第56話 私にできること

 スタジオを出て、夜の繁華街を歩く二人。珠彩シュイロの顔からは、微笑みが消えていた。


「ここです」


 そこは、至って普通のバーだった。店内は客の表情が読めないほど薄暗い。珠彩シュイロはカウンターの一番奥に腰をかけ、澪織ミオリはその隣に並ぶ。二人はそれぞれ、バーテンダーにカクテルを注文した。しばらくの間、沈黙が二人を包む。珠彩シュイロは、出されたカクテルを一口飲んでから、澪織ミオリを見ずに口を開く。


「ねえ、やっぱり、やめてくださらない?」


「え? なにがですか?」


 珠彩シュイロの唐突な質問に、澪織ミオリは拍子抜けする。


「あんたの宗教組織よ。星神輿ホシノミコシノ会とかいう」


「いえ、宗教ではありません」


「そんなことはどうでもいいわ。その組織は何をしているの?」


 珠彩シュイロの声は冷たかった。


「え? ご存知ですよね? ボランティア活動ですよ。被災地での支援活動も、その一環です」


 澪織ミオリの顔から、愛想笑いが消える。


「そうね、人の善意を利用した活動ね。あなた、報酬はちゃんと出してるの?」


「衣食住は保証しています」


「うちの従業員から聴いてるのよ。あなたの組織の人は、休日も深夜まで働いているって。それを知ってるの?」


「細かくは把握していませんが、みなさん、自分の意思でやってくださっています」


「わかってないのね。そんなのが通ると思ってるの? 彼らが活動した分は、ちゃんと還元しなきゃならないでしょ?」


「それはもちろん。ただ、今は余裕がないもので。でも、みなさんの意思を尊重しています。無理に参加しろとは……」


「あなたの組織、信者が増えているんですってね? それがどういう意味だかわかる?」


「えっと、信者ではなく、会員です!」


「その会員、あなたの組織の人間が、被災地で勧誘しているのよ。被災者からしてみれば、断れるわけがないわ。それに、天災禍ディザストームの被害が落ち着いた今でも、信者たちはパトロールと称して、無駄に街を徘徊しているのよ」


「そ、そんな、無駄だなんて」


「業務後の時間や休日を潰してね。でも、困っている人なんてもうほとんどいない。やることがなくなった彼らが、どういう行動に出たか分かる?」


「いえ……」


 澪織ミオリ珠彩シュイロの表情を読もうとするが、珠彩シュイロはただ、グラスを真顔で見つめていた。


「彼らは勧誘活動に精を出しているの。星神輿ホシノミコシノ会はひとつの組織ではなく、星神輿ホシノミコシグループ傘下の企業ごとに、派閥が存在するわ。派閥間で、入会させた人数を競っているのよ」


「それは、あなたの想像ではありませんか?」


「違うわ。あなた、気付いてないでしょう。星神輿ホシノミコシグループの優秀な社員は、うちに引き抜かせてもらっているわ」


 澪織ミオリの表情が少し強張った。


「それは、聞き捨てなりませんね」


「その人たちが証言したの。星神輿ホシノミコシグループの企業では、星神輿ホシノミコシノ会に入会するのが暗黙のルールになっている。そして、その活動で業後や休日を潰される。参加しなければ、能力があろうが、あからさまに冷遇される。……ってね」


「引き抜きに応じるような人間が言うこと、嘘に決まっています」


 今にも食って掛かりそうな澪織ミオリ珠彩シュイロは真顔でグラスを見つめたままだ。


「苦しいわね。あなたの組織を見限った人の証言なのよ? 凡庸な人間ほど徒党を組むものよ。お互いを縛るルールを尊び、同調圧力をかける。それに背くものには、容赦ない制裁を加える。自分は能力を発揮して世の中の役に立っているというのに、無意味な勧誘活動を拒否しただけで、嫌がらせを受ける。それじゃ、逃げ出したくもなるわよ」


「逃げた。そうですね。逃げ出すような人だったってだけ」


「逃げるのは悪いことではないわ。いたずらに戦って誰かが傷付くよりは、賢明な選択よ。能力があるんだもの、会社を潰すことくらい、できたかもしれないわ。でも、そんなことをしたら、路頭に迷う人が出てしまう。別に、人を憎んでる訳じゃないもの。だから、月葉ゲツヨウを頼って来たってわけ」


「そんな、言いたいことがあれば、私に直接言えばいいのに」


「ふん、甘いわね。あなた、自分の立場をわかってるの? 彼らにとって、あなたは神に等しい。あなたに気苦労や、心配をかけまいと、情報を遮断しているのよ。勧誘活動はパトロールとして報告される。不祥事はもみ消される。あなたに陳情を試みる不穏な動きは、事前に叩き潰される。もし陳情しても、あなたが反応すれば、『その情報は何かの間違いです』と返されるだけよ」


「私が、何も知らない愚かな支配者とでも言うつもり?」


「つもりじゃないわ。そう言ってるの。うちに来てくれた人たちも、あなたへの尊敬は無くしてなかったわ。だけど、あなたは神の器ではなかったの。当然よ。あなただって、れっきとしたひとりの人間なのだもの」


「そんなの、あなただってそうでしょう? 偉そうに言わないでくださいます?」


「そうよ。私だって自分の無力さはよくわかってるわ。だから、崇められることのない神様を作ることにしたの」


「何を言ってるのですか?」


「分かりやすく言えば、労働力を適切かつ均等に割り振るシステム。あなたのところから来てくれた人が開発しているわ。『月葉ゲツヨウBiz』って名前でね。今、試験運用中なの。あなた、被災地での復興支援活動はボランティアって言ったけど、うちでは労働として扱っている。時間を管理して、報酬を与えている。残業や休日出勤なんてない。そして、人の能力に見合った仕事を提案する。理想的なシステムよ」


「それで人を支配しようというのですか」


「支配じゃないわ。みんな、ただの機械がやっていることだって知っている。クレームを受け付けるフォームは常に開かれている。何か問題があれば、不具合や意見として報告されるだけよ。それに粛々と対応しているうちに、人工知能は成長して行く」


「AI……ですか」


「そう、全部AIに任せてしまうの。月葉ゲツヨウグループに所属すれば、自動的に仕事が割り振られるようにね。問題が起こるのは、AIがまだ発展途上だから。誠実に対応すれば、人は納得してくれる。そうやって、抗いようのない平等をもたらす機械を作り出すの」


「間違ってます……」


「ん? 何が?」


 珠彩シュイロ澪織ミオリを見る。しかし、声のトーンは冷たく落ち着いたままだ。


「人は、与えられた仕事をただ享受するだけではいけません。自分の意思で生き方を選択しなければならないのです」


「ふぅん、そう。それは志の高いことで」


星神輿ホシノミコシの人間は、少なくともみんなそうしています。自分で生きる道を選んでいる。たとえそれが回り道だったとしても、誰かにただ与えらるだけの生き方よりはマシです」


「言ってくれるじゃない」


星神輿ホシノミコシには、自分で生き方を決められる人間が集まっています。あの子の、『あなたが必要です』という願いに応じて来てくれているんです」


「あの子って、誰よ?」


 珠彩シュイロに瞳を覗き込まれて、澪織ミオリは目を逸らした。


「……とにかく、星神輿ホシノミコシの人間を侮辱することは許しません。会員が増えているのだって、みんな自分の意思でそうしているんです。それが悪いことなはずありません!」


「そう、あなたは、あなたの組織が大きくなることが、良いことだと思ってるのね」


「そうです。団結力は、人類に立ちはだかるいかなる問題をも解決する、力になります」


「じゃあ、あなたは自分の組織のためなら、人の親を殺してもいいと思ってるの?」


 珠彩シュイロの声が、研ぎ澄まされた氷のように、澪織ミオリの虚を突いた。


「な、なにを……」


「人類のいかなる問題をも解決し得る組織だというなら、私の……私のパパを生き返してみなさいよ!」


 珠彩シュイロの声に熱がこもる。眉間に皺を寄せ、憤りを露わにする。


「……パパ?」


「あなたが業務提携したいとか言ってやってきてから、親父おやじは居なくなった。あなた、親父おやじを脅したんでしょ? 月葉ゲツヨウはドローンによって、急成長を遂げた。不自然なほどにね。それはきっと、親父おやじが人に言えないことをしていたから。あなたはそれに気付いて、自分の組織を大きくするために、月葉ゲツヨウを排除しようとした。あの親父おやじ、こないだ私に変な設計図を見せびらかして笑ってたわ。プラモデルに興じる子供じゃないんだから。バカバカしいったらないわ!」


 珠彩シュイロ澪織ミオリに背を向けて、カクテルを飲み干した。


珠彩シュイロさん……」


「あの親父おやじのことだわ、きっと証拠を隠滅しようとして、天災禍ディザストームに巻き込まれて死んだのよ。本当にしょうもない奴ね!」


 珠彩シュイロは言葉とは裏腹に、涙をボロボロとこぼしていた。彼女は慌ててそれを拭うと、再び澪織ミオリに向き直った。


「だから、あんたが殺したようなものだってことよ!」


 珠彩シュイロに睨まれた澪織ミオリは、あわあわと唇を震わせていた。そして、精一杯の言葉を絞り出す。


「……ごめんなさい」


「な、なんで謝るの? まさか、本当に……?」


「そ、それは……」


 澪織ミオリが言葉を探していると、珠彩シュイロは俯いて、静かに笑い始めた。


「ふ、ふふ……こ、こちらこそ、ごめんなさい。今のは私の勝手な妄想よ。本当にあなたのせいだなんて思ってないわ。失礼なことを言ったわね。謝罪する。親父おやじが死んだのは、ただの偶然か、それとも自業自得か、とにかくしょうもない理由よ」


珠彩シュイロさん、真玄マクロさんは……」


 澪織ミオリの言葉が聴こえていないかのように、珠彩シュイロは続ける。


「でもね、あんな奴でも、私のパパはあの人しかいないの。だから、ちょっと、取り乱しちゃって……本当にごめんなさい」


「いえ……」


 澪織ミオリはただ、カウンターにぽたぽたとこぼれる、彼女の涙を見つめていた。


「くすっ……はぁ……勝手にあなたを恨んで、あなたの組織を潰す方法を考えて、それで『月葉ゲツヨウBiz』を作ったの。あなたのボランティアを潰すためにね」


「そうなんですか……」


「でも、さっきの言葉を撤回するつもりはないわ。動機はどうあれ、『月葉ゲツヨウBiz』は理想的なシステムよ。だから、あなたの組織の労働力も、的確に配分できればと思ったの。でも、あなたはそれではいけないと言うのね」


「そのために、私は呼ばれたんですね。公開番組であんな嘘までついて」


「え?」


 珠彩シュイロは顔を上げ、泣きはらした目で澪織ミオリを見た。


「私のファンだなんて」


 珠彩シュイロは再び涙を拭いながら、弁解するようにまくし立てる。


「いえ、ファンというのは大袈裟だけど、あなたの声優としての才能は、本物だと思ってるわ!」


「本物の才能……ですか」


「お世辞じゃないわよ? ここまできてそんなこと言わないわ。あなたが組織を解体したら、月葉ゲツヨウであなたのマネジメントをして、最大限活躍させるつもりでいたの」


「私を月葉ゲツヨウで……?」


「そうよ。あなたは宗教団体で祭り上げられるより、声優として才能を発揮する方が似合っている。声優としてのあなたは、本当に輝いているわ」


「……ごめんなさい」


 今度は澪織ミオリがカウンターに突っ伏して、謝罪を口にした。


「ど、どうしたの?」


「いえ、何でかわからないけど、涙が止まらないんです」


「そ、そう……泣きたいときは、思う存分泣けばいい。私もそうしたから……」


 そして、澪織ミオリの涙が枯れるまで、珠彩シュイロは席を立たなかった。


「あなた、ひとりで帰れるの?」


「はい。大丈夫です」


 バーを後にしたふたりは、微かな笑みを浮かべていた。


「さっきは本当にごめんなさい。でも、あなたのところを見限って、月葉ゲツヨウに来る人がたくさんいるのは事実よ。忠告はしたわ。あなたはあなたができることをしなさい。私も、自分にできることを、精一杯がんばってみるわ」


「わかりました。お互いがんばりましょう」


「じゃあ、またね。『ドローンドール』の放送、楽しみにしているわ」


 珠彩シュイロがタクシーで帰るのを見送ったあと、澪織ミオリはリムジンを呼び、帰宅して床に就いた。


 次の日の朝、起きぬけの澪織ミオリは、スマホを手に取った。


「お父さま、星神輿ホシノミコシグループは解体します。傘下の企業はすべて、月葉ゲツヨウグループに買収していただきます」


澪織ミオリ、な、何を言っているんだ? 星神輿ホシノミコシグループを解体するだって? 本気なのか?」


「はい、本気です。星神輿ホシノミコシノ会も……解散させます」

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