最終章 私の世界

第57話 歌声

 星神輿ホシノミコシノ会は解散した。星神輿ホシノミコシグループの全ての事業は、月葉ゲツヨウグループに譲渡された。3月24日、朝。澪織ミオリは最後の清算をするために、電話をかける。


星宮ホシミヤさん? どうしたの?」


葉月ハヅキさん、あなたに謝りたいことがあるんです」


「私に?」


「はい。私がこれから話すことは、信じがたいことでしょう。ですが、落ち着いて聴いてください」


「なんだか知らないけど、そんなにかしこまらなくていいわ。話して」


「ありがとうございます。あなたのお父さまを殺したのは、わた……」


「……すぅ~……すぅ~……」


葉月ハヅキ……珠彩シュイロさん? 聴いてます?」


 スマホ越しの珠彩シュイロは、寝息を立てていた。その時、遠くから微かな歌声が流れてくる。澪織ミオリは耳を澄ました。


「おわりないたび……きみとあゆむと……いつくしみ……ふと……わけあって~♪」


(あの子……なの?)


 澪織ミオリは通話を切ると、巫女装束を身に着けて街へ出た。そこに広がっていたのは、異様な光景だった。


(みんな、寝ている……?)


 道端に横たわる人、人、人。それは、朝の通勤をしているはずの、会社員たちであった。


「……わかれてみたら……きっとらくだよ……すりへらすひび……きみはいらない♪」


 どこからともなく聴こえてきた歌。それは、眠った人々のスマホや、そこら中にあるスピーカーから流れていた。


「大丈夫ですか?」


 澪織ミオリは倒れている人を揺さぶる。しかし、寝息を立てたまま反応しない。


(人って、こんな安らかな顔をして眠るんだ。でも、このままじゃいけない)


 澪織ミオリはとある場所へ向かおうとする。しかし、駅の人々も当然のように眠っている。交通機関は使えない。


(あの子に、会いたい。会えばわかるはずだ)


 澪織ミオリは内から湧き上がる熱を感じていた。


(私の力、強くなっている。今ならこの脚でも)


 全速力で走る澪織ミオリ。その俊足は電車を遥かに凌駕する。彼女の念動力による肉体強化は、人体の限界を軽々と突破していた。


(博士が言ってた通り。みんな壊れてしまったのかな)


 そこは、富士の裾野にある、モルフォの研究施設。私と澪織ミオリが別れた場所。瓦礫の山が澪織ミオリの行く手を阻む。


(こんなもの、どうにでもなる)


 素手で穴を掘るように、積み重なった瓦礫を排除してゆく澪織ミオリ。彼女は研究施設の奥へ奥へと突き進む。しかし――


(ここじゃない……)


 そこに、澪織ミオリが求めるものはなかった。暗闇の中には、長方形の物体、モルフォだけが佇んでいた。


「はあっ!」


 澪織ミオリは拳を固く握りしめ、モルフォに叩きつけた。幾度も、幾度も。繰り返すうちに、モルフォは砕けてゆく。内部構造があらわになり、そのすべてが崩壊するまで、彼女の拳は降り止まなかった。


(モルフォを破壊したんだから、みんな起きているはず)


 澪織ミオリは一直線に走る。立ちはだかる木々や、人工物をもろともせずに。土煙の尾を引いて、彼女は市街地まで戻ってきた。


「しんだあとでも……きっとみつかる……いきつづけたら……きみはかなしい♪」


 しかし、歌は流れ続け、人々は眠り続けていた。


(ならば、見つけるまで探すだけ)


 澪織ミオリは街を駆け巡った。太陽が傾き、空が赤く染まる頃、彼女は思い出の場所に辿り着いた。


「やあ、澪織ミオリ、遅かったね」


 そこは、私が住んでいたマンションだった。


海果音ミカネ……」


 私はダッフルコートを纏っていた。澪織ミオリに背を向けたまま、机に向かって椅子に腰をかけ、ノートにペンを走らせていた。


「タダノート?」


「ううん、違うよ。今ね、小説を書いてたんだ。澪織ミオリがあんまり遅いから、書き終わっちゃった」


「そうなんだ。海果音ミカネの書いた小説、読んでみたいな」


「読む必要はないよ。だって、この物語の主人公は、澪織ミオリ、あなたなんだから」


 私は引き出しにノートをしまいながら、澪織ミオリに振り返った。夕日に輝く金髪、私に向けられた青い瞳、紅白の巫女装束に包まれた、しなやかで豊満な肉体。そのすべてが美しかった。


海果音ミカネは私の何を知ってるの?」


 彼女は、声に苛立ちをにじませていた。私は嘲るように言った。


「全部だよ。澪織ミオリが私にしたことはもちろん、澪織ミオリが送ってきた人生も」


 私は椅子から立ち上り、澪織ミオリと対峙した。ダッフルコートの下には何も身に着けていない。澪織ミオリは、コートの隙間から覗く白い肌に、一瞬目を取られる。しかし、視線はすぐに、私の瞳に移った。


「あなたは他人のことを忘れてしまうのではなかったの?」


「私はモルフォに出会ってわかったんだ」


「モルフォはもう、壊してきたよ」


「知ってる。でも、あの子はとうに役目を終えているよ。私が代わりになれるんだから」


「あなたが機械の代わりに?」


「最初はね、モルフォの機能を使って、ネットワークに繋がってる機械の情報が取り出せるだけだと思ってた。でも違ったんだ。私は、この世界のすべての情報にアクセスできる。元からその機能が備わっていたんだ。使い方を知らなかっただけなんだよ。モルフォはそれを教えてくれた」


「たかが機械から、何を教わったっていうの?」


「物理的に離れているものにアクセスする感覚、それを掴めば、私にも同じことが、ううん、それ以上のことができたんだ」


「そう。なら、世界中の人々に影響を与えることもできるんだね」


「そう解釈してくれて構わない。私の声を聞かせればね」


「それで、みんなを眠らせたんだ?」


「そうだよ。簡単なことだった。動物というのは、眠っている状態が一番安定しているんだ。ただ、生きるために栄養を摂ったり、外敵から身を守るため、そして、繁殖するために仕方なく起きているだけなんだ。だから、すべての不安や欲望を消す暗示をかければ、みんな安らかに眠れる」


「みんなって、本当にみんななの?」


「うん。あなた以外はね」


「そう、私だけなんだ」


「あなたは人間を超越した異常な力を持っている。その力で、私の暗示を退けているんだ」


「私の力、念動力……じゃあ、海果音ミカネの力はなんなの? このあいだ、私の力とは違うものだって言ったよね?」


「うん。私の力は……いや、私は人間の世界の均衡を保つための、ただの部品だよ」


「ただの部品? あなたは人間ではないというの?」


「うん。私は人間と全く同じ素材で作られた、機械のようなもの」


「機械ですって? でも、人間と全く同じ素材で作られているなら、それは人間そのものなのではないの?」


「違うんだ。私にはあなたたち人間のように、意思がない。感情もない。ただ、それがあるかのように、精密に模倣しているだけ」


「なんのために、そんなモノが存在するの?」


「私は人間と同じように不快感を覚える。反発して不満を訴えると、それが世界中に伝播して、騒動を起こす。結果、みんなの不快感がちょっとだけ緩和される。私は、普通の人間より身体能力が低い。その上、不幸を感じやすく設定されているんだ。普通の人より早く、不満を口にできるようにね。そして、私の言葉の影響力は、極大に設定されている」


「それが、あなたの能力」


「能力と言えるのかな? この世界は物理法則というルールの上に成り立っている。だけど、物理法則の演算結果に、多少のランダム性が加わるようになっているんだ。私の場合、そのランダム性に偏りがあるだけなんだよ。それは、私が物理法則の機能と直接繋がることで実現されている。それが分かればあとは簡単。逆に私が物理法則の機能を使う。そうすれば、物理法則が支配するこの世界の、全ての情報にアクセスできる。ここは、私の世界なんだよ」


「なるほど。それで、そんな話を私が信じると思ってるの?」


「信じてくれないの?」


「そんなオカルト、ありえない」


「私からしてみれば、澪織ミオリの方がとんでもないオカルトだよ。無意識に訴えかける、私の歌を聴いても眠らない。それは、物理法則に抗っているからだ。なんでそんなに強情なの? すべて委ねてしまえば楽なのに」


「私は、あなたにもう一度会いたかっただけ」


「そう、じゃあ、もう気が済んだよね? 澪織ミオリも眠るといいよ」


「眠ったらどうなるの? 今眠っている人は、どうなってしまうの?」


「栄養を摂らないんだから、遠からず死に至るだろうね。大丈夫、不快感は何もない。ただ、安らかに還ってゆくだけだよ」


「私は、そんなの嫌だ」


「じゃあ、澪織ミオリは自分が死ぬまで、私とふたりで暮らしてくれるの?」


「私が居なくなって、人類が滅んだら、海果音ミカネはどうなるの?」


「別になんともならないよ。私は死ぬこともなく、ずーっとこの世界でひとりきりになる。次の人類が誕生するまではね」


「それなら、もうこんなバカなことはやめて」


「バカなこと?」


「歌を止めて。みんなを起こして、日常に帰ろうよ」


「いやだって言ったら?」


 その時、私の真っ黒な髪が、淡い金色に染まる。真っ黒な瞳が、赤い輝きを放つ。瞬間、マンション周辺から、私の声が大音量で流れ始めた。


「アー! アアアーアーー! アーーーー!!」


 それはもはや、歌ではない。地獄の底から湧き上がってくる、慟哭のような響きだった。その声に、澪織ミオリは一瞬バランスを崩し、膝を落としそうになる。だが、それでも耐えて、私を上目遣いで睨みつけてきた。


「それなら私は、力尽くであなたを止める!」


「やっぱり、私の声じゃ眠ってくれないの? じゃあ……」


 ガシャーン!


「ぐっ!」


 澪織ミオリは右手を真横に突っ張っていた。掌で押さえつけているのは、直径1メートルの灰色をした円盤。それは、6本の脚を折り畳み、4枚の羽根を激しく震わせて、空中で留まっていた。


「私を止める? 澪織ミオリは私に触れることもできないよ。私はすべてを見通すことができる。そして、その子たちが私を守ってくれる」


 マンションの壁には無残にも穴が開いている。円盤は両腕を伸ばして、その先にあるスピーカーから、私の声を流した。眉をしかめた澪織ミオリは、腕に力を込めて、金属の装甲に指を食い込ませた。


「こんなものっ!」


 澪織ミオリは体をひねって一回転する。そして、円盤を私に向けて投げ飛ばした。


 ガシャーン! ……ドォーン!!


 私の横をかすめた円盤は、窓を突き破って、遠くのビルに衝突し、爆発した。

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