第59話 虚神

 私の金色の髪が、一層明るく光を放つ。毛先が赤熱化する。その時、暗くなりかけた地平線の向こうから、透明な羽根を震わせて、直径10メートルはある、赤い円盤たちが4機飛来した。


「ヴァーミリオーネ……珠彩シュイロさんのために作られたマシンも、あなたの玩具おもちゃにするの? それが友達のすることなの?」


 ヴァーミリオーネたちも、私の声を流し始める。そして、私は静かに呟いた。


「友達さ。だから、彼女が真実を知る前に、止めさせてもらった」


「それで、あのタイミングだったんだね。私の懺悔の邪魔をした……!」


 大音量の中でも、私の声はかき消されることなく、澪織ミオリに届いていた。


澪織ミオリは彼女が本当のことを知って、それで喜ぶとでも思ってたの? あなたは自分の罪悪感を解消するために、自分のためにやったんでしょ?」


「違う。私は珠彩シュイロさんに誠実でありたかった。そうでなければ、彼女と本物の関係を築けない」


「本物の関係って何? 珠彩シュイロさんがあなたを憎むことが、良いことだと思ったの?」


 ヴァーミリオーネたちが澪織ミオリの姿を捕捉する。澪織ミオリはそれを迎え撃つべく跳躍した。


「彼女がそうしたいなら、私は許されなくたっていい!」


 先陣を切るヴァーミリオーネの前肢をかわし、装甲を蹴って、澪織ミオリはさらに高く舞い上がった。


「あなたは、珠彩シュイロさんの心にいたずらに火をつけようとしたんだ。彼女の感情をかき乱して、それが彼女のためになると思ったの?」


珠彩シュイロさんは弱い人間じゃない。きっと怒りも憎しみも乗り越えられる。珠彩シュイロさんだけじゃない。あなただって、これから強くなれるんだ!」


 澪織ミオリは、高圧線が通る、巨大な鉄塔の先端を両手で掴み、一本背負いの要領で引っこ抜いた。地面に叩きつけられたそれは、1機のヴァーミリオーネを粉砕する。


「それは澪織ミオリの思い込みだよ。何もかも、あなたの思い通りにはならない。大体、本物の関係とやらになって、何がしたかったの?」


珠彩シュイロさんの力になりたかったんだ。海果音ミカネ珠彩シュイロさんの力になっているって、気付いていたから!」


 澪織ミオリは、自分の身長の30倍はある鉄塔を、横に振り回した。鉄塔は、もう1機のヴァーミリオーネをスクラップにした。


「そんなの、澪織ミオリには関係ないことだよ! 私が珠彩シュイロさんを贔屓したのは、やっぱり間違いだった。もう少しで、あなたが彼女を狂わせるところだったんだから……」


「間違ったっていいじゃない! 人類を滅ぼすという大間違いに比べたら、そんなの大したことない失敗だよ」


「あなたたち人間はそうかもしれない。でも私は、特定の人間と関わってはいけない存在なんだよ。それを破った時点で、やっぱり悪魔になるしかなかったんだ!」


「あなたが贔屓したって、珠彩シュイロさんはあなたのことなんてこれっぽっちも意識しないよ! ただの偶然、運命だと思うだけだよ!!」


 澪織ミオリは鉄塔を武器にして、残り2機のヴァーミリオーネと戦っていた。しかし、彼女の動きは鈍り始め、相手の動きが捕えられなくなってくる。両腕が鉄塔の重量を支えきれなくなると、澪織ミオリは鉄塔をやけくそ気味に放り投げた。しかしそれも、いともたやすくかわされてしまう。


「それでも、珠彩シュイロさんは自分でやり遂げることができたかもしれないのに、私は彼女に『私が手を貸さなければならない』と考えてしまった。そんな失礼なお節介を焼いたんだ!」


「そんなこと気にする必要はない! それに、決まりを破ったのなんて、ただの変化に過ぎないよ。あなたは、あなたが好きなように変わっていいんだ。悪魔になんて、本当はなりたくないんでしょ?」


「私だって、もっといい方法があればそうしている。でも、ダメなんだよ! みんな平等じゃなきゃダメなんだよ……」


「みんなが平等にって、目標が高いのはいいことだけど、それで目的を違えてはいけないよ!」


「そんなこと言われたって、もう嫌なんだよ! 人の心が傷付くと、私も苦しいんだよ! こんな感情に苦しめられるのは、もう嫌なんだよ!」


「やっぱりあなたは変わってない……他人のことで苦しむあなたは、傷付いた人の痛みがわかる、優しい神様なんだよ! 苦しいなら、私が一緒にいてあげる。私が海果音ミカネの苦しみを忘れさせてあげるよ!」


 澪織ミオリは、素早い動きでヴァーミリオーネを翻弄する。彼女は素手でヴァーミリオーネの装甲をへこませるが、その力は明らかに衰えていた。


「たかが人間のくせに、何ができるっていうの? そもそも、私が苦しむことになったのは……澪織ミオリのせいなんだよ」


「な、なんですって!?」


 ヴァーミリオーネの腕に払いのけられた澪織ミオリは、吹っ飛んで地面に背中から激突した。私の声を大音量で聞き続け、力が尽きかけていたのだ。澪織ミオリの金髪には、いつの間にか黒い染みが混じり、徐々に広がってゆく。


「私は人間を模倣しているだけの、意識も感情もない、からっぽの神様だったんだ。それをあなたが変えてしまった! あなたが私に優しくなんてしたから、私は本当の感情を知ってしまった。あなたに出会わなければ、こんなに苦しむことなんてなかったんだ!」


「私が、海果音ミカネを!?」


 澪織ミオリは2体のヴァーミリオーネに囲まれた。立ち上がり、走って逃げようとした澪織ミオリは、前肢で捕えられてしまう。


「あなたはもともと、念動力の高い素養を持っていた。だから、私の精神的な障壁を突破できたんだ。私は人と関わっても、すぐにうまくいかなくなる。それで正しかったのに、それで苦しむことなんてなかったのに、あなたは私と良好な関係を築いた。私は幸せの味を知ってしまった。あなたの力は私に感情を授けたんだ! それさえなければ、珠彩シュイロさんを贔屓することだってなかったのに!」


 私を見上げる澪織ミオリ。その頭をもう1機のヴァーミリオーネの前肢、3本の爪が掴む。


海果音ミカネ、私を殺すの?」


「あなたは念動力そのものだ。肉体をいくら破壊しても、殺せやしないよ。さあ、おとなしく眠るんだ」


 ヴァーミリオーネの前肢から澪織ミオリの頭に、直接私の声が流れ始める。そのささやきは、澪織ミオリの意識を段々と鎮静化させてゆく。


澪織ミオリのために作った、とっておきだよ。今までよくがんばったね」


 澪織ミオリの瞼が閉じかける。しかし、彼女は歯を食いしばり、ひときわ大きな声を上げた。


「こんなの、録音したデータだ! 本当の海果音ミカネの声なんかじゃない!!」


 瞳に輝きを取り戻した澪織ミオリは、頭を掴んでいる爪をこじ開ける。


海果音ミカネ! あなた、この音を作るために、ダミーヘッドマイクを使ったの? シリコンの耳を舐めたんでしょ!? なんで! あなたは! そんなに自分を粗末にするのぉっ!!」


 怒りに我を忘れた澪織ミオリは、胴体を掴んでいる爪もこじ開けた。消えるように移動した彼女は、星神輿ホシノミコシグループ本社ビルだった建物の前に立つ。彼女は両腕をビルの壁に突き立てて、背負いあげた。そして、そのまま2機のヴァーミリオーネに向かって跳躍した。


「うおおおおおおっ!!」


 飛び立とうとするヴァーミリオーネ2機に、澪織ミオリは上からビルを叩きつけた。ビルもろとも、ヴァーミリオーネたちは粉々に砕け散る。そして、バッテリーが火を上げ、爆発を起こした。


澪織ミオリ、どうしてそこまでするの?」


 炎に包まれ、煙の中から現れたのは、無傷の澪織ミオリだった。彼女の髪は、炭化したように真っ黒に染まり、瞳には冷たい氷の青を灯していた。その視線は、上空の私をまっすぐに捉えていた。


「私は眠らない。海果音ミカネを止めるまで、私は止まらない!」


澪織ミオリ、今、楽にしてあげるから……」


 私の髪と目は、再び光を放つ。すると、夜空の向こうから、さらにもう1機のマクロボが飛来する。澪織ミオリはその機体を目にして呟いた。


「ステラソルナ……!」


 ステラソルナが突き出した両腕を、両手で受け止める澪織ミオリ。両者とも動けない。いや、澪織ミオリの方が押されている。しかし、瞳の輝きは、しっかりとステラソルナのカメラアイを見つめていた。


海果音ミカネを止めたいんだ。このままじゃ、海果音ミカネはひとりぼっちになってしまう。コピーでもいい、あなたが海果音ミカネのために造られたマシン、ステラソルナなら、私に手を貸して!)


 澪織ミオリは瞳で訴えかけた。すると、ステラソルナはゆっくりと澪織ミオリから離れた。そして――


「いけっ!」


 澪織ミオリの声を聴くと、ステラソルナは、私が乗っているマクロボに突進した。その、物理法則から大きく逸脱した事象は、私の認知能力では捉えきれなかった。ステラソルナによってマクロボは弾き飛ばされ、私は自由落下する。その下には、澪織ミオリが待ち構えていた。


「まさか、ステラソルナを念動力で操ったというの?」


 急降下する間に、私のダッフルコートは風で剥ぎ取られた。全裸になった私を、澪織ミオリは両腕で抱きとめる。そして、ささやくように言った。


海果音ミカネ、もう、離さないよ」


 私に気を取られた澪織ミオリは、ステラソルナの制御を手放していた。正常に戻ったステラソルナは、再び澪織ミオリを捕えに襲来する。澪織ミオリは片腕で私を抱き、私を見つめたまま、右の掌をまっすぐステラソルナに向ける。


「そんな……こともできるの?」


 私の視線の先には、空中で静止したステラソルナがいた。そして、澪織ミオリが掌を強く握ると――


 ドォーーンッ!


 ステラソルナのバッテリーが突如爆発した。


 バタッ……!


 力を使い果たした澪織ミオリは、地面に大の字に倒れた。


「はぁ……はぁ……」


 彼女は、半開きの口からよだれを垂らしながらも、念動力を振り絞って、意識を保っていた。私は彼女の横に横たわり、その耳へと唇を近付ける。直接私の声を聴かせれば、澪織ミオリもおとなしく眠ってくれる。そう考えた私は、彼女の耳もとで大きく深呼吸をして、口を開いた。きっと、澪織ミオリの耳の味がするのだろう。そう思っていた。しかし、軽く伸ばした私の舌には、何も触れることはなかった。


「えっ!?」


 気付くと視界は不明瞭だった。居るはずの澪織ミオリの姿もない。その時、私の体は背中側から抱き寄せられる。そして、目の前に迫ったのは、澪織ミオリの豊満な胸の谷間だった。


「もごっ! もがっ!」


 声を出すことができない。目の前は真っ暗だ。もがく私を抱きしめていたのは、澪織ミオリの腕だった。左腕は私の頭を抱え、右腕は背中を押さえつけていた。右手には、私のメガネを持っている。


海果音ミカネ、私、知ってるんだよ。海果音ミカネが本気で歌うとき、海果音ミカネは目を閉じる癖がある。きっと、私を眠らせようとするときも同じ。そう思ったんだ。目を閉じたら、あなたは全身の感覚をシャットアウトする。私はそれに賭けたの。これでもう、逃げられないね」


 私を乗せていたマクロボ、最後の1機も、澪織ミオリに急接近してくる。しかし、澪織ミオリが視線を向けると、それもむなしく砕け散ってしまった。


「ねえ、海果音ミカネ、よく聞いて。私ね、自分が嫌いだったんだよ。海果音ミカネに依存しないと生きていけない、自分が嫌だったんだ。だから、忘れることができてたんだ。


 でもね、もう忘れられないんだ。あの病院で海果音ミカネのことを思い出してから、忘れられないんだ。それは、私が念動力そのものになってしまったから。あなたへの想い、そのものになってしまったからなんだよ。


 私が存在する限り、私はあなたを求め続ける。でも、それじゃいけないんだ。


 私はあなたに苦しみを教えてしまった。その罪をあがなわなければならないんだ。


 あなたが存在し続ける限り、あなたは苦しみ続ける。それは、人類すべてが滅んで、あなたひとりになっても同じ。だって、私と……ううん、人と関りを持つ幸せを知ってしまったんだから。それを失ってしまったら、あなたはここで、悲しみに暮れなければならない。


 あなたこそ、もう苦しむ必要はないんだよ。だからね、私があなたを存在することから解放してあげる。


 人の心を知ったかわいそうな神様、あなたをからっぽの神様、虚神に戻してあげる。


 私は、あなたと一緒に居たいという、自分の意思に逆らって、あなたを私から永久に奪うの。それで、おしまいにしましょう」


 澪織ミオリはメガネを左手に持ち替え、右手で再び私の背中をさすると、指に思いきり力を込めた。


「ぐぁっ!」


 澪織ミオリの指は、私の背中にずぶずぶと沈んでいった。背骨を砕いて、私の心臓を掴む澪織ミオリの指。澪織ミオリは私の心臓を愛おしそうに撫で回す。その感触を十分に味わったあと、彼女はささやいた。


「ごめんね、海果音ミカネ。愛してるよ」

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