♡第35話 ユーちゃん先生が、私を好き?

 月明かりに照らされるユーちゃん先生の顔は、だいぶやつれていた。


 きっと精神的ストレスでろくにご飯が食べられていないのだろう。ユーちゃん先生が高校生で不登校になった時のことが頭をよぎり、心が苦しくなった。


 でもそれ以上に、ユーちゃん先生と会えたことが嬉しかった。



「ユーちゃん先生……会いたかったよ」



 私がそういうと、ユーちゃん先生は細く微笑んで私の隣に腰を下ろした。


 そこから言葉はなく、私たちは川の揺らぎをただじっと眺めた。


 私たちの心は黒く揺れている。

 理由が違っても、本質は同じだ。


 だから分かり合えると思った。


 ややあって、ユーちゃん先生が口火を切った。



「千歌ちゃんは知ってるの? 



 『千歌ちゃん』と聞こえた瞬間に、私はユーちゃん先生の方を向いた。


 彼は遠い目をして、ひたすらに水面の揺らぎを眺めていた。



……」

「うん」



 とはつまり、姫宮さんとのキスのことだろう。

 でも、まさかユーちゃん先生の方から切り出してくるなんて思わなかった。


 途端に胸に針を刺されたような痛みが走った。



「……知ってるよ」

「そっか。そうだよね」



 それからユーちゃん先生は、当たり前のように煙草を加え、ライターで火をつけた。喫煙者の片鱗も見せたことがなかったから、ちょっぴり驚いた。


 煙が鼻孔につまって苦しい。

 煙草のにおいは嫌いだけど、ユーちゃん先生なら許せる。



「僕は昔、千歌ちゃんのことが好きだったんだよ」

「……え?」



 ユーちゃん先生が、私を好き?


 頭の中が真っ白、いや桜色に染まり、鼓動が歓喜の鐘を打つ。

 ほとんどモノクロな景色が色づき、世界が180度変化した。


 私は、瞳を濡らす雫に溺れた。



「でも、高3からはそうじゃなくなった」

「……」



 一瞬で桜色は灰色に変わる。


 高3は、ユーちゃん先生が不登校になった時期。やっぱりあの時から気持ちが離れてたんだね。


 わかってる。わかってるよ、そんなこと。

 さっき『昔』ってゆってたもんね。


 でも、もう少しだけ夢を見させてほしかったな。


 涙の意味は、一瞬で変わってしまった。



「だけど、それももうおしまいだ」

「……ど、どういうこと?」

「僕を好きな人に魅力を感じられなくなって、僕が好きな人には拒絶された。だから自暴自棄になっていた。でも、だからまた別の、僕を好きな人を求めはじめた」



 ユーちゃん先生の言葉は禅問答のようでよくわからない。

 でも、今のユーちゃん先生は、誰かに愛されたいんだ。



「ねぇ、千歌ちゃん」

「な、なに……」

「一緒にパンダノン島に行かない?」

「……パ、パンダ……⁇」

「パンダノン島。僕の第2の故郷かな」



 もう何がなんだかわからなかった。

 私の情緒は行ったり来たりしているし、ユーちゃん先生の言っていることは突飛すぎてチンプンカンプン。


 そんな私の様子をみたユーちゃん先生は、ふっと顔を綻ばせた。



「千歌ちゃんが困ってる顔、かわいい」

「か、かわ……かわ……」

「そうやって、泡食ってるのもかわいい」

「え、あ……う……」

「僕がツインテールを褒めてからずっとそうしてるのも、たまらなくかわいい」



 顔が上気した。それどころか、全身から火が噴き出しそうになる。

 

 どうしよう、私。どうしよう、あのユーちゃん先生が……。



「ねぇ、そうだ。ハンカチ落としをしようよ。昔みたいにさ」

「え、へ、あ……」

「僕が千歌ちゃんの周りをまわるから、ハンカチが落とされたと思ったらいってね」

「ええっと……」

「千歌ちゃんが負けたら、僕とパンダノン島にいこう」



 ユーちゃん先生は有無を言わさず、ハンカチ落としを始めた。私は慌てて目を瞑る。彼が『どんぐりころころ』も歌い始めたから、つられて私も訥々とつとつと歌った。



「どんぐりころころどんぶりこ~お池にはまってさあ大変~どじょうが出て来てこんにちは~ぼっちゃん一緒に遊びましょう」



 ユーちゃん先生が私の周りをぐるぐるまわるのと同じ速度で、私の脳内はぐるぐると回った。



「どんぐりころころよろこんで~しばらく一緒に遊んだが~やっぱりお山が恋しいと~泣いてはどじょうを困らせた~」



 さっきもらった言葉たちを理解しようと試みるけど、やっぱりなんにも分からなかった。



「どんぐりころころないてたら~なかよしこりすがとんできて~おちばにくるんで おんぶして~」




 ただただ、頭がぐるぐるして、心が揺れていた。



「いそいでおやまにつれてった~」



 私、ユーちゃん先生に連れてかれたいのかな。


 どこか遠くに。パンダノン島に。


 もう何も、考えなくていいように。



「はい、千歌ちゃんの負け」



 ユーちゃん先生のその言葉とともに、急に背中があったかくなって、重みを感じた。耳に生暖かい優しい吐息がかかる。


 

 ユーちゃん先生は、私を後ろから抱きしめていた。





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