♡第6話 今の私には橋本さんがいる

 もう、全部やだ。


 昨日までそう思ってた。


 でも、今の私には橋本さんがいる。証拠写真は撮れなかったけど、2人同時に『お仕置き』しようと提案してくれた橋本さんがいる。


 きっと橋本さんも私と同じ気持ちなんだ。真島さんが憎くて憎くてしょうがないんだ。


 そしてファーストフード店で『浮気したい』って言葉がハモった時から、私たちは以心伝心しているんだ。


 最初は橋本さんにラブホに連れてかれると思ったから通報しかけたけど、結果的にしなくて本当に良かった。


 だって私たちは同志で、相棒で、運命共同体だもん。

 なんかドラマみたいだな。


 そんな橋本さんは、一体どんな作戦を考えてくれるんだろう。

 そのことばかりが気になって、今日は朝からずっと手の中にスマホを隠している。


 もう6限だけど、まだ橋本さんからの連絡はない。


 中村先生の朗読は相変わらず子守歌みたいで、右耳から入って左耳に抜ける。

 そして、激しい雨の音に打ち消された。


 ふと窓の外を見ると、外はどす黒い色をしていた。

 

 何だか怖くなってすぐに視線を戻し、今度はスマホを確認。

 でも、変化はない。


 橋本さんからの連絡、まだかな。


 ……あれ、これじゃまるで彼氏からの連絡を待つみたい……ううん、私の彼氏になるのはユーちゃん先生だけ。



「……五月女さん、聞いていますか? 次の和歌、読んでください」



 中村先生の言葉が、落ち着きのない私の身体に突然侵入する。


 次の和歌が何なのか分からなかったけど、今日は後ろの亜美が教えてくれる気配はない。

 ……多分、寝てるよね。


 私は咄嗟にスマホをスカートのポケットに押し込み、立ち上がった。



「ご、ごめんなさい……もう一度教えてください」

「ちゃんと聞いてくださいね。58ページの9行目です」

「ありがとうございます。えっと……ありつつも君をば待たむ……あっ‼」



 震えた。

 スマホが震えた。


 ……橋本さんだ‼



「五月女さん、どうしましたか?」

「え、あ……あの、トイレ‼」

「ぷっ」



 背後から声が聞こえたので咄嗟に振り向くと、亜美が手で口を押えて笑いをこらえていた。

 起きてるなら読む場所教えてくれればいいのに!


 ……いや、今はそれどころじゃない。

 私は教科書を雑に机に置いて、小走りで教室後方の出入口から飛び出した。

 そして、トイレに駆け込んだ。



「はぁ、はぁ……」



 息が切れる。

 私のスカートには、橋本さんからのメッセージがある。

 

 ……ついに、復讐が本格的にできる。


 その高揚感で胸がどくどくと鳴り始めた。


 こんなに緊張するのは、高校の合格発表以来だと思う。

 ユーちゃん先生に会いたくて、私の地頭よりも偏差値が10も高い浮高の入試問題に食らいついたことを思い出す。

 入試後は気絶した。でも、なんとか合格した。


 人を好きになったら、何でもできる。


 無茶もできるし、いや、したくなくてもしちゃうし、時にはいけないこともしちゃう。ラブホに入った時みたいにね。


 でもそれが恋だ。


 ユーちゃん先生しかみえない。

 ユーちゃん先生と一緒にいたいから、何でもする。


 それを一緒に叶えてくれる同志、それが橋本さん。



 私は乱れた呼吸を整え、スマホを開いた。



【今日、急遽夜勤になりました】



 ……お母さんのバカ。

 母子家庭だからって、そんなに毎回律義に連絡くれなくてもいいのに。


 橋本さんかと思ったじゃん!


 高揚感が一気に沈み、心がポロポロとはがれていく。


 やっぱり私は、1人なのかな。

 ずっとずっと、1人なのかな。


 訳のわからない感情が溢れてくる。

 雫になって、外に流れ出してくる。


 小さい頃からずっと寂しかった。

 そんな時、出会ったのがユーちゃん先生だった。

 正確には、初めて会ったときは『ユーちゃん』。


 私のお兄ちゃんみたいな存在で、お父さんみたいな存在で、大好きだった。


 でも、ユーちゃんが社会人になってから会えなくなった。

 その時にずっと味わっていた孤独感とか寂寥せきりょう感が、何故か今、私の心を襲っている。


 なんでだろう……なんでこんなに心が痛いんだろう……。


 涙はとめどなく溢れた。

 溢れて溢れた溢れて、私はその場にへたり込んだ。


 スカートがトイレの床で汚れることなんか、どうでもよかった。


 もう、全部やだ。



 ブブブブブ……



 ……‼



 両手にと閉じ込めたスマホがまた震えた。


 私は震える手をこじ開けて、画面に視線を落とす。



【復讐しよう、徹底的に。今日、会える?】



 溢れた感情が巻き戻しされたように心に戻ってきて、感じたことのない高揚感がぶわっと広がった。




 私は、1人じゃない。


 今の私には橋本さんがいる。

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