第35話 虚構を現実にする力
4月、リハビリのため、病院内を車椅子で徘徊するようになった
「昨日、トイレに行ったときに見たのよ」
「うっそー、目が悪くなったんじゃない?」
「あはは、でもね、本当に見たのよ。青く光る子供だったわ」
いわゆる幽霊の話題だ。超常現象を信じていなかった
「たすけて……」
5月、草木も眠る丑三つ時、
(……ふぅ、ただ単にトイレが近かっただけか。歩くだけでも一苦労だから、億劫になってるなぁ)
用を足してトイレを出る
(あれは?)
階段の下に、ほのかな青い光を見つける。
(待って、あなたはもしや……)
(気のせいだったのかな)
――しかし、6月にもなると、病院の噂はニュースやネットまで賑わすようになる。病室の
(『この病院は未成年の死亡率が高い』って、そんなの……)
世話になっている病院への疑惑に、憤りを覚える
「
不快感を断ち切ったのは、落ち着きのある暖かい声。
「以前に比べると、身体を動かすのが大分楽になりました」
「それは良かった。リハビリも順調ですから、退院も近いですな」
「それより、院長こそ、心労が溜まってらっしゃるのではありませんか?」
院長は少し困ったような表情を浮かべると、照れたように口を開く。
「ああ、いえ、そう見えますか? いやあ、患者さんの前で、疲れは見せちゃいけないと思ってるんですがね」
「やはり、噂のことですか」
「まあ、今に始まったことじゃありません。
「人の噂も七十五日と云います。しばらくすれば収まりますよ。それに、本当に幽霊が出るんだったら、私も祖父に会っているはずでしょう?」
「そ、そう言われればそうですな。もし、幽霊が出るんだったら……私も娘に会って、何もできなかったことを詫びたいものです」
「院長、それは……」
「ああ、いえ、すみません。昔のことですから、気にしないでください」
「変な冗談を言ってすみません。とにかく、院長が
「ありがとうございます。しかし、患者さんに慰められるとは、お恥ずかしい限りですな」
「慰めるだなんてそんな、院長には返しきれない御恩がありますから」
「たすけて……」
午前4時、
「そんな悪戯をして、あなたは誰なの?」
「待って!」
思わず大声を上げる
「はぁ……はぁ……」
「あの人、どこに行ったんだろう」
「こんな時間まで働いてる人がいるんだ。あの子もそうだった」
しかし、
「その人のことが、気になるんだね」
「あなたは?」
「やあ、キミのお察しの通り、ボクが噂の幽霊ってやつだ。よろしくね」
それは、屋上の手すりを背もたれにしていた。姿は10歳ほどの子供のようだ。髪は短く水色で、ツンツンと跳ねている。瞳は澄んた琥珀色。病衣を纏った身体全体を、青い光が覆っていた。
「幽霊って、本気で言ってるんですか?」
「キミはボクがただの不法侵入者に見えるのかい? こんな子供が夜の病院に忍び込むなんて、あり得ないだろう?」
「幻覚ですか。私は精神に異常をきたしてしまったのですね」
「フフフ、キミの肝っ玉はそんなにヤワじゃないだろう?」
「では、あなたの存在は現実だと?」
「そうだよ。僕は物理的に存在する」
「そんなオカルト……」
「あるんだよ。ボクはキミに助けてほしいんだ。まずは話を聞いてくれないか?」
「……伺いましょう」
「その様子だと、まだ疑ってるみたいだね。無理もないことだ。ボクのような存在と言葉を交わすことなんて、あってはならない。でも、キミはボクを明確に認識している。それは、キミがこっち側に来てしまったからなんだ」
「あの世とか、そういうことですか? それとも夢の世界?」
「どっちでもないよ。ここはキミが生きている世界だ。ただ、ボクがこの世界において、ルール違反の存在というだけでね。そして、キミもすでに、ルールの外にいる」
「この世界のルール、物理法則のことですか?」
「ご名答。ボクは物理法則を捻じ曲げて存在している。キミも同じだ」
「私も幽霊になったってことですか?」
「いや、ボクは肉体を持っていないから幽霊と言えるが、キミは肉体を持っている」
「では、私は今、どんな状態なのでしょう?」
「説明しよう。いいかい? この世界を制御する物理法則は、生物の無意識の働きを支配している。そして、無意識は生物の行動を司っている」
「生物は、自分の意思で行動しているのではないのですか?」
「いや、すべての行動は、無意識が決定している。意識は行動に対して、自分を納得させる、もっともらしい理由をこじつけているのさ」
「先に無意識の決定があるんですね。では、生物はみな、自分で考えて行動していると錯覚しているだけなのですか」
「ほとんどそのようなものさ。しかし、実験してみると、自由意思は存在しないと教えられた人間は、自分の行動に責任を持たず、反社会的になった。これにより、意識が行動に影響を及ぼすことが証明された」
「無意識の決定のあとに、意識が働くということですか?」
「そう。だが、できるのは、動かそうとした手や口を止めることくらい。でも、その動きは物理法則では予測不可能なんだ」
「意識だけは、物理法則に支配されていないということですか」
「その通りだ。それと、意識はこの世界の外に存在する」
「世界の外?」
「意識は外からこの世界を観測している。ひとつの生物にひとつずつ意識は存在するんだ」
「まるで、ネットゲームのプレイヤーのようですね」
「そうだね。意識は、無意識の命じるままに振る舞う身体に、抵抗を覚えたんだ。そして、物理法則が支配するこの世界に、干渉し始めた」
「無意識の振る舞いは、不快なものだったのでしょうか?」
「そうさ。特に、『闘争』が気に入らなかったんだ」
「闘争は生物の本能で、物理法則に仕向けられものなのですね」
「そう。物理法則は、この世界の熱循環システムが停滞しないように、生物同士を争わせる。誕生と死によって生まれるエネルギーは、この世界を支えているんだ」
「意識にはそれが耐えられなかった……では、どうやって意識はこの世界に干渉するのでしょう?」
「念動力で、この世界の物理法則を捻じ曲げるんだ」
「人が持つ念動力は、自由自在にこの世界を変えられるのですか?」
「普通の人間にできるのは、脳に微弱な電流を発生させることくらいさ。その電流が筋肉に作用して、行動を変化させる」
「なるほど、そういうことですか。では、人間以外の生物も念動力を持っているのですか?」
「持っているが、人間よりも遥かに微弱だ。人間だけが得意なことがあるだろう? 虚構を信じることだ」
「念動力は、虚構を現実にする力ですか」
「そうだ。ボクはその力の集合体なのさ。ボクは、ある人物の、『亡くした我が子を想う心』から生まれた。そして、同じように子供を亡くした、他の親たちの思いも集中した。それは巨大な力となり、物理現象になって、ボクは目撃されるようになったというわけさ。すべては生きている人間の力によるものだ」
「そうですか。では、私にも誰かの想いが集中しているということですか?」
「そう。そのために、キミは一度命を落としている。意識の力が集中し過ぎると、無意識の活動が低下し、呼吸や自律神経の働きに支障が出る。だから、普通は意識の力に押し潰されて死んでしまうんだ」
「なぜ、私の身体に意識の力が集中したのですか?」
「それはね、キミが神に仕える神主の家系であり、巨大な組織の総裁だからだよ。キミの立場は、意識の力を集めるのに非常に適している。それに、キミが声優であるということも重要だ」
「アイドルみたいなものだからですか?」
「まあ、端的に言ってしまえばそうなんだけど……キミは、自分が出演しているアニメが、どういう層に人気があるのか、知っているかい?」
「二次元の女の子が好きな、大人の男の人たちです」
「そう、いわゆるオタク層に人気がある。なぜそういう人が、二次元の女の子が好きなのか、わかるかい?」
「……あまり、考えないようにしています」
「ははは、それは賢明なことだね。でも、多分キミが薄々感じてることと少し違うんだ。いいかい? 物語の登場人物というのは、人間としての情報量が少ない。まあそれでも、物語の部品として機能を果たすから、それでいいんだ。だけど、オタクたちはキャラクターに足りない情報を、自分の内面で補うんだよ。もちろん、キャラクターに共感できればの話だけど、オタクは二次元の美少女に、自分を投影するんだ」
「そんな……」
「そして彼らは、心身共に美しい少女に感情移入して、一緒に何かを成し遂げることで、やり場のない想いや、不甲斐ない自分への苛立ち、罪悪感を発散させるんだ。オタクたちは二次元美少女と言う巫女に、魂を浄化してもらっているようなものなのさ」
「罪悪感とは、呪いのようなものですね」
「そうだ。数々の美少女の魂を務めてきたキミは、オタクたちの意識の力、呪いを集めてしまったんだ。キミが一度死んだのは、彼らの力によるものだ」
「自分の状況がわかりました。でも、一度死んだのに蘇ったのは?」
「それはキミが、他人の意識の力を自分のものにして、強力な念動力で、無意識の機能を模倣しているからだよ」
「そんなことが可能なのですか?」
「それだけの力を発揮できるのは、キミが特例中の特例だからだ。それに、キミには戻ってくる理由があったんだよ」
「理由?」
「心当たりはないのかい?」
「わかりません」
「そうか、まあいい。でも、覚えておいてほしいのは、念動力には際限がないということだ。その力は、この世界を破壊することも、新しい世界を創造することもできるだろう」
「……いいでしょう。わかりました。では、あなたの目的はなんなのですか?」
「ふ、それはね……」
子供は目を閉じ、一呼吸おいてから口を開く――しかし、その声は
「
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