第4話 お節介がやってきた

 3月下旬、ある日の朝、私はシステムのリリースを徹夜で終え、会社から駅へ向かっていた。そこに待ち受けていたのは、SNS「コトリゴト」に端を発する騒動から行動を起こした星宮ホシミヤ 澪織ミオリ眩暈めまいを覚え尻餅をついた私のもとに、彼女が駆けつける。


「どうしました? 救急車呼びますか?」


「……うう、すみません。大丈夫です」


 雑踏ざっとうにかき消されそうな微かな声、私にはそれが精一杯せいいっぱいだった。


「大丈夫じゃないようですね。私にできることはありますか?」


「気にしないでください。自分で歩けます」


 私はアスファルトに手をつき、立ち上がろうとしたが、力が入らなかった。


「そんな体調で無理しないでください。救急車、呼びましょう」


「帰って少し寝れば良くなりますから。こういうのは慣れてまして」


「でも、あなたのような人、見過ごすことはできません」


 澪織ミオリは私に手を差し伸べる。私は彼女の憐れむような視線に苛立いらだちを覚えた。


「放っといてください。あなたには関係ないじゃないですか」


 皮脂ひしが付着したレンズ越し、澪織ミオリの表情が少し歪む。


「放っておけません! 私はあなたのように苦しんでる人々のために活動しています。あなたのような方が酷い目に遭っているのに、放っておけると思うのですか? あなたにも幸せになる権利はあるんですよ」


 私は自分が見下げられているように感じて、頭に血が上った。


「馬鹿にしないでください! 私が不幸だとでも? 私だって自分なりにちゃんと生きています! あなたは赤の他人にそんな世話を焼いて、暇人なのですか!?」


「暇人っ!? 私がそんな風に見えるのですかっ!?」


 澪織ミオリはこの頃、本業であるはずの声優の仕事も少なく、星神輿ホシノミコシノ会の活動以外にすることがなかった。


「周りを見て下さい。みなさん仕事に向かっているでしょう? 毎日遅刻せずに出勤することがいかに大事なことか、暇なあなたにはわからないのでしょうね」


「くっ! こっちが優しくしていればそのような言い草!」


「気に障りましたか。どうせ私はコミュ障ですからねっ」


 私は目を細め横を向き、少し口を尖らせて吐き捨てた。


「そうやって、自分を卑下して逃げて、弱者を気取らないでください!」


「気取ってなんていませんよ。私なんて助けてもらう価値もありません。それだけです!」


「ぐっ! 価値? 価値ですって!? あなたは人間が価値で計れるとでも思ってるんですかっ!! はぁ……はぁ……!」


 息が上がるほど激昂げきこうする澪織ミオリ。私は正面を向き、目を丸くして息を呑む。


「……ごめんなさい。でも、そんなに大声出さなくても、みんな見てますよ?」


 朝のラッシュ時に叫んでる金髪碧眼きんぱつへきがんが居れば、見るなという方が無理な話である。


「……とにかく、命はみな等しく尊いものなのです。あなただってその貴重なひとり。どうか、助けさせてくださいっ!」


 怒った矢先、地面に膝をつき懇願こんがんする澪織ミオリであった。


「なんでそこまで……とにかく、救急車は必要ありません。気持ちはありがたいですけど、あなたに迷惑をかけるほどのことじゃ……」


 私は澪織ミオリの青く美しい瞳をじっと見つめる。すると、彼女の表情は少し和らいだ。


「わかりました。救急車は呼びません。でも、せめて家まで付き添わせてください。もし、ホームから線路に落ちでもしたら……」


「……寝覚めが悪いですもんね。わかりました」


 私は少し目を逸らしながら澪織ミオリの手を取る。彼女は私の手を引き、肩を貸してくれた。


「では、参りましょう」


「なんか、恥ずかしいですね」


 澪織ミオリと共に改札へ向かう私。彼女は私より15cmほど背が高く、しわひとつない黒のレディスーツも良く似合っていた。ホームでも|彼女は私を支える。ほどなくして電車が到着し、私たちふたりはそれに乗り込んだ。中は空いており、私たちはシートに並んで腰をかけた。


「朝に帰宅するのに慣れてるとは、あなたのお仕事はなんなんですか?」


 澪織ミオリが尋ねるが、私は既に寝息を立てていた。


「……はぁ、どこで降りるかわからないのですが」


 その疑問をよそに、私は澪織ミオリの肩にもたれかかっていた。彼女は気恥きはずかしさを覚えるが、一夜を明かした私の汗の匂いに、なぜか安らぎを感じていた。彼女のまぶたがゆっくりと下がってきた頃、私の身体がびくんと跳ねる。


「あ、降ります! 降ります!」


 社会人の習性であろうか。目的の駅に到着すると自然に目が覚める。私は隣に澪織ミオリがいるのを忘れ、電車から飛び出していた。


「ああっ、ちょっと待ってください!」


 澪織ミオリも慌ててそれを追う。私はホームでつまずくが、彼女はその身体を支えてくれた。


「もう、無理しないでください。ほら、つかまって……」


「すみません……」


 私は澪織ミオリに肩を借りて駅を出た。その後、彼女は道の端で立ち止まり、スマホを操作し始める。


「なにしてるんですか?」


「ああ、いえ、タクシーを呼ぼうと思って。ご自宅はどちらですか?」


「ああっ、そんなに遠くありません。ここから10分ですっ!」


「そうですか。ならば……」


 澪織ミオリはおもむろに、私をひょいっと持ち上げ、お姫様抱っこの形をとった。


「なっ、何するんですかっ」


「ふふ、さて、道案内、お願いしますねっ♪」


 なぜか彼女の顔はほころんでいた。私のナビに従って、彼女は私の自宅へと向かう。


「しかし、軽いですね。ちゃんとご飯食べてるんですか?」


 確かに私は150cm、40kgと、標準的な女性より痩せていた。え? 40kgをひょいっと? 澪織ミオリは一体……さておき、私だってご飯くらいはちゃんと食べていた。


「食べてますよ。ご飯ならいつも冷凍してストックしています。あ、たまにパンも食べるんですよ」


 澪織ミオリは私を抱えたまま唖然として目を丸くする。


「それだけですか? 野菜や肉も食べないとダメですよ。ましてやダブル炭水化物なんて重罪です」


「ああ、そうなんですか? いや、上司が奢ってくれる時は野菜や肉も食べますけど……」


「うーん、もしかして、食べるのが好きじゃないんですか?」


 彼女が私を見ると、私は彼女の腕の中でとろんとした目をしていた。彼女は無理に話しかけず再び歩き出す。


「……けれどーなみだはー、いらないー……♪ ぼくらにはー、ははがいるー、ちちがいるー……♪」


 私はゆりかごのような彼女の腕の中で、寝息混じりに歌を口ずさんでいた。


「へいわでー、ゆたかなー……♪ あ、そこ左に曲がって、右に見えるマンションです……202にいまるに……」


 私は途切れそうな意識をつなぎとめ、最後の案内を終える。


「あの、鍵、開けてもらえますか?」


 少し目を覚ました時、私は自分の部屋の目の前にいた。私はポケットから鍵を取り出して扉を開ける。部屋の中、壁にかかった時計の針は、9時30分を指していた。そこで私の意識は完全に途絶えた。


 ――目を開くと、私はベッドの上で布団の中に居た。窓から見える空はオレンジに染まり、とても綺麗だった。


(そっか、あれからずっと寝てたのか。会社は今日は明け休ってことになったんだよね)


 冷静に考えていると、透明感のある声が私の耳をくすぐる。


「あら、起きたんですね。では、ご飯にしますか」


 そこにはニットを着てジーンズを履いた、やけにカジュアルな金髪碧眼きんぱつへきがんの女性がいた。彼女は青いエプロンをつけ、私の部屋の台所を勝手に使い始める。


 ピッ……ゴソゴソ……トントントントン……


「な、何してるんですか? 勝手に炊事場すいじばを使って、炊事場泥棒すいじばどろぼうですか?」


 私はベッドから起き上がる力もなく、澪織ミオリの背中に語り掛けることしかできなかった。


「人を火事場泥棒かじばどろぼうみたいに言わないでくださいます? 夕飯を作ってるんですよ。ふんふ~ん♪」


「そんな、いいですよ、そこまでしてくださらなくて」


 きゅ~ぐるぐるぐる……


 私の言葉に反して私のお腹は欲望に正直だった。


「ふふっ♪ ここまでさせておいて、追い帰すつもりですか?」


 あなたが勝手にやったんでしょう、そんな言葉も出てこなかった。諦めて窓の外を眺めていると、澪織ミオリの鼻歌と共に、食欲をそそる香ばしい湯気が私の鼻をかすめる。私は自然とよだれが溢れてくることに、せいを実感していた。


 ――15分後


 ピーッ!


「さて、できましたよ」


 澪織ミオリは勝手に私の炊飯器とお米を使っていたようだ。私は少し気を悪くしたが、ふっくらと炊けたご飯の匂いに逆らうことはできなかった。


「よいしょ……」


「自分で起きられましたね。よかった」


 私はYシャツ1枚の姿だった。いつの間に脱いだのか、そんなことは気にならなかった。


「えへへ、本当にいいんですか?」


「もう用意できてるのに、それ言います?」


 にっこりと微笑む澪織ミオリは、ちゃぶ台の上にご飯とみそ汁と漬物を2人前並べた。


「って、大盛ですね。みそ汁も……じゃあ、いただきます」


「召し上がれ。私も、いただきます……」


 私はこの時、ご飯の美味しさを始めて意識した。具沢山ぐだくさんのみそ汁には、キャベツ、アスパラガス、タマネギ、ニンジンと、嬉しい落とし卵の他に、見慣れないものが浮いていた。


「なんですかこれ? 黄色いお花?」


「それは菜の花です。野菜と卵と漬物は、近所の農家さんの無人販売所で買ったんですよ」


 ほろ苦い春の味がした。ぬか漬けのカブも香ばしい。


「美味しい……ありがとうございます。料理お上手なんですねっ!」


「どういたしまして。でも、これは素材を切り揃えて煮ただけですから、手間はかかってないんですよ?」


「そうなんですねっ、でも、素材の味が生きてるって言うんですかね? ものすごく美味しいです。……はむはむっ、ごほっ!」


「ふふ、そんなに慌てないでください」


 私は夢中で澪織ミオリの料理を頬張ほおばった。お腹を幸せが満たしていく感覚をむさぼっていた。


「ごちそうさまでしたっ! ホントに美味しかったです!! ……あ、食材を買ったお金は?」


「いいんですよ。気にしなくて。ただ、あなたを助けたかっただけです」


「うう、なんというお節介さん……なんか、お母さんみたいですね。もしかして、母節介ぼせっかいさんですか?」


「……あはは、なんですかそれ? でも、あなたのその顔が見られたので嬉しいです」


 彼女は目を閉じ、噛み締めるように言った。


「あれ、そんな変な顔してましたか? でも、本当に助かりました。駅でのことは謝ります」


 頭を下げる私に、彼女も頭を下げる。


「いえいえ、私も申し訳ないことをしました……コホン、では、本題に入りますか……」


「ふえ……?」


 澪織ミオリはゆっくりと顔を上げる。


「コトリゴトの『ひなたん』というのは、あなたのことですね?」


 先程とは打って変わって、鋭い眼差しを向ける彼女を目の前に、私は引きつった笑いを浮かべることしかできなかった。

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