第6話 私の祝日
「コホン、しかしこの部屋、殺風景ですね。ベッドにパソコンデスク、戸棚にタンス……外に出ている物が何もありません」
「ああ、私、物をしまうのが癖になってるんですよ」
「見させてもらいました。あなたが寝てる間に。なるほど、自分を
「そ、そうなんですかね? あっ、勝手に見ないでくださいよっっ」
「……朝、あなたは、遅刻しないことが大事と
「そうかもしれません」
「では、これを差し上げましょう」
「嫌なことがあったら、これに書き込んでみてください」
「えっ、これは、あの、名前を書き込むとその人が亡くなるという……」
「何言ってるんですか? そんなものありません。これはまだ使ってないタダのノートです。それとペンも」
「タダノート……」
私は
「ふふ、さっきから変な人ですね。あなたがコトリゴトに最初に書いたようなこと、思い付いたら、まずこれに手書きしてみてください」
「チラシに書いてろってやつですか?」
「そうとも言えますが、一度書いてみると気が晴れるものですよ? あなたはストレスを逃がすのが苦手なようですので」
「でも、いいんですか? ノートとペン、貰っちゃって」
「いいですよ。ノートは仕事でメモするために何冊か持ち歩いてますが、思いの外仕事がないもので……」
「あー、確かに、ドラゴンフルーツちゃんの人でしたね……あ、ごめんなさい」
「いいんですよ。でもあなた、ノートや筆記用具を持ってないんですね。それって珍しいですよ」
「ああ、最近はなんでもパソコンとスマホで済ませてますからね」
「そうでしたか。さて、では私はこの辺で……」
「あ、はい。もうこんな時間ですからね。お世話になりました」
私は立ち上がってお辞儀をする。壁にかかった時計は19時を指していた。
「もう真っ暗ですね。それでは、さようなら」
「あの、
「あ、あの……」
その言葉はもう届いていなかった。
――目を開くと、窓の外には青空が広がっていた。
「まぶし……いまなんじ……?」
私は枕元に投げてあったスマホを取る。そこには午前11時という時刻と共に、不在着信の通知が表示されていた。私は慌ててメガネをかける。
「
着信は上司からのものであった。私は画面を埋め尽くす不在着信を恐る恐るタップし、震える手でスマホを耳に当てると、すぐに電話は繋がった。
「……もしもし」
「もしもし、その声は……」
「
「ん? ……ああ、
「すっ、すみません!! 寝坊しちゃって! 今からすぐ出ますっっ!!」
「っと、そんな大声出すなよ。びっくりするじゃないか。そんな声が出るなら元気ってことでいいんだな?」
「あ、はい、すみません。体調は万全です……」
「そうか、なら良かった。昨日は徹夜明けでフラフラだったから、心配してたんだぞ?」
「そ、そうなんですか?」
「そりゃそうだろ。お前、
「それはそうですけど。って、
「おいおい、そんな言い方はないだろ? ……いやな、ネット見てたら、俺も反省すべきところがあったと思ってな」
上司はそれ以上語らなかった。私は何のことかわからず話を続ける。
「そうですか。とりあえず、午後には間に合いますので午前休ってことで……」
「ああ、いいんだよ。無理させちまったからな。今日は休め」
「え、いいんですか?」
「いいも何も、リリース終わったんだからしばらく暇だろ? お前、昨日までずっと休みなしだったじゃないか。それにな……」
上司は一息ついて、少し声のトーンを上げた。
「今日は
「えっ!?」
私は頭の中でカレンダーをめくる。しかし、徹夜から寝過ごしのコンボで、今日が何月何日かわからなかった。
「なんだよ、自分の誕生日忘れてたのか? とにかく、今日はお前の誕生を祝う日、祝日みたいなもんだ。映画でも見て、うまいもん食ってこい」
「は、はい。わかりました」
「よし、じゃあ俺は忙しいから切るぞ! 今日は会社に絶対来るなよ!」
私の返事を待たず、電話は切れてしまった。
「そうか、今日は私の誕生日……」
スマホをじっと見つめて日付を確認し、私は普段着に着替えた。玄関を開けるとお日様が空高く輝いている。メガネのレンズを通して見た空は、曇りひとつなく澄み渡っていた。
「よし、行くかっ」
私は春の暖かい日差しの下、繁華街へと出掛けることにした。街には昼休みのサラリーマンが、午後に向けて英気を養っていた。私は人混みの中、歌を口ずさみながら映画館へと向かう。
「めっぐーるーきーせつ、ゆっれーるーこーころっ♪ いーくーつ、かーさーねるーーのーーー♪」
カランカラン……
映画館を目前にして、足元に空き缶が転がって来た。その先を見ると、ひとりのサラリーマンがスマホを見て立ち止まっていた。私がその空き缶を拾おうとした時、サラリーマンは小走りで近付いてきた。
「あ……」
私はそれ以上言葉が出てこなかった。サラリーマンは私の足元の空き缶を拾い上げると、少し微笑んで口を開いた。
「すまないね。これは俺のなんだ」
私が唖然としていると、遠くから声が聴こえてくる。
「せんぱーい、何してるんですかー? 昼休み、終わっちゃいますよー!」
先輩と呼ばれたサラリーマンは、20メートルほど先にいるもうひとりのサラリーマンに駆け寄った。
「おう、悪りぃ! ゴミ捨てたら中学生に怒られちゃってさ!」
仕事へと戻るふたりのサラリーマン。私は映画館の中へと進む。
「とーまってーたとけーいーの♪ はりがー、いま♪ うーごーきーだすーー♪」
やはり、周りの人は私に見向きもしない。その日は3月24日、私の24歳の誕生日だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます