★第14話 純粋で透明なひとこと
カフェを出ると、辺りは薄闇に包まれていた。
姫宮の横を並んで歩き、塾へ向かう。
隣を歩くとライトブラウンのロングヘアからふわっとベリーの香りが漂ってきた。どうして女子はこんなにいい香りがするのだろうか。
そういえば皆川のスポーツタオルもフローラルの香りがしていた。匂いの記憶が鼻の奥で蘇り、淡い恋心が呼び戻される。
……あ、そういえば、スポーツタオル返さないと……。
「あの、橋本さん?」
「……ほぇ……は、はい、なんでしょうか」
ダメだ、作戦実行中に他のことに意識が持っていかれたら。
あくまで俺のミッションは姫宮を落とすこと。
「どうして私を助けようとしてくれたんですか?」
「……」
少し考えれば、姫宮が俺の行動に疑問を持つなんてわかるはず。でも俺はあいにく、この質問に対する回答を準備していなかった。
どうしよう。なんと答えればいいんだ?
「綺麗だったから」じゃナンパだし、「前からつけられているのを見ていた」だと俺自身もストーカーになっちゃうし……。
いいや、この際適当で!
「ざ、雑誌で見たことがあったから……有名人だと危ないのかなって」
「有名って程ではないですが……女性誌読まれるんですか?」
五月女が姫宮は読者モデルって言ってたからそれを利用したけど、よく考えたら男の俺が女性誌を読んでたらきめぇ‼
「あ、や、いや……妹がね。よく見せてくるんですよ。だから見慣れていて、初対面なのに他人だと思えなかったって言うか……」
「そうだったんですね……私を覚えてくれたんだ……」
最後の言葉が小さくて聞こえない。
うまくごまかせたか不安だったので、恐る恐る姫宮を一瞥してみる。
すると彼女は頬をホオズキのように赤くさせ、やや伏し目がちになっていた。
大人っぽい風貌の中にあどけなさを見つけ、思わずドキッとしてしまう。
「あの……塾、ここなんです」
「そ、そうなんだ。無事について良かった」
塾は大通りから1本外れていて、住宅街の中に佇んでいるからか周りに人気はない。塾から漏れる灯りがやけに眩しく感じ、すっかり夜になったことを認識する。
「じゃあ、また9時にここに来るよ」
「いいんですか? 本当にありがとうございます」
「お安い御用だよ」
「あの、橋本さん……」
姫宮は眩しい塾のガラス扉を背に、俺をまっすぐに見つめて呟いた。
「運命って、信じますか?」
真剣な表情だった。
そしてそれは、『運命』を本気で信じる人の物言い。
……俺は、何も答えることができなかった。
「私は今日、運命に出会えた気がします」
身を翻す姫宮の後ろ姿には、見る者に有無を言わさぬ美しさが滲んでいた。
きっと世の男子の9割は、このタイミングで恋に落ちるのだろう。
それは、姫宮の言葉があまりにも純粋で透明なひとことだったから。
果たして姫宮は、どの男にもこういうことを平気で言う女なのだろうか?
五月女が言うように、顔だけよい性悪な魔性の女なのだろうか?
こう考えてしまう時点で、既に彼女の手管にほだされているのだろうか?
次々に湧き上がる脳内の疑問符を霧散させたのは、頬に走る強烈な痛みだった。
「まったく……姫宮さんに落とされちゃダメだよ?」
不機嫌な声の主は、背伸びのせいで足をぷるぷるさせながら俺の頬をつねる五月女だった。
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