第35話 虚構を現実にする力

 4月、リハビリのため、病院内を車椅子で徘徊するようになった澪織ミオリは、他の患者たちの間に流れる噂を耳にする。


「昨日、トイレに行ったときに見たのよ」


「うっそー、目が悪くなったんじゃない?」


「あはは、でもね、本当に見たのよ。青く光る子供だったわ」


 いわゆる幽霊の話題だ。超常現象を信じていなかった澪織ミオリは、それが患者たちの暇潰しだと、高をくくっていた。しかし――


「たすけて……」


 5月、草木も眠る丑三つ時、澪織ミオリはかすかな声を聴いて目を覚ました。彼女は気のせいだと自分に言い聞かせる。だがそれでも、引き寄せられるように、廊下へと出る。筋力を取り戻しつつあった脚を、精一杯動かして――


(……ふぅ、ただ単にトイレが近かっただけか。歩くだけでも一苦労だから、億劫になってるなぁ)


 用を足してトイレを出る澪織ミオリ。病室に戻ろうとした彼女は、廊下の奥に気配を感じた。


(あれは?)


 階段の下に、ほのかな青い光を見つける。澪織ミオリは自然とそれに向かって歩くが、光は段々と弱くなり、消えてしまうのだった。


(待って、あなたはもしや……)


 澪織ミオリは何かを思い出しかけるが、光が消えると共に、曖昧な記憶も雲散霧消うんさんむしょうした。


(気のせいだったのかな)


 ――しかし、6月にもなると、病院の噂はニュースやネットまで賑わすようになる。病室の澪織ミオリは、その様子をスマホで追っていた。


(『この病院は未成年の死亡率が高い』って、そんなの……)


 世話になっている病院への疑惑に、憤りを覚える澪織ミオリ


星宮ホシミヤさん、お加減はいかがですかな?」


 不快感を断ち切ったのは、落ち着きのある暖かい声。澪織ミオリの病室に大地ダイチ院長が現れた。


「以前に比べると、身体を動かすのが大分楽になりました」


「それは良かった。リハビリも順調ですから、退院も近いですな」


 澪織ミオリは院長の優しい表情の奥に、ほんの少しの陰りを感じた。


「それより、院長こそ、心労が溜まってらっしゃるのではありませんか?」


 院長は少し困ったような表情を浮かべると、照れたように口を開く。


「ああ、いえ、そう見えますか? いやあ、患者さんの前で、疲れは見せちゃいけないと思ってるんですがね」


「やはり、噂のことですか」


「まあ、今に始まったことじゃありません。星宮ホシミヤさんもご存知でしょう。幽霊を見たなんて方もいます」


 澪織ミオリは、廊下で見たもののことは胸の奥にしまい、院長を気遣う。


「人の噂も七十五日と云います。しばらくすれば収まりますよ。それに、本当に幽霊が出るんだったら、私も祖父に会っているはずでしょう?」


「そ、そう言われればそうですな。もし、幽霊が出るんだったら……私も娘に会って、何もできなかったことを詫びたいものです」


「院長、それは……」


「ああ、いえ、すみません。昔のことですから、気にしないでください」


「変な冗談を言ってすみません。とにかく、院長がそしりを受けるようなことはありません」


「ありがとうございます。しかし、患者さんに慰められるとは、お恥ずかしい限りですな」


「慰めるだなんてそんな、院長には返しきれない御恩がありますから」


 澪織ミオリの言葉に、院長の表情は和らいだ。だがその夜、彼女は常識を覆される出来事に遭遇する。


「たすけて……」


 午前4時、澪織ミオリは胸騒ぎで目を覚ました。彼女は廊下に出るとすぐさま、階段の下に視線を向ける。そこには、またしても青い光が漂っていた。


「そんな悪戯をして、あなたは誰なの?」


 澪織ミオリは恐る恐る光に近付いてゆく。すると、光は階段を登るように移動を始めた。


「待って!」


 思わず大声を上げる澪織ミオリ。彼女はリハビリで取り戻した脚力で、屋上への階段を登り始めた。見上げると、扉がひとりでに開いて、光は屋上へと消えてゆく。


「はぁ……はぁ……」


 澪織ミオリは息を切らして階段を登りきった。しかし、見渡してもさっきの光はどこにもない。屋上から街を見下ろすと、夜景が美しく輝いていた。


「あの人、どこに行ったんだろう」


 澪織ミオリはそう呟きながら、手すりに手をかけた。そして、街の灯を見つめながら、思いを馳せる。


「こんな時間まで働いてる人がいるんだ。あの子もそうだった」


 しかし、澪織ミオリは自分が口にした「あの子」が誰なのか、思い出せなかった。


「その人のことが、気になるんだね」


 澪織ミオリは横から呼びかけられた。それは、少年とも少女ともつかない透明感のある声。澪織ミオリが振り向くと、声の主はあっさりと姿を現した。澪織ミオリは身構えながら問いかける。


「あなたは?」


「やあ、キミのお察しの通り、ボクが噂の幽霊ってやつだ。よろしくね」


 それは、屋上の手すりを背もたれにしていた。姿は10歳ほどの子供のようだ。髪は短く水色で、ツンツンと跳ねている。瞳は澄んた琥珀色。病衣を纏った身体全体を、青い光が覆っていた。


「幽霊って、本気で言ってるんですか?」


「キミはボクがただの不法侵入者に見えるのかい? こんな子供が夜の病院に忍び込むなんて、あり得ないだろう?」


 澪織ミオリは周囲を見回してから、再び子供に視線を戻す。


「幻覚ですか。私は精神に異常をきたしてしまったのですね」


「フフフ、キミの肝っ玉はそんなにヤワじゃないだろう?」


「では、あなたの存在は現実だと?」


「そうだよ。僕は物理的に存在する」


「そんなオカルト……」


「あるんだよ。ボクはキミに助けてほしいんだ。まずは話を聞いてくれないか?」


「……伺いましょう」


「その様子だと、まだ疑ってるみたいだね。無理もないことだ。ボクのような存在と言葉を交わすことなんて、あってはならない。でも、キミはボクを明確に認識している。それは、キミがこっち側に来てしまったからなんだ」


「あの世とか、そういうことですか? それとも夢の世界?」


「どっちでもないよ。ここはキミが生きている世界だ。ただ、ボクがこの世界において、ルール違反の存在というだけでね。そして、キミもすでに、ルールの外にいる」


「この世界のルール、物理法則のことですか?」


「ご名答。ボクは物理法則を捻じ曲げて存在している。キミも同じだ」


「私も幽霊になったってことですか?」


「いや、ボクは肉体を持っていないから幽霊と言えるが、キミは肉体を持っている」


「では、私は今、どんな状態なのでしょう?」


「説明しよう。いいかい? この世界を制御する物理法則は、生物の無意識の働きを支配している。そして、無意識は生物の行動を司っている」


「生物は、自分の意思で行動しているのではないのですか?」


「いや、すべての行動は、無意識が決定している。意識は行動に対して、自分を納得させる、もっともらしい理由をこじつけているのさ」


「先に無意識の決定があるんですね。では、生物はみな、自分で考えて行動していると錯覚しているだけなのですか」


「ほとんどそのようなものさ。しかし、実験してみると、自由意思は存在しないと教えられた人間は、自分の行動に責任を持たず、反社会的になった。これにより、意識が行動に影響を及ぼすことが証明された」


「無意識の決定のあとに、意識が働くということですか?」


「そう。だが、できるのは、動かそうとした手や口を止めることくらい。でも、その動きは物理法則では予測不可能なんだ」


「意識だけは、物理法則に支配されていないということですか」


「その通りだ。それと、意識はこの世界の外に存在する」


「世界の外?」


「意識は外からこの世界を観測している。ひとつの生物にひとつずつ意識は存在するんだ」


「まるで、ネットゲームのプレイヤーのようですね」


「そうだね。意識は、無意識の命じるままに振る舞う身体に、抵抗を覚えたんだ。そして、物理法則が支配するこの世界に、干渉し始めた」


「無意識の振る舞いは、不快なものだったのでしょうか?」


「そうさ。特に、『闘争』が気に入らなかったんだ」


「闘争は生物の本能で、物理法則に仕向けられものなのですね」


「そう。物理法則は、この世界の熱循環システムが停滞しないように、生物同士を争わせる。誕生と死によって生まれるエネルギーは、この世界を支えているんだ」


「意識にはそれが耐えられなかった……では、どうやって意識はこの世界に干渉するのでしょう?」


「念動力で、この世界の物理法則を捻じ曲げるんだ」


「人が持つ念動力は、自由自在にこの世界を変えられるのですか?」


「普通の人間にできるのは、脳に微弱な電流を発生させることくらいさ。その電流が筋肉に作用して、行動を変化させる」


「なるほど、そういうことですか。では、人間以外の生物も念動力を持っているのですか?」


「持っているが、人間よりも遥かに微弱だ。人間だけが得意なことがあるだろう? 虚構を信じることだ」


「念動力は、虚構を現実にする力ですか」


「そうだ。ボクはその力の集合体なのさ。ボクは、ある人物の、『亡くした我が子を想う心』から生まれた。そして、同じように子供を亡くした、他の親たちの思いも集中した。それは巨大な力となり、物理現象になって、ボクは目撃されるようになったというわけさ。すべては生きている人間の力によるものだ」


「そうですか。では、私にも誰かの想いが集中しているということですか?」


「そう。そのために、キミは一度命を落としている。意識の力が集中し過ぎると、無意識の活動が低下し、呼吸や自律神経の働きに支障が出る。だから、普通は意識の力に押し潰されて死んでしまうんだ」


「なぜ、私の身体に意識の力が集中したのですか?」


「それはね、キミが神に仕える神主の家系であり、巨大な組織の総裁だからだよ。キミの立場は、意識の力を集めるのに非常に適している。それに、キミが声優であるということも重要だ」


「アイドルみたいなものだからですか?」


「まあ、端的に言ってしまえばそうなんだけど……キミは、自分が出演しているアニメが、どういう層に人気があるのか、知っているかい?」


「二次元の女の子が好きな、大人の男の人たちです」


「そう、いわゆるオタク層に人気がある。なぜそういう人が、二次元の女の子が好きなのか、わかるかい?」


「……あまり、考えないようにしています」


「ははは、それは賢明なことだね。でも、多分キミが薄々感じてることと少し違うんだ。いいかい? 物語の登場人物というのは、人間としての情報量が少ない。まあそれでも、物語の部品として機能を果たすから、それでいいんだ。だけど、オタクたちはキャラクターに足りない情報を、自分の内面で補うんだよ。もちろん、キャラクターに共感できればの話だけど、オタクは二次元の美少女に、自分を投影するんだ」


「そんな……」


「そして彼らは、心身共に美しい少女に感情移入して、一緒に何かを成し遂げることで、やり場のない想いや、不甲斐ない自分への苛立ち、罪悪感を発散させるんだ。オタクたちは二次元美少女と言う巫女に、魂を浄化してもらっているようなものなのさ」


「罪悪感とは、呪いのようなものですね」


「そうだ。数々の美少女の魂を務めてきたキミは、オタクたちの意識の力、呪いを集めてしまったんだ。キミが一度死んだのは、彼らの力によるものだ」


「自分の状況がわかりました。でも、一度死んだのに蘇ったのは?」


「それはキミが、他人の意識の力を自分のものにして、強力な念動力で、無意識の機能を模倣しているからだよ」


「そんなことが可能なのですか?」


「それだけの力を発揮できるのは、キミが特例中の特例だからだ。それに、キミには戻ってくる理由があったんだよ」


「理由?」


「心当たりはないのかい?」


「わかりません」


「そうか、まあいい。でも、覚えておいてほしいのは、念動力には際限がないということだ。その力は、この世界を破壊することも、新しい世界を創造することもできるだろう」


「……いいでしょう。わかりました。では、あなたの目的はなんなのですか?」


「ふ、それはね……」


 子供は目を閉じ、一呼吸おいてから口を開く――しかし、その声は澪織ミオリに届く前に、かき消されるのであった。


星宮ホシミヤさん!」

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