第6話 私の祝日

 星宮ホシミヤ 澪織ミオリは、ネットで起きた騒動の原因が私の言葉にあると言った。しかし、私自身は誰にも認識されていなかった。そのことに彼女は、私に不思議な力があると笑う。彼女は私とひとしきり笑い合った後、思い出したように口を開いた。


「コホン、しかしこの部屋、殺風景ですね。ベッドにパソコンデスク、戸棚にタンス……外に出ている物が何もありません」


「ああ、私、物をしまうのが癖になってるんですよ」


「見させてもらいました。あなたが寝てる間に。なるほど、自分をりっすることにはけていると……」


「そ、そうなんですかね? あっ、勝手に見ないでくださいよっっ」


「……朝、あなたは、遅刻しないことが大事とおっしゃっていましたよね。確かに大事ですけど、みんながみんなそう思ってるとは限りませんよ? あなた、自分で作ったルールに縛られるのがお好きなのですか?」


「そうかもしれません」


「では、これを差し上げましょう」


 澪織ミオリは自分のカバンからノートを取り出した。


「嫌なことがあったら、これに書き込んでみてください」


「えっ、これは、あの、名前を書き込むとその人が亡くなるという……」


「何言ってるんですか? そんなものありません。これはまだ使ってないタダのノートです。それとペンも」


「タダノート……」


 私は澪織ミオリからノートとペンを、頭を下げながら受け取った。


「ふふ、さっきから変な人ですね。あなたがコトリゴトに最初に書いたようなこと、思い付いたら、まずこれに手書きしてみてください」


「チラシに書いてろってやつですか?」


「そうとも言えますが、一度書いてみると気が晴れるものですよ? あなたはストレスを逃がすのが苦手なようですので」


「でも、いいんですか? ノートとペン、貰っちゃって」


「いいですよ。ノートは仕事でメモするために何冊か持ち歩いてますが、思いの外仕事がないもので……」


「あー、確かに、ドラゴンフルーツちゃんの人でしたね……あ、ごめんなさい」


「いいんですよ。でもあなた、ノートや筆記用具を持ってないんですね。それって珍しいですよ」


「ああ、最近はなんでもパソコンとスマホで済ませてますからね」


「そうでしたか。さて、では私はこの辺で……」


「あ、はい。もうこんな時間ですからね。お世話になりました」


 私は立ち上がってお辞儀をする。壁にかかった時計は19時を指していた。澪織ミオリは玄関の扉を開ける。


「もう真っ暗ですね。それでは、さようなら」


 澪織ミオリの背中が遠ざかって行く。私は何故かそれがとても名残なごり惜しく思えた。


「あの、星宮ホシミヤ 澪織ミオリさん、私の本名は……」


 澪織ミオリは街灯の下で振り向く。スポットライトに照らし出された表情は、とても穏やかなものであった。そして彼女は首を横に振って、再び前を向き私から遠ざかって行った。


「あ、あの……」


 その言葉はもう届いていなかった。澪織ミオリの背中が見えなくなると、私は再び眠気に襲われ、よろよろとベッドに向かった。


 ――目を開くと、窓の外には青空が広がっていた。


「まぶし……いまなんじ……?」


 私は枕元に投げてあったスマホを取る。そこには午前11時という時刻と共に、不在着信の通知が表示されていた。私は慌ててメガネをかける。


坂上サカガミさんからだ。うわっ、朝から何件も……」


 着信は上司からのものであった。私は画面を埋め尽くす不在着信を恐る恐るタップし、震える手でスマホを耳に当てると、すぐに電話は繋がった。


「……もしもし」


「もしもし、その声は……」


日向ヒナタです……」


「ん? ……ああ、日向ヒナタか。いやすまん、急に誰だか思い出せなくなって……」


「すっ、すみません!! 寝坊しちゃって! 今からすぐ出ますっっ!!」


「っと、そんな大声出すなよ。びっくりするじゃないか。そんな声が出るなら元気ってことでいいんだな?」


「あ、はい、すみません。体調は万全です……」


「そうか、なら良かった。昨日は徹夜明けでフラフラだったから、心配してたんだぞ?」


「そ、そうなんですか?」


「そりゃそうだろ。お前、虚弱体質きょじゃくたいしつだもんな」


「それはそうですけど。って、坂上サカガミさん、なんかキャラ変わりました?」


「おいおい、そんな言い方はないだろ? ……いやな、ネット見てたら、俺も反省すべきところがあったと思ってな」


 上司はそれ以上語らなかった。私は何のことかわからず話を続ける。


「そうですか。とりあえず、午後には間に合いますので午前休ってことで……」


「ああ、いいんだよ。無理させちまったからな。今日は休め」


「え、いいんですか?」


「いいも何も、リリース終わったんだからしばらく暇だろ? お前、昨日までずっと休みなしだったじゃないか。それにな……」


 上司は一息ついて、少し声のトーンを上げた。


「今日は日向ヒナタの誕生日じゃないか。おめでとう!」


「えっ!?」


 私は頭の中でカレンダーをめくる。しかし、徹夜から寝過ごしのコンボで、今日が何月何日かわからなかった。


「なんだよ、自分の誕生日忘れてたのか? とにかく、今日はお前の誕生を祝う日、祝日みたいなもんだ。映画でも見て、うまいもん食ってこい」


「は、はい。わかりました」


「よし、じゃあ俺は忙しいから切るぞ! 今日は会社に絶対来るなよ!」


 私の返事を待たず、電話は切れてしまった。


「そうか、今日は私の誕生日……」


 スマホをじっと見つめて日付を確認し、私は普段着に着替えた。玄関を開けるとお日様が空高く輝いている。メガネのレンズを通して見た空は、曇りひとつなく澄み渡っていた。


「よし、行くかっ」


 私は春の暖かい日差しの下、繁華街へと出掛けることにした。街には昼休みのサラリーマンが、午後に向けて英気を養っていた。私は人混みの中、歌を口ずさみながら映画館へと向かう。


「めっぐーるーきーせつ、ゆっれーるーこーころっ♪ いーくーつ、かーさーねるーーのーーー♪」


 カランカラン……


 映画館を目前にして、足元に空き缶が転がって来た。その先を見ると、ひとりのサラリーマンがスマホを見て立ち止まっていた。私がその空き缶を拾おうとした時、サラリーマンは小走りで近付いてきた。


「あ……」


 私はそれ以上言葉が出てこなかった。サラリーマンは私の足元の空き缶を拾い上げると、少し微笑んで口を開いた。


「すまないね。これは俺のなんだ」


 私が唖然としていると、遠くから声が聴こえてくる。


「せんぱーい、何してるんですかー? 昼休み、終わっちゃいますよー!」


 先輩と呼ばれたサラリーマンは、20メートルほど先にいるもうひとりのサラリーマンに駆け寄った。


「おう、悪りぃ! ゴミ捨てたら中学生に怒られちゃってさ!」


 仕事へと戻るふたりのサラリーマン。私は映画館の中へと進む。


「とーまってーたとけーいーの♪ はりがー、いま♪ うーごーきーだすーー♪」


 やはり、周りの人は私に見向きもしない。その日は3月24日、私の24歳の誕生日だった。

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