★第1話 つまりここは、ラブホ街

 その瞳に、吸い込まれるかと思った。


 まるく見開いた黒飴のように大きい瞳、あどけないツインテール、童顔でちっこい見た目、そして制服。


 鼓動がずんっと鳴った。


 この純粋無垢そうな美少女JKが、「浮気したい」と言った。

 ファーストフード店の窓際カウンター席に1人で座って、「浮気したい」と言った。

 そして俺の「浮気したい」という呟きと、見事にㇵモった。


 そんなの、信じられるか?


 気まずさとか羞恥とかよりも先に、興味が心を突き破って口から漏れた。



「あの、すいません。いま何て言いましたか?」

「え……あ……な、何でもない……です……」



 咄嗟に窓の方に向き直って俯く美少女JK。赤いクレヨンで塗ったんじゃないかと思うほど真っ赤に染まる顔。よく聞き取れないけど明らかなロリ声。


 うわ、この子、めっちゃかわいい。


 一体どんな悩みを抱えて、浮気したいなんて思ったんだろうか。

 それとも俺のギャルゲーへの憧れみたいに、本とか漫画に触発されて単に興味が湧いているだけだろうか。


 俺の好奇心が風船のように膨れ上がった時、美少女JKは何かを思い出したように勢いよく立ち上がり、席を離れようとした。



「あ、待って……!」



 必死だった。この興味を心に押し戻して蓋をすることができなかった。

 だから俺は無意識に美少女JKの手を掴んでいた。


 彼女の動きがぴたりと止まる。



「……犯罪ですよ」

「え、あ……す、すみません!」



 ぴしゃりと正論を投げつけてくる美少女JK。

 俺がその剣幕に気圧されて咄嗟に手を放すと、彼女は逃げるように走り去ってしまった。

 

 ああ、聞けなかった……。


 真島先輩の浮気現場を目撃したのに(しかもあれこそ犯罪だろ)、何もできない不甲斐ない自分。

 かき立てられた好奇心を引っ込めることができずに悶々とする心。


 今日は、最悪だ。



「はあ……」



 本日2度目の嘆息した瞬間、背後から突然ユニフォームの裾を引っ張られた。

 反射的に振り向くと、さっきの美少女JKが視線を逸らしながら口をもごもごさせている。


 逃げたはずじゃ……?



「あ、あの……」

「な、なんでしょうか」

「……どこの学校ですか?」

「え、ああ、浮大だけど」

「大学生……しかも付属校……」



 顎に手を添えて思案顔をする美少女JK。


 なんで俺の学校が知りたかったんだろう?

 まさか逆ナン⁉ ……いや、さっきガッツリ拒絶されてるから違うよな。


 そういえば付属校って呟いてた気がするけど、まさか。



「君、浮高?」

「……へっ⁉ あ、はい……」


 

 やはりか。浮ヶ原学園は中学から大学までエスカレーター式の私立。

 俺は大学から入ったから高校の制服は知らなかったけど、確か学校の場所は割と近いはずだ。



「……ありがとうございました。失礼します」

「ちょっと待って……悩み事?」



 美少女JKの身体が明らかにビクついた。この子、見た目のロリ属性を裏切らず、めっちゃわかりやすい。


 まあ、こんなかわいい子が興味本位で浮気をしたいなんて思うはずないもんな。

 

 悩み事だとしたら次に掛ける言葉は――



「もし、誰にも相談できないなら、俺が協力するよ」

「……結構です」

「勿論、邪念はなくて……」


 

 すみません、邪念しかありません。



「その、困ってる人を看過できないんだ。君、相当追い込まれてるみたいだったからさ」



 我ながら失笑ものの、取ってつけたような偽善。

 こんなこと言っても心は開いてくれないだろう――そう思ってた。


 でも慮外なことに、美少女JKが突然涙をポロポロとこぼし始めたのだ。


 口をきゅいんと閉じて必死にこらえようとしているけど、黒飴みたいな瞳から鉄砲雨のような涙がどんどん溢れ出した。


 思わず身体が硬直する。狐につままれたような気分で、どうしていいのかわからない。ふと周囲を見渡すと、周りの客の視線が俺に集中砲火している。


 これってもしかして、俺が泣かせたことになってる? 


 まずい……恋愛強者はこういう時、どうしてるんだ⁉

 


「ご、ご、ごめんなさい‼ なにか気に障るようなこと言っちゃったかな……」



 美少女JKが、身震いをする子猫のように首をぎゅいんぎゅいんと横に振った。

 首がもげないか心配になる勢いだ。


 どうやら拒絶されたわけではないようなので、まずはこの状況を打開することが最優先だ。


 えっと……。



「あ、あのさ……ここだと周りの人の目が……というか君の話が聞かれてかわいそうだから、場所を変えようか?」

 


 女の子は自分のことを気遣ってくれる男性に心を開くって、ギャルゲーで学んだ。


 その思惑は的中し、美少女JKは俯いたまま小さくこくりと頷いてくれた。思わず安堵のため息が漏れる。

 

 そして一刻も早くこの場の視線を蹴散らしたい一心で、俺は美少女JKの手を取ってファーストフード店から足早に退散した。


 今度は、犯罪って言われなくて良かった。



***



 夜の気配が街に漂う。

 仕事帰りと思しきスーツの人々が増え始める。


 俺は人目を避けたくて、咄嗟に路地裏に入ってしまった。


 大学の3駅先といえど、東京の繁華街にはあまり詳しくない。田舎者だし。


 でも美少女JKの手を取ってリードしてる手前、なるべくこの辺に詳しい風を装ってずんずんと早歩きで進む。



「この辺、俺詳しいから。君の話を誰にも聞かれないところを知ってるんだ」



 女の子は自信があって頼もしい男性に惹かれるって、ギャルゲーで学んだ。


 ……けど、嘘は良くなかったみたい。


 路地裏を抜けて目の前に広がったのは、ポップな字体とビビットな袖看板の大群。

 目線を下げると、『3時間4000円』とか書いてある立て看板が羊の群れのように連なっている。


 そう、つまりここは、ラブホ街。


 恐る恐る美少女JKに視線を移すと、あからさまに顔が青ざめ、上から糸で引っ張られたように口角がひきつっている。


 やべぇ、これじゃ完全にホテル連れてこうとするヤリチンじゃねぇか‼︎

 下手に詳しいとか言わなきゃ良かった‼︎



「こ、この先抜けたら公園があるんだ……」



 いや、絶対ないけども。嘘に嘘を重ねるってこういうことか……肝が冷える。



「警察……通報します」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って‼︎ 本当に誤解だから‼︎」



 美少女JKはすかさずスマホを取り出し、番号を打ち始めた。

 自分から逃げないということは、俺を警察に突き出す気満々だ。


 焦りすぎて頭が真っ白。パニック。


 スマホを奪い取るか? いや、罪が重くなる。

 この場を一目散に逃げるか? いや、罪が重くなる。


 あーもう、神様! ごめんなさい! 助けて!



「あ、もしもしお巡りさん? いま変態痴漢ストーカー犯罪者が――」



 美少女JKが酷い言葉を並べまくった直後、急に口をつぐんだ。

 そして次の瞬間、脱力したようにスマホを持った腕をだらんとさげた。


 あれ、神様へのお願い、通じた?



「姫宮さん……」



 よくわからない人物名をつぶやいた美少女JKは、口をぽかんと開けたまま、ただ遠くの方をまっすぐに見つめている。


 その言動を不可解に思った俺は、彼女が向いている方に視線をやった。


 ……え?



 そこにいたのは、JKと一緒にラブホに入る真島先輩だった。

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