★第52話 混沌
先生が千歌の母親の恋人……。
「ユーちゃん先生……そんな……なんで隠して……」
「千歌ちゃん、本当にごめんね。結婚は付き合ったときに時期を決めていて、千歌ちゃんが大学生になったら、全部白状しようと思ってた。でも、千歌ちゃんが僕に依存していることを知っていたから、言えなかったんだ。本当に、ごめんね」
「そんな……嘘……」
千歌は慟哭した。そして、皆川も慟哭した。2人とも
「でも……いざ結婚が迫ると、次第に本当にこれでいいのか?と思い始めたんだ。だけど、何故そんな疑問が湧くのかすら最初はわからなかった。だって、彼女は僕の命の恩人で、長年のパートナーだから。愛情は冷めたことはないはずだし、もちろん浮気だってしたことない。なのに、本当にこれでいいのか?という自問自答が繰り返された。あまりにも脳内で繰り返されるから、おかしくなってきた」
自問自答。それはなんとなく、わかる気がする。
俺も千歌と自然消滅して姫宮と曖昧な関係になった時、ひたすら自問自答して悄然としていた。
「そんな時にね、姫宮さんが数学の質問に来たんだよ。最初は綺麗な子だなって思っただけだったんだけどね……見ちゃったんだよ」
「見ちゃった……?」
「名前……華乃」
先生が華乃と言った瞬間、千歌が声にならない悲鳴をあげた。
「そう……千歌ちゃんのお母さんの名前、華乃なんだ」
……幻影って、まさか――
「その時気づいてしまったんだ。僕の疑問の正体――それは、若さ。そんなの、自分が最低だって頭では理解してるんだけどね。ダメなんだよ……やっぱり42歳の華乃じゃなくて、付き合い始めた34歳の華乃、いや、出会った頃の28歳の華乃、いや、もっともっと若い、高校生の時の華乃。……会ってみたかった、若い頃の華乃」
ユーちゃん先生は虚空を呆然と眺めたまま、皆川のようにその場に雪崩れ込んだ。
「僕は、僕は……若い華乃の幻影に、恋をした。決して出会えない華乃の幻影に恋い焦がれた。その代替品が姫宮さんだった。もう身体も心も言うことをきかなくて、華乃の幻影をストーキングするようになってしまった。やめられなかった。好きだから。会えないはずの若い華乃に会えるから」
もう、この場は混沌と化していた。
だれも正常じゃない。
恐ろしいのは、これが全部恋愛が引き起こした状況であるということ。
「そしてついに……姫宮さんにキスしてしまった。それからは警察に捕まったらどうしようという不安に苛まれて、更におかしくなった。そしたら僕の異変に華乃が気づいて、言うんだ。『私の元から離れないで』って。それで僕は休職して、彼女は僕との二重生活を始めた。千歌ちゃんには夜勤と言って嘘をついていたんだよね。ほんとうに……ほんとうにごめんね……」
やるせない。許せない。
今すぐにでも先生に殴りかかりたい。
でも、腕の中の千歌を離したくない。これ以上傷つけたくない。
だから、動けなかった。
「でも、もう決めたよ。僕は華乃と別れる。そして姫宮さんにきちんと謝罪して、警察に自首して、罪を償う。だから美乃梨もちゃんと2人に謝って、警察に自首して。それでお互いに刑期を終えたら、パンダノン島に行こう。2人で」
……パンダノン島? ……。
「ユーちゃん……‼」
先生の言葉を聞いた皆川は、先生に飛びついた。
その光景を、呆然と見ていた。
すると、放心状態の俺を千歌は優しく抱きしめてくれた。俺は我に返って、力強く抱きしめ返した。
……終わったんだ、疑似浮気が。
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