★第53話 だから、離したくない

 あの神社の混沌から、2か月が経過した。


 季節は夏の終わり。



 あれから先生は姫宮と和解したらしく、警察に行くことはなかった。そして1ヶ月の説得の末に千歌の母親と別れた。


 一方の皆川は、千歌の件で大人しく自首した。きっと先生との結婚の約束の効力だろう。


 そして真島は姫宮から事情を聞いたのか、千歌への連絡はパタリと途絶えた。同様に、姫宮から俺に連絡が来ることもなかった。


 これで全てが丸く収まるはずだった。


 だけど、千歌の母親は突然鹿児島に行くと言い出した。相当先生への思い入れが強かったのだろう、物理的に離れないとダメなようだった。


 だが、これに千歌は猛反発した。浮高に残りたいと訴え続けた。でも千歌の母親は、高校を卒業しないうちは親元を離れてはだめだといって聞かなかった。


 千歌の母親は明らか身勝手だ。

 だが今思えば、長年のパートナーと突然別れて生きる意味を見失っている中、娘とも別れたら生きていけないと思ったのかもしれない。


 だけどそんなこと、知ったこっちゃない。千歌と離れたくない俺は、千歌のアパートに乗り込んで何度も説得した。千歌と結婚するとも言った。でも、高校生だからの一点張りで聞く耳を持ってくれなかった。


 結局千歌は、9月から鹿児島の高校に編入することになった。


 ……そして今日は、千歌との最後のデートの日。


 俺たちは、11番の個室にいる。



「今日はなんでメロンソーダなの?」

「千歌と一緒がいいから」

「じゃあ、今日はなんでカラオケなの?」

「千歌とだけ一緒にいられるから」

「……そっか」



 この2か月、俺たちはデートらしいデートを1度もしていない。最初の1か月は千歌も俺も憔悴しきってたし、やっと精神が回復してきたところで引っ越しの話が持ち上がったからだ。


 だからきっと千歌は、今日くらいは河口湖の時みたいに知らない場所に2人で行きたいと思っていたのかもしれない。


 でも俺は、なんだかこの場所にいたかった。

 思い出の場所で誰にも邪魔されず、2人でいたかった。



「ねぇ、正樹」

「ん?」



 メロンソーダを両手で持ち、中の氷をころころと転がしながら千歌は呟いた。



「なんで私が好きなの?」

「え……なんでって?」

「だって、幼稚いし、バカだし、心弱いし、ユーちゃん先生にも依存してたし……」

「最低だね」

「……うぅ」

「冗談」



 千歌は本当に落ち込んでしまったようだ。俺は慌てて千歌の方を向き直り、真剣なトーンで話した。



「俺だって、幼稚だし、バカだし、甲斐性ないし、千歌と連絡してなかった時期に姫宮の方に傾きかけたよ」

「姫宮さんに? ……最低」

「あ、ごめん……ほんの一瞬ね。あの時はその、千歌が真島と……勘違いしてたし」

「……うん」

「でも、もう千歌しかいないから」



 千歌は俺の方をまっすぐに見つめた。俺もただ、その透き通った黒い瞳をまっすぐに見つめ返した。



「……ほんと?」

「もちろん」

「ずっと?」

「一生」



 それは俺の本心だった。俺はもう、千歌以外と恋愛するつもりはない。

 この短期間で味わった、喜びも悲しみも苦しみも痛みも、全部千歌とだけにしたかった。



「俺は千歌といると、自分と向き合えるんだ。激しい感情になることもあるけど、逆に今までの人生でそんな風になったことがなかった。それって、本当はいるはずの自分と出会えてなかったんだと思う。でも千歌のおかげで、真の自分を知ることが出来た。向き合うことができた。だから千歌じゃないとダメだ」

「……それ、私の好きなとこなの?」

「……え?」



 せっかく心の内を明かしたけど、どうやら千歌は俺の返答にご不満らしく、頬をぷくっと膨らませた。やっぱり女心は難しい。



「わかった……恥ずかしいから1回だけね」

「うん」

「千歌のかわいいとこが好き、目が好き、笑顔が好き、天然であざといとこが好き、子どもっぽいとこが好き、あほなとこが好き、繊細なとこが好き、優しいとこが好き、ちゃんと考えてくれるとこが好き、俺のこと好きなとこが……ん‼」



 突然だった。


 千歌は俺の唇を塞いだ。


 その柔らかい感触、息遣い、甘い香り、長いまつげ……五感で感じるすべてが愛おしく感じた。


 千歌はすっと身を引き、衒いのない笑顔を向けた。



「正樹のかっこいいところが好き、目が好き、笑顔が好き、ぼけっとして抜けてるとこが好き、子どもっぽいとこが好き、あほなとこが好き、ロマンチストなとこが好き、優しいとこが好き、頼りになるところが好き、私のとこ好きなとこが……んっ」



 今度は、永かった。


 今現状にあるすべてのことを忘れて、ただ、目の前の千歌と……。



 俺は、千歌が好きだ。どうしようもなく。


 他のことはどうでもいい。


 だから、離したくない。


 千歌。

 




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