


「死んでいった子供たちに謝れ!」


 そして7月、百人に近いデモ団体が、病院の前を埋め尽くす。人だかりの中には、関係ない病院で我が子を亡くした親も、多数混ざっていたようだ。それは、車や人の出入りに支障をきたすほど、膨れ上がっていた。


「子供たちを返せー!」


「子供たちは今でも苦しんでいる! この病院は呪われているんだ!」


 澪織ミオリは病室から、彼らの姿を悲痛な面持ちで眺めていた。止むことのない声は、院内まで不快に響き渡る。警備員も彼らの剣幕に押され、有効な手立てが講じられない。そしてしばらくすると、デモ団体の前に、白衣の男性が現れた。


「みなさま、申し訳ありませんが、もうこのようなことはおやめください」


 それは、大地ダイチ院長だった。彼はデモ団体のひとりひとりに頭を下げている。


「じゃあ、私たちの子供を返してくれるのか? 幽霊になって出るほど苦しんでいるんだぞ?」


「申し訳ありません」


 院長は謝罪することしかできなかった。その姿を病室から見ていた澪織ミオリの頭に、どこからともなく声が聴こえる。


「すまない。君の身体を貸してくれ」


 澪織ミオリは、声の主が屋上で会った子供のものだと確信した。すると、身体が自然に動き始め、澪織ミオリは病室を飛び出す。彼女の身体は、廊下を抜け、階段を駆け降り、病院の玄関までやってきた。


「この通りですから、後日、皆さまに説明に伺いますので、今日のところはこれで……」


 院長は地面に膝をつき、額を下げようとしていた。


「待ってください!」


 澪織ミオリがそう叫んだ。喧噪を穿つような声に、院長も、デモ団体の親たちも、澪織ミオリに視線を集中させた。


「私が、悪かったんです……先に逝ってしまって、ごめんなさい」


 深く頭を下げる澪織ミオリ。その意外な言葉に、親たちは当惑する。そして彼らは、信じられない光景を目の当たりにするのだった。


「ヨシミ……」


「カズオ!」


「……タカコなのか?」


 親たちは涙を流した。そのうち数人は、膝から崩れ落ちていた。彼らは皆、澪織ミオリの姿に我が子の面影を重ね、澪織ミオリの声に我が子の言葉を聴いた。それは、気のせいでは済まされない、とてもリアルな感覚だった。我が子を前にした錯覚に、親たちは激しく心を揺さぶられた。


 ――そして、それは院長にとっても同じことだった。


悠季ユウキ……悠季ユウキなんだな? すまなかった」


 院長にとって、澪織ミオリの姿は、愛娘が大人に成長した姿そのものだった。院長の謝罪に澪織ミオリは、いや、澪織ミオリの身体を借りた彼女が応える。


「お父さん、ボクの方こそごめん。生きられなくてごめん」


「な、何を言ってるんだ、悠季ユウキ、お前は私のミスで」


「どうにもならないことはあるんだ。それは仕方ないことなんだよ。それに、お父さんはミスした訳じゃない。ボクは生まれつき身体が弱かったからね」


 その言葉を聞いた院長の涙腺は、あっさりと決壊した。彼は、白衣の袖で涙を拭い、かぶりを振る。


「だとしても、お前を置き去りにして私がのうのうと生きているなんて、やっぱり許されることじゃなかったんだ。だから、こうして皆さんが」


「でも、救えた命もあったんでしょう? この病院は緊急を要する患者を多く受け入れ、救うために最善を尽くしている。だから、ここで失われる命があるのは仕方がないことだよ」


「だが……」


「そうするようになったのは、ボクを失ったからなんでしょ? それで失われてたかもしれない多くの命を救った。それはお父さんが誇っていいことなんだよ」


「お前には、何もしてやれなかった」


「ううん、ボクは嬉しいんだ。お父さんの役に立てて。ボクは居なくなってしまったけど、それでお父さんはより強く、優しく、そして優秀な医者となった。それが嬉しいんだ。だから、ボクはそれで満足だから。もう、苦しまないで。自分を責めるのはやめて!」


悠季ユウキ!」


 院長は大地ダイチ 悠季ユウキが憑依した、澪織ミオリの身体を抱きしめた。


「もう泣かないで。みんなもわかってくれるから」


悠季ユウキ、ありがとう……」


 院長の気持ちが伝搬したように、デモ団体の親たちは、我が子に謝罪と感謝の声を上げる。


「許してくれるのか、この私を……」


「ありがとう。こうやってまた会えるなんて……」


「もう、あなたも私も、苦しまなくていいんだね……」


 その時、院長を含め、親たちは皆、亡くした我が子と邂逅かいこうしていた。そして、罪悪感を吐き出し、想いを断ち切って、前を向くことを決めたのだ。


「……星宮ホシミヤさん?」


 我に返った院長に、澪織ミオリは優しく声をかける。


「院長、お察し致します」


「ありがとうございます……」


 そうして、不思議な体験をした院長とデモ団体は、互いに謝罪を交わしながらその場所を後にした。


 そんな騒動があった日の夜、澪織ミオリは再び屋上へと向かった。扉を開けると、そこには青く光る子供の姿があった。


大地ダイチ 悠季ユウキさん、あなたの計画、うまくいったようですね」


「ああ、いろいろと煩わせてしまい、すまなかった。元はと言えば、ボクが出現したことが、この病院に人の意識を呼び寄せた原因だ。しかし、ボクひとりではどうにもできなかった。落とし前をつけることができたのは、キミのお陰さ」


「私も、人の役に立てて嬉しいです」


「ありがとう、そう言ってくれると助かる。だが、ボクはキミを利用したに過ぎないよ」


「そうするより方法がなかったんでしょう?」


「ああ、そうだ。キミはボクと意思疎通ができたからね。念動力を理解すれば、その力が利用しやすくなると考えたんだ。思いのほか長い話になって、退屈させてしまったかもしれないけど」


「いえ、非常に興味深いお話しでしたよ」


「キミが、あんな突拍子もない話を信じてくれる人でよかった。それに、キミの演者としての能力も好都合だった」


「私、これでも女優の端くれですから」


「いやあ、謙遜することはない。超一流だよ。お父さんも、他の親御さんたちも、その演技に騙されたんだからね。ははは」


「ふふふ」


 二人はその時初めて心から笑い合えた。しかし、それも束の間、悠季ユウキは真剣な目で澪織ミオリに語り掛ける。


「さて、そろそろお別れだ。もう意識の力が離散し始めてるからね。お父さんと親御さんたちは現実を受け入れ、想いを断ち切ることができた。だからボクはもう、消えなければいけないんだ」


「そうですか。では、最後に訊いていいですか?」


「ん、なんだい?」


「私がこの世界に蘇ったのも、あなたの計画のうちだったのですか?」


「違う、全くの偶然だったよ。でもそれが好都合だったんだ。ボクが、お父さんとこの病院を守るためにね」


「では、なぜ?」


「詳しいことはボクにもわからないね。でも」


「でも?」


「ボクはもう行くよ。そうだ、キミにも守りたいものがあったんじゃないのかい?」


「守りたいもの?」


「ボクからもよろしく言っていたと伝えておいてくれ……と、せっかちな人だな。ははは」


 悠季ユウキが話し終わるのを待たずに澪織ミオリは走り出していた。その足が向かった先は――


(なんで、なんでこんなに大事なことを忘れていたんだろう)


 澪織ミオリの肉体は、リハビリの成果を遥かに超える能力を発揮した。そして、走り続けた末に、あのマンションの扉の鍵をこじ開けていた。


海果音ミカネ!」


 しかし、私の部屋には誰も居なかった。

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