♡第33話 私はひとりぼっちだ

 太ももに置いたこぶしが、わなわなと震え始めた。

 浅い呼吸のまま、なんとか声を絞り出す。



「お母さん……それって、地方の大学を受けろってことかな」



 お母さんはきっと、国立大学を受けろって言いずらいんだと思う。だからあえて迂遠な言い回しをしたんだ。

 うん、きっとそうだ。


 私はお母さんの次の言葉を息を呑んで待った。



「……ううん、浮大でいいの。奨学金を利用することにはなるけど、家賃はきちんと出すわ」

「じゃあ、どうして……」



 ずっと2人で生きてきたのに、別々に住みたいってこと?

 まだ社会人にもならないうちから、10代のうちから、私と別々に住みたいの?

 私からは1度も望んだことがないのに……。


 わけわかんないよ。



「ごめんなさい。来年、ちゃんと説明するから」

「やだ。なんでか教えてくれないとやだ」

「千歌……ごめんね」

「やだよ……」



 涙がポロポロと零れてきた。


 私、本当は寂しかった。仕事が忙しいお母さんと会えないのがすごく寂しかった。だから小さい頃から面倒をみてくれたユーちゃん先生で寂しさを埋めていたし、高校生になっても依存してた。


 社会人になるまで、ううん、結婚するまではお母さんと一緒に暮らしたいと思ってたのに。私がお金を稼げるようになったら、もっとお母さんは楽になるかなって考えてたのに。


 なのに……



「お母さんは、私のこと、いらなくなっちゃったの……?」

「千歌……それはちが――」



 私はお母さんの答えを聞くのが怖くて部屋を飛び出し、走って外へ出た。



***



 夜の川は、人の黒い感情をのみこんだように黒く淀んで見える。

 雨に打たれてゆらゆらと揺れる水面は、私の気持ちととてもよく似てる。


 私はひとりぼっちだ。


 今までそれは違うって思い込んでた。思い込みたかった。


 私はお母さんに愛されていて、ユーちゃん先生にかわいがられている幸せな女の子なんだって、ずっと思い込みたかった。


 でも現実は違う。


 お母さんは私のことを愛していなかった。

 ユーちゃん先生は私じゃない女の子が好きだし、もう会うこともできない。


 私はひとりぼっちだ。


 こんな時に、正樹に会いたくなるのが辛い。

 だって正樹はもう、姫宮さんのものなんだもん。


 だけど、1回だけ。1回だけなら……。


 私は淡い期待を抱いて、【たすけて。河川敷】とひとこと、正樹にメッセージを送信した。それは私の心のSOSだ。


 でも、送ってからハッと気づく。


 今は木曜日の21時15分。ちょうど姫宮さんの送迎をしている時間。


 それに気づいて、堰を切ったように嗚咽が漏れた。

 我慢していたものが溢れた。


 ほんとのほんとに、私はひとりぼっちだ。


 正樹……私の傍にいて。

 姫宮さんに惚れないで。


 私のことを好きになって……。



「千歌ちゃん」



 突然、背後から男の人の声がした。


 とっさに真島先輩だと思った。よく通る声だから。



「まし……」



 背後を振り向き、息が止まる。



「久しぶりだね、千歌ちゃん」



 雨雲がはけて、月が姿を現す。


 その神秘的な光に晒された人物は、ユーちゃん先生だった。

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