★第28話 千歌だったらもっと嬉しかった
よく晴れた日曜日。5月なのに夏みたいに暑い。
まだ冷房の効いていない蒸し暑い電車に揺られながら、俺たちは東京を離れてゆく。
姫宮さんは結局、まだどこに行くかを教えてくれない。
ただ、事前に『着替えを用意してきて欲しい』とだけ言われた。
一体それはどういう意味なんだろう。海で泳ぎでもするのだろうか。
それとも、あんなことやこんなことを……いやいや、姫宮さんがそんなことを考えるはずがない。
とりあえず暑いから、ポロシャツに薄めのチノパンという涼しい恰好をしてきた。
「橋本さん、お暑いですが大丈夫ですか?」
「あ、うん。大丈夫」
「それならよかったです。あの、お茶を持ってきたので飲みませんか?」
「あ、ありがとう」
姫宮さんは薄紫の水筒を取り出し、お茶を注いで渡してくれた。さすがモテ女。本当に細かいところまで気遣ってくれる。
俺はありがたくそれを飲んだ。
「橋本さん、今日のファッションかっこいいですね」
「ぶっ」
思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになる。
この美人の代表みたいな顔の姫宮さんが、俺のことを『かっこいい』と言うなんて。不覚にもドキッとしてしまった。
こうやって男を落としているのか……なら俺も、姫宮さんを落とすためにさっそくその技を使ってみよう。
「ひ、姫宮さんこそ、すごく似合ってる」
姫宮さんはシンプルな白のトップスに細身のジーンズを合わせたシンプルな恰好だけど、実際すごく似合っている。いつもとちがうポニーテールなのもポイントが高い。
「え、そうでしょうか……ありがとうございます」
姫宮さんは照れながら嬉しそうにはにかんだ。
俺の言葉をこんなに喜んでくれるなんて、好きな人じゃなくても嬉しい。
でも、千歌だったらもっと嬉しかった。
「橋本さんは、どんな女性がタイプなんですか?」
「へ……」
予期せぬ質問に思わずたじろいだ。
俺のタイプ……真っ先に思い浮かんだのは、千歌だった。
ロリっぽくてあどけない容姿。
かわいい声。
子どもっぽい言動。
豊かな感受性。
素直で従順な性格。
それでいて頑固な性格。
でも、心に刺さる笑顔。
俺は姫宮さんを落とさなくちゃいけないのに、今や千歌にゾッコンになってしまっている。
だけど復讐は最後までやり遂げなきゃいけないから、姫宮さんには嘘をつく。
千歌とは真逆の、姫宮さんの特徴を口にする。
「大人っぽくて、お淑やかで、美人で、気遣いができる人、かな」
「そ、そうなんですね」
「あ、ごめん。多すぎかな?」
「そんなことありません。私が当てはまればいいなって……」
姫宮さんは少し伏し目がちになった。
あれ、もしかして姫宮さん、全部当てはまってないと思って落ち込んでる?
全部姫宮さんのこと言ったんだけど‼
女の子って、やっぱり難しい。
どうしていいかわからなくて、俺は咄嗟に嘘を重ねた。
「あ、当てはまってるよ、全部」
「本当ですか……?」
姫宮さんは瞳を煌めかせ、最上の笑顔を俺に向けた。
「橋本さんの好みに合っていて、私とっても嬉しいです」
お淑やかに微笑む姫宮さんは、やっぱり完璧で、でも俺にとっては完璧じゃなかった。
***
たどり着いたのは、まさかの場所だった。
「アスレチック……?」
「はい、驚きましたか?」
姫宮さんはお嬢様っぽいから、てっきりもっとお洒落な場所だと思った。
まさかこんなに子ども向けの場所だとは……もしかして、俺ガキだと思われてる?
「いや……でしょうか」
「そ、そんなことないよ。楽しそう」
「よかった。ここ、私の好きな場所なんです。昔よく来ました。懐かしい」
姫宮さんがアスレチックで遊ぶ姿なんて、とても想像がつかない。
「あ……う……」
「え、ええ……? 大丈夫?」
すると突然、姫宮さんがその場に蹲ってしまった。
お腹に手を当てて苦しそうにしている。
「だ、大丈夫です……そ、その女の子の……で……」
姫宮さんが消え入るような声で言った。俺は状況を察した。
「それなら無理しなくて良かったのに」
「朝は調子が良かった……ので……それに……」
姫宮さんは顔を上にあげ、潤んだ瞳で俺を見つめた。
「私の好きな場所で、橋本さんと楽しい時間を過ごしたかったんです」
姫宮さんの言葉は、俺には眩しすぎた。
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