★第50話 先生……正気か?

 聞こえたのは真島の声。


 目の前にいるのは先生。


 皆川が真島を代替品にした理由は、これか。


 ――声。



「ユーちゃん……なんでここに?」

「美乃梨の挙動がおかしかったから心配してたんだ。さっき連絡しても出なかったから、いつも何かあった時に美乃梨が逃げ込むアニメの聖地にいるんじゃないかと思って。まさかこんなことをしてるなんて……」



 先生は動揺を見せた。

 しかし、ややあってから深呼吸をし、落ち着いた様子で皆川をまっすぐに見つめた。



「なあ、美乃梨。こんなことはやめてくれないか。お願いだから、僕の大切な人を傷つけないでよ」

「ユーちゃん……」

「最近彼氏ができたんじゃないのか? 僕から依存するのを辞めていたじゃないか」

「ユーちゃん違うの……真島はユーちゃんに声がそっくりだったから、ただの代替品で……」



 皆川は刃物を地面に落とし、泣き崩れた。

 俺はその隙をついて、刃物を奪った。


 そして千歌を抱きかかえ、皆川から離れた。


 千歌は震えていた。俺は、千歌の猿轡をほどき、きつく抱きしめた。



「千歌‼」



 千歌は消え入るような声で、「ありがとう……」と呟いた。

 体力を消耗させたくなくて、それ以上は何も言わなかった。



「……ユーちゃんが悪いんだよ‼ 私に絶対に振り向いてくれないから‼ こいつに心酔してるから‼ 私の方がかわいいのに‼」

「なぁ、誤解だよ、美乃梨……」

「え……」



 皆川は魂の抜けたような顔で先生を見つめた。

 もう、俺と千歌のことなんて1ミリも眼中にない様子だった。



「千歌ちゃんが大切な人であることは間違いない。でも、千歌ちゃんには悪いけど、美乃梨の言葉を借りれば千歌ちゃんは代替品なんだ」



 ……え?


 皆川は訳が分からないという風な表情をしている。

 俺も何が何だかわからない。


 先生にとって千歌は代替品?



「じゃあ、本命は姫宮なの? 姫宮を消せばいいの⁉」

「ねぇ、美乃梨。お願いだから消すなんてやめて。僕の好きな人を消すことなんてできないんだよ」

「……なに? なになになになに? どういうこと⁉」

「僕の好きだった人はいる。でも、僕の好きな人はいない。一生かけても会えない。だから、美乃梨が消すこともできないんだ」



 本当に、意味が解らない。


 それはつまり……。



「ユーちゃん、それって好きな人が死んだってこと⁉ なら私でいいじゃん‼」

「ううん、死んだわけじゃない」

「え、なにそれ、本当にわかんないよ。幽霊⁉」

「それも違う」

「動物⁉」

「それも違う」

「じゃあ、なんなのよおおおおおおおおおおおおおおお」



 皆川は取り乱した。


 それはもう、断末魔のような凄まじい悲鳴。魂すら消えてなくなりそうな勢いだ。



「美乃梨、ちゃんと説明するから。その代わり、もう誰も傷つけないって約束して。落ち着いて聞いて」

「無理だよおおおおおおおおおお」

「わ、わかった……美乃梨が今日の罪を償って、ちゃんと心を入れ替えたら結婚するから」



 ……は?


 先生……正気か?



「ほ、ほ、ほんとにいいいいいいい」

「ああ。こうなってしまったのは、僕にも責任があるから。どうせ僕は好きな人と結婚できないし。……だから、もう誰も傷つけないって約束してくれ。そして、落ち着いて聞いて」

「わ、わがっだ……」



 闇が深くなった。その代わりに、雨が止んだ。


 永い沈黙のあと、先生は大きな深呼吸をしてから、低い声で呟いた。



「僕の好きな人は……だ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る