♡第32話 私は息ができなくなった

 5月の恋は、濃厚で短かった。

 6月の雨は、憂鬱で長引いている。


 あのデートを境に正樹とは連絡が途絶えた。

 途絶えたというよりも、自然消滅という言葉が適切かもしれない。


 花壇の前の道で仲睦まじく歩いていた2人は、きっと今頃ベッドの上で抱きしめ合っているのかもしれない。


 そんな想像をするたびに心が狂おしいほどすさみ、時に五月雨のような涙が溢れた。


 自暴自棄になった私は、学校に行く以外はベッドの上で抜け殻になっていた。

 真島さんからたくさん連絡が来ていたみたいだけど、全部無視した。

 

 もう、全部やだ。


 私はもう、本当のひとりぼっちだ。


 そうやっていつものように心が悲鳴をあげた時、突然部屋のドアがノックされた。



「千歌、開けていい?」

「あ、うん」



 お母さんだ。いつの間に帰ってたんだろう? 全然気がづかなかった。


 最近ずっと残業か夜勤が続いてたから、20時30分に帰ってくるなんて珍しい。

 今日は一緒にご飯が食べられるかもしれないという淡い期待を抱いた。


 それはひとりぼっちの私の、最後の希望だったのかもしれない。



「千歌、話があるんだけどいいかな」

「うん、いいよ」



 お母さんは神妙な面持ちで私の部屋に入り、床に正座をした。

 何か真剣な話なのだと察した私は、身体を起こしてベッドの縁に座りなおした。


 思えばこんなに面と向かって話すのはすごく久々だった。よく見ると、お母さんの顔にはしっかりとした皺が刻まれている。

 お母さん、こんなに年を取ってたんだなぁ……。



「千歌にね、お願いがあるの」

「お願い?」

「うん、来年のことなんだけどね」



 お母さんはそういうと、口を噤んでしまった。

 来年のお願い……なんだろう?


 真っ先に頭をよぎったのは、国立大学の受験。


 お母さんは私が3歳の時に離婚してから、女手一つで私を育ててくれた。金銭的に苦しいはずなのに、大学にエスカレーターで進級できる私立の浮高まで行かせてくれた。


 でもきっと、もうお金的に苦しいのかもしれない。最近は残業も夜勤も多いし、休日には出かけていた。もしかしたら、私に内緒で掛け持ちの仕事をしてくれてるのかもしれない。


 だから大学は受験をし直して別のところに行って欲しいということなんだろう。


 それはしょうがないことだと思う。私も甘んじて受け入れようと思う。


 もう浮大に行く理由もなくなってしまったから。



「千歌……」

「うん。私は何でも受け入れるよ」



 私はお母さんに感謝している。だから、お母さんのいうことはちゃんと聞く。


 国立大学だって、頑張って受験するよ。


 だけど私の予想はまるでお門違いだった。



「千歌、来年から別々に暮らしましょう」



 ……私は息ができなくなった。

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