★第37話 恋の毒は醜悪だ
叫んだ。内臓が抉られるほどに叫んだ。
それはもう反射だった。
どうにもできない衝動だった。
千歌が男と、多分先生とキスしようとしている。
ぐしゃぐしゃに丸めて、いや粉々に切り裂いて、噴火口にぶち込みたいくらいの事実だ。
ナイフを心臓に突き立てられたような痛みだ。
……この世に恋なんてなければいいのに。
こんなにも心が痛むのに、身体が痛むのに、人を傷つけるのに、人に傷つけられるのに、なんで人は恋をするんだ?
もう忘れかけていたはずで、新しい恋が目の前にあったはずで、なのに目にした瞬間にこんな狂おしい感情が湧いて出るのはなんでなんだ?
恋愛弱者の方が100倍楽だった。何も知らない方が1000倍ましだった。
でも、それでも、千歌がいないなんて、やっぱり考えられない。
脳は考えることをやめ、身体は無意識に動いた。
先生の頬を殴り、千歌の腕を引っ張り、何も考えずに走った。
後ろであの男が何か叫んでる。千歌が何かを訴えている。でも何も聞こえない。
今は、何も聞かずに、ただ遠くへ行きたい。
***
たどり着いたのは、よく知らない廃墟だった。
薄暗く、黴臭く、湿っていて、朽ちている。最悪の場所だ。
多分、今の俺みたいに。
「はぁ、はぁ……正樹……」
千歌は息を切らしている。頬を濡らしている。崩れた天井から漏れる月明かりに照らされて雫が煌々と輝いている。
「私……もう決めたから……」
その言葉の意味はすぐにわかった。でも、聞かないことにした。
「ごめん。でも、無理だから」
俺は千歌を自分に寄せ、かたく抱きしめた。
千歌は抵抗した。「離して!」と叫んでいた。でも離さなかった。
ややあって千歌は静かに泣き出した。まるで4歳児のように泣きじゃくっていた。
「俺、千歌が好きだ。ずっと言えなくて、ごめん」
もしかしたら俺の震える言葉は、千歌の慟哭にかき消されて届かなかったかもしれない。
それでも良かった。自分勝手なのは俺だから。
俺はただ、千歌を抱きしめ続けた。
するといつの間にか月は雨雲に隠れ、再び雨が降った。
雷雨だった。2人もびしょ濡れになった。でも俺は相変わらず千歌を離さないし、千歌も相変わらず泣いていた。
千歌を離すくらいなら、このまま雷に打たれても構わないと思った。
***
それからどのくらい時間がたったのかわからない。
5分かもしれないし、2時間かもしれない。
雷雨がやんで、雨音が消えて、びしょ濡れの俺と千歌の息遣いだけが廃墟の静寂を埋めた。
千歌も泣き止んでいて、俺もそっと千歌を離した。
急に我に返って、なんてことをしてしまったんだという悔恨の情がこみ上げてきたからだ。
完全に千歌に嫌われた。寧ろ犯罪かもしれない。
……恋の毒は醜悪だ。
「千歌、ごめん……ほんとに……」
それは多分、半分懺悔で、半分建前だった。どこまでも俺は稚拙で未熟で無様だ。
だってまだ、それでもまだ、どうしても千歌が欲しいから。
「正樹……好き」
……恋の毒は美麗だ。
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