第45話 すべてを忘れるために

 モルフォから解放され、星神輿ホシノミコシグループのホテルに滞在することになった私。ベッドに横になっていると、部屋に澪織ミオリがやってきた。


「でもね、人は忘れた方がいいこともあるんだよ」


「何を?」


「ふふん、じゃーんっ!」


 澪織ミオリはハサミを持っていた。


「な、なにそれ! 怖いっ! まさかっ、記憶を切り捨てるハサミ? 記憶消シザース?」


「もう、何言ってるの?、髪を切ってあげるんだよ。そしたら、つらい気持ちも忘れられるかなって」


 私の髪は、腰に届かんばかりに、伸びていた。澪織ミオリは、私が罪の意識に苛まれていたことも、わかっていたのだ。


「そっか、わかったよ。じゃあ、お願いしようかな」


 私はビニール製のポンチョをかぶせられて、ビニールシートの上に置かれた椅子に座った。


「お客さん、いつものでよろしいですか?」


「もうっ、いつもって、澪織ミオリが切ったことなんてないじゃん」


「フフ、そうだね」


 澪織ミオリは、私の髪にハサミを通してゆく。チョキチョキと小気味よい音が、ふたりだけの部屋に響き渡る。しかし、しばらくすると、澪織ミオリの動きが止まった。


「ああ、それか。やっぱり気になるよね」


 澪織ミオリは、私の首の後ろの装置を、軽く人差し指で触れた。縦3センチ、横2センチの菱形をしたその装置。真ん中にある縦長のポートは、私とモルフォを、確かに結び付けていたのだ。


「うん、こんなもの、何も効果なかったんだよ」


「え、どういうこと?」


「だってさ、あれからずっと、Matchargeマッチャージの配送業務は止まってないんだよ? 機械だけで制御できるってこと。出来損ないのSFじゃないんだから、人の脳が機械に作用するなんて、あるわけないんだよ」


「でも……」


「でもじゃありません。いい? 海果音ミカネには不思議な力なんてないんだよ」


「そ、そうなのかな?」


「うん、私もあなたも、ちょっと思い込みが激しかっただけ。それだけだよ」


「うーん」


「だから、全部忘れるために、さっぱりしようね」


 そう言いながら、再びハサミを動かす巫女姿の澪織ミオリ。この世界に呪いがあるとしたら、彼女には浄化する力があるだろう。そんな思いを馳せながら、私は肺一杯に空気を吸い込んだ。


「いーつかわかさをー……なくしてもー……こころだけはー……けっしてー……かわらないー……きーずなで……むすばーれてるー♪」


 私のゆったりとした歌声。そのリズムに合わせて澪織ミオリのハサミが動く。私が歌い終わった時、澪織ミオリは優しく口を開いた。


「だからさ、もういいんだよ。海果音ミカネも、モルフォに繋がれてた人たちも、星神輿ホシノミコシグループが力になるから。みんな忘れようよ」


「うん……」


 頷いた時、私の髪は以前のショートカットに戻っていた。


「はいっ! できあがり。じゃあ、シャンプーしよっか?」


 澪織ミオリは急に、私をバスルームに連れ込んだ。更衣室で、私のパジャマのボタンに手をかける澪織ミオリ


「ちょ、ちょっと待って、お風呂はひとりで入れるから!」


「えー、そうなの?」


「そうなの!」


 更衣室から強引に澪織ミオリを押し出した私は、シャワーと泡で全身を洗い流した。お風呂から上がると、澪織ミオリは椅子に座って、スマホをいじっていた。


澪織ミオリ、笑ってるの?」


「え? ああ、ニュース見ててね、平和だなーって。ほっとしてたんだよ」


「そっか、ぅ……ふぁぁ……」


 私は、急激な睡魔に襲われた。


「疲れたもんね。今日はおやすみ。また明日、これからのことをゆっくり話そうよ」


「うん、また、明日」


 ドサッ……


 私はベッドにうつ伏せに倒れ込んでいた。澪織ミオリはその上から優しく布団をかけて、電気を消し、部屋を後にした。


 ザーー……


 ひどく耳障りなノイズに、私は目を覚ました。外は真っ暗で、時計の針は午前4時をさしていた。スマホの通知を見ると、暴風波浪警報が発令されている。


「うわぁ、こりゃ二度寝できる感じじゃないな」


 独りごちりながら、私はテレビをつけた。


「突如発生し、急激に発達した低気圧は、巨大な台風となりました。現在、各地で暴風波浪警報が発令されています」


 緊急ニュースとL字のテロップが、非常事態であることを物語っている。その時、スマホにメッセージが入った。


海果音ミカネ、大丈夫?」


 それは、澪織ミオリからのものだった。私は気の利いた返信を試みた。


「えーっと、『心配する必要ないよ。君は自分の会社が経営するホテルを、信用できないのかね?』な~んてね」


 そのホテルは堅牢で、台風などにびくともしないだろう。大丈夫だ。しかし、メッセージの送信ボタンを押した瞬間、バタンという音が響いた。


「はぁ……はぁ……海果音ミカネッ!」


 現れたのは澪織ミオリ。彼女は激しく息を切らしている。


「だ、大丈夫? 12階まで階段を駆け上って来たの?」


 ベッドの上で苦笑いを浮かべる私。澪織ミオリは私によたよたと近付き、その手を取った。


「よかった。無事だったんだね。私、海果音ミカネのためだったら、スカイツリーだって登り切ってみせるから!」


 その、本気を灯した瞳に、私は後ずさり、壁に背中をぶつける。


「あはは、大袈裟だなあ……この台風、予報なかったよね」


 すると、澪織ミオリは我に返ったように、すっくと立って窓の外を見た。


「うん、今日の0時くらいから発生したみたい。それから、3時間で本州の中心に広がって、全然動かないんだってさ」


「そ、そうなんだ。交通機関、停まっちゃいそうだね」


「うん。あ、そうだ……」


 澪織ミオリはスマホを操作する。すると、私のスマホに再びメッセージが入る。しかしそれは、私個人に宛てたものではなかった。


星神輿ホシノミコシグループのみなさま。現在、巨大な台風が本州の中心に停滞しています。本日から、私の指示があるまで一切の業務を停止し、外出を禁じます。みなさま、ご自分とご家族の命を守るために、行動してください」


 それは、星神輿ホシノミコシグループ全体への通知だった。つけっぱなしのテレビニュースは、最大瞬間風速が、秒速50メートルを超えると報じている。


「ちょっとこれは、洒落にならないね」


 私は、相変わらず苦笑いを浮かべながらも、震えた声を澪織ミオリに投げた。彼女はそれを受けて、いつになく暗い声を上げる。


「うん、しかも、突然発生したっていうんだから、気味が悪いよ……」


「まさか、わたっ、もごっ!」


 「私」と言いかけた私に、澪織ミオリが覆いかぶさる。彼女の手は、私の口を塞いでいた。


「そんなこと、あるわけないよ……」


 しかし、澪織ミオリは私の目を見ていなかった。私は彼女の手をどけて、静かに言葉を運ぶ。


「でも、モルフォが使われ始めてから、不自然な台風が発生しているだよ。それは事実なんだよ?」


「偶然だって。まったく、海果音ミカネはオカルトが好きなんだから。陰謀論に踊らされちゃうタイプだね」


 澪織ミオリのらしくない冗談と、ちっとも楽しそうではない声のトーンが、必死さを物語っていた。


「これが偶然だとしても、私の力で台風が止められるかもしれないんだよ?」


「だから、あなたに不思議な力なんてないって言ってるでしょ?」


「そんなこと、なんで澪織ミオリがわかるの?」


「そんな超常現象みたいなこと、あり得ないよ。海果音ミカネはただのかわいい女の子、それ以外の何者でもないよ」


「そうやって、私をまた現実から遠ざけようとするの?」


「現実から遠ざかってるのは海果音ミカネの方でしょ? 機械を操ってたなんて、本気で思ってるの? あれは儀式とかおまじないみたいなものだよ」


「じゃあ、こんなの外してもいいんだよね!?」


 私は首の後ろの装置を引っ掴んで、もぎ取ろうとした。しかし、次の瞬間、その手は澪織ミオリに抑えつけられていた。


「ダメだよ! そんなことしたら、障害が残るかもしれないんだよ?」


「だって、澪織ミオリが」


「とにかく、この台風が治まったら、外してもらおう? ね? 海果音ミカネは今、疲れてるんだよ。こんな嵐、明日には止むよ」


 私は無言のまま俯いた。澪織ミオリは、私の顔を覗き込みながら呟く。


「私は、みんなの安否を確認するために、会社に行くけど、海果音ミカネは大人しくしてて。わかった?」


「……うん」


「全部、忘れればいいんだよ」


 そう言いながら、澪織ミオリは部屋を後にする。私は嵐の音を聴きながら、テレビニュースをひたすら網膜に写していた。そうしているうちに、頭痛がしてくる。私はその日、澪織ミオリが言う通り、部屋から一歩も出ることはなかった。


「この台風、いつまで続くんだろう……」

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