★第54話 切る
月明かりが眩しく感じる暗闇。
川のせせらぎが耳を撫でる。
俺たちは今、河川敷にいる。
あの日、先生と千歌がキスをしそうになった場所。
思い出しただけで心の奥を突き刺されるような痛みが走った。
何故千歌は、最後に俺をここに連れてきたのだろうか。
やっぱりまだ、先生のことが――
「全部川に流してほしいって言ったら、都合よすぎるかな?」
「……それを言うなら水に流す、だろ」
「そうだっけ」
そこからは、静かな沈黙が流れた。千歌は俺の返答を待っているのかもしれない。でも、俺はあの出来事を水には流せない、いや、流したくないと思ってる。
千歌の弱さも含めて千歌だから。その全部が千歌だから。
だけど、それを言うのはなんだか恥ずかしくて言えなかった。
ややあって、千歌が両頬をぺちぺち叩き、バッグから何かを取り出した。
「はい正樹、これ」
「……え、なにこれ?」
「はさみとチラシ」
はさみとチラシ……だめだ、訳がわからない。
「あの……なにこれ?」
「だからはさみとチラシ」
「いや、それがわからな――」
「切って」
「……え?」
「私とユーちゃん先生のこと、切って。この場所で」
千歌はそういうと、自分の周りにチラシを敷きつめ、その上にひょいと座った。くしゃっという乾いた音が河川敷に響く。
そして、千歌は俺にはさみを押し付けた。
「はい」
「え、だからわからない……」
「髪……」
「……え?」
「この髪……ツインテール、ユーちゃん先生に褒められたからずっとしてたの。でも、もういらない。正樹の好きな髪型になりたい」
まさかの言葉に、息が詰まる。
……切る。それは、髪を切ることで先生との過去を切る、そういう意味なのか……?
「で、でも……髪って女子にとってすごく大事だろ。俺、素人だし……」
「いいの! 正樹に切って欲しいから。ううん、正樹に切ってもらわないと、意味がないから」
「変になっても怒らない?」
「……多分」
「おい!」
「へへっ」
それから俺は、月明かりだけを頼りに千歌のツインテールをバッサリ切った。
ザクッという大きな音が響いた。
最初は臆してたけど、切ってみるとなんだか心がすっとした。千歌の言った通り、先生と千歌の最後の繋がりを、俺の手で切ったことに意味があるのかもしれない。
「お、終わったよ」
「ありがとう! ……どうかな?」
千歌がくるっと俺の方へ振り向いた。
月明かりに照らされたあどけない顔に、ショートヘアが良く似合っている。
ああ……めちゃめちゃかわいい! ツインテールよりずっとかわいい!
「あー、やっぱり下手っぴ」
千歌は毛先を眺め、不満を述べた。
俺はその様子を見て焦った。
「だ、だって千歌が切れって……」
「冗談! ありがとう、正樹」
「う、うん」
「……好きだよ」
「……俺も、好きだよ」
俺たちは月明かりに照らされながら、キスをした。
先程の激しいキスとは違い、とても穏やかだった。
でも、心の奥底から幸福感が湧き上がってくるような、とても幸せなキスだった。
この時間がずっと続けばいいのに。
そう思っても、無情にも朝はやってくる。
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