★第5話 せめて、皆川にはバラそう

 驟雨しゅううに襲われ、逃げるように体育館に入る。


 コートでは既に何組かがダブルスを始めている。

 俺は体育館の端に移動し、びしょ濡れの身体をスポーツタオルで荒々しく拭いた。


 でもいくら水滴をふき取っても、身体に何かが張り付くような感覚は拭えない。

 心ここにあらず。


 昨日、五月女とラブホで別れてから、ずっとこんな調子が続いている。


 結局真島先輩の犯罪の証拠写真は撮れなかっただけでなく、JKとラブホに入った俺も犯罪者の仲間入り。


 だからラブホからの帰り道は、一部始終を見ていた誰かに通報されるんじゃないかという不安に苛まれていたし、正直今もその不安に支配されている。


 でもその不安以上に、五月女の期待に応えられる気がしなくて悄然としている。


 昨日、呆然としながらラブホを出た後、正直このまま五月女が『お仕置き』の件を忘れてくれればいいと思ってた。


 だけど五月女は俺の連絡先をせがんだあと、「2人同時に直接『お仕置き』しようね。作戦考えたら教えて欲しい」と言った。


 確かに真島先輩は美少女好きだから五月女ならワンチャンあると思うが、正直俺が姫宮を落とすのは無理ゲーだ。


 このまま連絡先ブロックして、とんづらするかな……いや、そしたら俺が五月女に通報されるか……。



「はぁ……」

「橋本くん、やほっ」

「……え、あ……み、皆川……」

「びちょびちょだね? 折りたたみ傘持ってなかったの?」

「……うん」



 現れたのは、なんと皆川。ここんところ全然喋る機会がなかったから、ついきょどってしまった。


 心拍数はすぐに上昇し、冷えた身体が一気に熱を帯びる。肌に残った水滴まで蒸発しそうな勢いだ。


 やっぱ俺、まだ皆川のことが――



「あれ、タオルもぐっしょりだね。私の余ってるから貸してあげる!」

「え……」



 皆川はそういうと、自分のラケットケースからピンクのスポーツタオルを取り、俺に差し出してくれた。


 あまりの出来事に狼狽しながらも、皆川の厚意に甘えておずおずとそれを受け取る。


 フローラルな香りが鼻孔をついて、思わず変な声が漏れてしまった。

 やべぇ、脳が溶けるぞ。



「橋本くん、固まってるけど何かあった?」

「え、いや……あ、ありがとう」

「お安い御用だぜっ!」



 出た、皆川の『お安い御用だぜっ!』。

 タイトルは覚えてないけど深夜アニメの人気キャラの口癖で、声優志望の皆川の十八番モノマネ。実際のキャラをググって声だけ動画サイトで聞いたことがあるけど、めっちゃ似てた。


 確かどっかにアニメの聖地があって、皆川はそこに足繁く通っていた気がする。

 神社だったかな、確か。神聖な場所とか言ってたし。



「よし、じゃあ遅刻組でストレッチしますか!」

「……お、おう」



 え、こんな間近で皆川のストレッチを見られるなんて、嘘だろ?

 タオルも貸してもらっちゃったし、もしかして俺、今日死ぬん?


 またもきょどる俺を気にせず、皆川はせっせとストレッチを始めた。ポニーテールが揺れるたび、ドキッとする。

 

 バドサーは地味だと思われがちだけど、実は隠れエロの宝庫。瞬発力が必要だから綺麗な筋肉の女子が多いし、室内競技だからみんな色白。

 そして何といっても、パンツが短い。


 今俺の目前では、皆川の健康的で白い太ももがあらわになっている。

 ガン見しないように、皆川から借りたタオルを頭に乗っけて顔の前に垂らし、隙間からチラ見。

 

 あー、眼福だ。幸せだ。最高だ。


 ……でも、こんなかわいくて性格が良くてえっちな身体を持つ皆川を易々とかっさらった真島先輩、やっぱり許せない。


 先程までふわふわとしていた心に、確かな黒い感情が沸々とわいてきた。


 

 せめて、皆川にはバラそう。



 そうだ。例え証拠がなくても、俺がたまたまラブホに入る真島先輩と姫を見たことを伝えるのは、そんなに不自然なことじゃない。嘘じゃないんだし。


 それに、傷ついた皆川が俺に恋愛相談を持ち掛けてくれるようになるかもしれないし、少しずつ彼女の心のケアもしていけば、もしかしたら俺だって皆川に――


 うん。言おう。


 俺はタオルで顔を隠しながら、小さく呟いた。



「な、なぁ、皆川?」

「ん~? なになに?」

「あのさ……うまくいってんの?」

「え? 何が?」

「……ま、真島先輩と」

「……」



 一瞬の沈黙。この沈黙が何を表すのか、恋愛弱者の俺にはわからない。



「うん、もちろん! 順調だよ」

「……あ、そっか」



 なんだ、順調なのか。超凹む。

 でも、俺にはとっておきの持ち駒がある。



「あの……さ」

「ん?」

「み、見たんだよ、俺……」

「え、なに、どしたの?」

「……ま、真島先輩が……」



 やべぇ、声が上ずる。全部事実だけど、自分もJKとラブホに行ったわけだから、それを隠す以上少なからず嘘をつくことになる。

 だからなのか、すげぇ息が詰まる。


 今度は俺が沈黙を作ってしまった。



「……いいよ、聞く」



 いつものかわいい声に、暗さが滲んでいた。

 俺の動揺がバレてるのかもしれない……。


 でも、ここまできたら言うしかない。



「……ま、真島先輩が、ラブホに入ったのを見たんだ……そ、その、女子高生と」



 言ってしまった。

 心臓がドッドッと和太鼓のように鳴り響く。


 皆川は何も発しない。

 俺には長すぎる沈黙。


 もしかして俺、とんでもないことをしちゃった?


 真島先輩をおとしめたくて、そしてあわよくば皆川に振り向いて欲しくて、皆川が傷つくかどうかなんて考えもしなかった。


 もし逆の立場なら……恋愛弱者の俺にはよく分からないけど、多分、相当凹む。


 知らなければいい事実だってあるはずだ。

 

 ごめん……皆川……。



 俺は皆川に謝るため、被っていたピンクのタオルを頭からすっと取った。


 皆川は、泣いていた。



「ご、ごめん。言わない方が良かったよな……」



 皆川は顔を伏せ、両手で涙を必死に拭っている。

 試合中の奴らはまだこの光景に気づいてないと思うけど、誰かに気づかれるのも時間の問題だ。


 どうしよう……。


 俺がどうしていいかわからず立ち尽くしていると、数十秒後に皆川がパッと顔を上げた。



「橋本くん」

「……は、はい」

「私、全然大丈夫だよ」



 唖然とした。

 さっきまで大泣きしていた皆川が、いつもの笑顔を張り付けている。


 女子の心理は本当にわからない。

 訳がわからない。


 だから、皆川の涙は今日の驟雨のようだと思った。

 ふと窓の外を見ると、既に雨は上がっている。



「大丈夫って……真島先輩は浮気……」

「それがなに?」

「……へ?」



 皆川の声のトーンが急に下がったので、思わず身体がビクッとなった。


 でも、表情はいつもの笑顔。

 違うのは、頬に流れる脆く光る雫。



「真島先輩は、私のことを好きって言ってくれるんだよ」

「でも……JKってはんざ……」

「私が見てないんだからいいんだよ。なかったことにすれば、幸せ」

「……」



 何も言葉が出ない。嘘だろ。

 好きな子からこんな言葉、聞きたくなかった。


 だって相手は、犯罪者だぞ……?



「真島先輩はあんなに完璧で人気者なのに、今は私の彼氏なんだよ? なら、私は、それだけで幸せ」

「み、皆川……」

「あ、試合終わったみたいだね。すぐ交代になると思うし、私行くね」

「ま、待って――」



 皆川はいつもの笑顔を貼り付けたまま、コートの方へ走って行ってしまった。


 向かった先にいたのは――真島先輩。


 怒ることもなく、非難することも無く、ただいつものようにかわいい笑顔を振りまいている。


 いや、いつものじゃない……真島先輩だけに見せる、最大級の笑顔。


 その光景を見た途端、俺の手からピンクのタオルがするりと落ちた。


 手が震え、口元が歪み、心が怒りに満ち溢れた。




 ……おい真島、覚えてろよ。

 絶対にお前を地獄に落としてやる。



 正気が戻ったときには、俺は既に五月女にメッセージを送っていた。


 

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