第13話 あなたが居なくても
突如会社の壁に現れた「みんな時間通りに来てるんだよ! 遅刻は厳禁! 電車遅延は言い訳になりません!」のポスター。会社を見渡せば、似たようなポスターが至る所に貼ってある。私はそんなポスターに払うお金があるなら、給料を増やしてほしいと思っていた。
「始業時間までに準備は済ませよう!」
「あなたが休んでる間も働いてる人がいるんだよ?」
「もう帰るの? 報告は済ませた? 他の人の手伝いは?」
数々のポスター、そのメッセージに囲まれると息苦しさを覚える。げんなりして仕事を終え、疲れ切って帰宅すると、私はテレビをつけた。
「24時間働くあな……プツン」
私は瞬く間にテレビを消し、床に仰向けに寝ころんだ。
「なんでみんなそんなに仕事をさせたがるんだーっ!!」
叫びは虚しく響き渡る。
「はぁ、でも明日は休みだ。なーにしよっかな~。会社に貼ってあったポスター、ネットで買ったって言ってたなあ」
私は起き上がり、パソコンの電源を入れた。「みんな時間通りに来てるんだよ」と検索すると、社員教育ポスターを販売する業者のサイトがすぐに見つかった。
「あー、こーいうのだけ作ってる会社なんだ。それで商売が成り立つんだ。やっぱり、こんなの私でも作れるよ。大したことないのに、世の社長さん方は、こんなのにお金払ってるんだなぁ。ブラック企業への規制も厳しくなってきたっていうのに、こんな時代に逆行したものが売れるなんて……私だったら、もっと違うの作るけどなあ」
私は怪訝な顔で独り言を言いつつ、資料作成ソフトを立ち上げた。
「よしっ! やってみるか」
手が自然に動く。血が
「できたーっ! それ見たことかっ! 10分でできるじゃーん!」
私が作成した資料は、「ちゃんと有休取ってる?」というもので、休みなく働く会社員に向けたメッセージだった。
「って、作っただけじゃもったいないな。うちの会社に貼るのは……怒られるか」
私はフリー素材共有サイト「イラストック」にアクセスした。そのサイトは、有志がアップロードしたフリー素材を、無料でダウンロードできるサイトで、自分でもよく利用していた。私はこの時初めて、アップロードする側に立とうとしていたのだ。
「ふむ、アップロードするにはメールアドレスを登録する必要があるのか」
私はプライベート用のメールアドレスを使って登録を終え、「ちゃんと有休取ってる?」の資料を、画像に変換してアップロードした。
「ふふんっ、誰かダウンロードしてくれるかな? さーて、もっと作ってみよっと」
気持ちが高ぶっていた私は、次から次へと資料を作成した。
「誰だって休みたい時がある。責めてはいけません」
「あなたが居なくても大丈夫! 休んでも仕事は止まったりしないよ!」
「ストレスを感じたら、ほっと一息、休憩入れよ」
作った資料を全てイラストックにアップロードすると、私は疲れ果ててぐっすりと眠りについた。
週末、暇になった私は、自分が作成した資料がどれだけダウンロードされているかを確認した。
「およ、これだけがやたらダウンロードされてるなぁ」
それは、「あなたが居なくても大丈夫」と書いた資料だった。その言葉は、仕事に不満を抱く人々の心に響いたようで、SNS「コトリゴト」を中心に、急激に広まっていた。
「はて、前にもこんなことあったような」
苦笑いを浮かべながら呟く私。そう、それは春に起きた炎上事件と似た盛り上がりを見せていた。反応を追ってみると――
「誰かが言ってくれないかと思ってた」
「この言葉に助けられたよ。ありがとう」
「今年の流行語大賞は『あなたが居なくても大丈夫』に決まりでしょ」
皆、好意的に受け止めていた。悪い方に解釈している人はいない。私は、安心して事の行方を見守ることにした。
次の月曜日、オフィスに出勤すると、私は壁のポスターが変化していることに気付いた。なんとそれは、私が作成した、「あなたが居なくても大丈夫」の画像であった。
「あらま……」
思わず声が漏れる。その時、出勤してきた上司が私に声をかけてきた。
「どうした? なんかあったのか?」
「ああ、いえ、このポスター、何で貼ってあるのかなって思いまして。それと、前のポスターは?」
「ああ、それか。先週末、お前が帰った後に社長がポスターを剥がし始めたんだ。どうしたのか聞いてみたら、あのポスターがネットで叩かれてるのを見たそうでな。それで、逆に絶賛されてる画像をポスターにして貼ったんだよ」
「はあ、じゃあ、前のポスターを買った部長さんは?」
「社長から、『こんなの貼って、社員がネットに晒したらどうするんだ』って、ちょっと叱られたらしい。社長は『これからはうちも労働環境を改善しなければならない』なんて言い出してな」
「改善ですか。うちってそういうのと関係ないと思ってました」
「俺もそう思ってたんだけどな。うちにとってはいいきっかけだったのかもしれないな。よし、仕事だ」
「は、はいっ」
春まではきつかった上司の態度も、次第に軟化してきていた。私が作った資料はリアルでも徐々に広まってゆく。私が行くお店など、至る所で「あなたが居なくても大丈夫」のポスターを見ることになるのであった。結果、私の残業も減り、毎日定時で帰宅しては、テレビを眺める日々を過ごしていた。そして私は、ニュースでもその言葉を耳にする。
「このほど、政府は働き方改革の一環として、『あなたが居なくても大丈夫』を標語として、国民の有給休暇取得を促すと発表しました」
キャスターは明るい表情だ。テレビ局としても、その発表を好意的に捉えてることが伺えた。
「はぁ、思ってもみなかった反響だなぁ。私って、プログラムより、標語を作る才能の方があったのかな」
それから1ヶ月後、10月中旬、私はその効果を身を以って知ることになる。
「さーて、今日はラーメンでも食べちゃおうかな」
仕事に余裕ができた私は、昼食をえり好みするようになっていた。その日は久々にジャンクな味が恋しくなったのだが――
「あれ、今日って定休日だっけ?」
店の扉には準備中の札が下がり、「従業員の休暇のため、休業いたします」という張り紙が貼られていた。
「ふーむ、しょうがない、別の店にしよっと」
しかし、次に訪ねたラーメン屋も、同様の理由で休業していた。他の店を探すも、行列ができている店には並びたくないし、待っていたら昼休みが終わってしまう。私は仕方がなく、コンビニエンスストアで食料を調達し、社内に戻った。
「ちゅるるるるる……」
「おう、
自席で栄養ゼリーをすする私に、外から帰って来た上司が尋ねてきた。手にはビニール袋を提げている。
「ああ、お店がやってなくて、コンビニで買ってきたんです」
「そうか、俺も今日はコンビニなんだ。食いたい店が軒並み休業でな」
「最近多いですよね。栄養偏っちゃいますね」
「お前はもう偏ってそうだけどな。ははは」
「えへへ、確かにそうですけど」
「気ぃ悪くしたらゴメンな。ははは」
そして、午後の仕事をそつなくこなして退社する。私は帰宅すると、真っ先にテレビをつけた。
「近頃、従業員の休暇取得などにより、臨時休業する店舗や会社が増えてきました。この状況に政府は、『狙い通りの効果が出ている』との見解を示しています」
ニュースはそれを、否定的なニュアンスで伝えていた。
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