★エピローグ 疑似浮気 3/3

 25歳の誕生日。

 俺はセックスをした。


 するっとした肌が次第にじっとりとした湿り気を纏い、2人の身体が溶けあってゆく。その感覚がたまらなかった。この5年間、ずっと欲していた。


 セックスがこんなに気持ちいいものだとは思わなくて、このまま死んでもいいとさえ思った。


 それは多分、いや絶対、千歌とだからだ。

 セックスが気持ちいんじゃなくて、千歌だから気持ちいい。


 ずっと、千歌を求めていた。

 ずっと、千歌とこうしたかった。


 だから



***



 パンダノン島。

 つまり、フィリピン。


 先生と皆川は、今ここで暮らしている。


 イスラム教徒である先生は、フィリピンでは一夫多妻制が認められている。だから先生は皆川との約束を果たしつつ、いずれは他の相手と結婚することを考えているのかもしれない。もしかしたら、ほとぼりが冷めた頃に千歌の母親を迎えに来るのかもしれない。

 いずれにせよ、相手が皆川だと無理かもしれないが。


 ……いや、そんなことはどうでもいい。


 あの日、神社で先生から『パンダノン島』と聞いた時、俺は全身から何かが抜け落ちた気持ちになった。


 何かを与えられて、そして何かを失った。

 そんな気持ちになるのは初めてだった。


 そのあと調べた。そしたらビンゴ。

 だから、千歌には言えないと思った。


 でも、当時は千歌が欲しくて、ただ千歌を求めていて、おかしくなっていた。千歌に鹿児島に行ってほしくなくて千歌の母親に「結婚します!」なんて容易く言ったけど、社会人になってやっと冷静さを取り戻してから、俺は心に決めた。



 千歌にまた出会っても、千歌を振ることを。



 でも、実際に会ったらダメだった。

 好きすぎるんだ。千歌のことが。


 だから振った後、すぐに引き留めてしまった。浮気しようなんて嘘もついた。


 最低だ、俺。


 でも、俺の恋心は暴走した。


 恋の毒は醜悪で、美麗だ。どうすることもできなかった。



***



 千歌は今、俺の腕の中ですやすやと寝息を立てている。

 これから千歌に浮気という残酷な状況を味わわせてしまうなんて、俺は本当に最低だ。


 でも、どうしようもないんだ。俺は千歌と結婚できないけど添い遂げたいから。


 婚約者がいるって嘘をつかなければ、千歌はすぐにでも婚姻届をだそうとするだろうから、こうするしかなかった。



 ……だけど、いずれはバレるのだろうか。


 俺は初めて千歌と作戦を実行するとき、千歌に褒められてポロッと言ってしまっているから。だから、もしかしたらいつか勘付かれるかもしれない。


 その時、それでも千歌は、俺の元にいてくれるだろうか。


 ……いや、そんなことは考えたらダメだ。徹底的に隠し通さなければいけない。



 だということを。



 ユーちゃん先生――皆川祐樹。


 再婚前の名前、祐樹・デラ・クルーズ。

 その前の名前、橋本祐樹。


 パンダノン島は母親の出生の地。



 物心がつく前、両親は離婚した。親権は母だったはずだけど、俺はどうしても父から離れなかったらしく、結局兄弟で離れ離れになった。


 兄の顔は覚えていなかった。

 でも、いつか再会できるんじゃないかと思って、フィリピンブランドのBENCH/のを着るようにしていた。願掛けだ。


 その服をあの日千歌に褒められたから、舞い上がってポロッと言ってしまった。俺がフィリピンハーフだって。


 でも、その時は何の危機感もなかった。

 だってまさか、先生が俺の兄貴だなんて思ってもみなかったから。


 先生が兄貴だと知った時は戦慄いた。許せなかった。ずっと会いたかった人があんなクズでやるせなかった。暗澹たる気持ちで日々を過ごすしかなかった。


 でももしかしたら兄貴は、神社の混沌の時には俺が弟だと気付いていたのかもしれない。だからこそ、好きでもない皆川と結婚を約束までして千歌と俺を守ってくれたのかもしれない。


 そんなありえない推測をしてしまうのは、兄貴にまだ期待してしまうからだろうか。


 いや、そんなことを考えたらダメだ。

 俺はもう、先生を兄貴と思うことは辞めたから。


 ……だから、このことは千歌には言えない。


 もし俺が千歌と結婚したら、親族になったら、いずれこの兄弟関係は必ずバレてしまう。俺がどんなに隠していても、千歌……いや、千歌の母親が徹底的に調べるだろう。

 そうしたら、千歌の中で再び先生への依存心が復活してしまうかもしれない。千歌の母親が狂うかもしれない。


 もしそうじゃなくても、俺の陰に先生がいると知られながら俺に向き合って欲しくない。


 そして、俺が兄貴と精神的に決別したい。結婚してしまうと、千歌にいつバレるかが不安で、逆に兄貴のことを常に考えてしまう。そんな皮肉なことは絶対に回避したい。


 だから婚約者がいると嘘をついて、千歌を遠ざけた。


 結局千歌から離れることは無理だったけど、少なくとも浮気ということにしておけば結婚は諦めてもらえるだろう。そうすれば、先生と兄弟である事実も隠し通せるかもしれない。


 だから俺はこれからも、千歌とは結婚しない。


 でも、添い遂げる。


 偽の浮気を演じて。



 ――そう、をして。

 





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疑似浮気~浮気による復讐をするために偽カップルになった大学生とJKが、いつの間にか本気の恋に落ちる話~ 花氷 @shiraaikyo07

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