♡第11話 今日奪ってもいいかもしれない

 頭が真っ白になった。真っ白になって、自分の着ている白いワンピースと同化している気分になった。


 どうしよう。このままじゃ復讐ができない。どうしよう。


 助けを求めるために背後を振り返る。すると橋本さんがキャップを目深に被りながら、こちらを向いていた。


 私に気づいたのだろう。両手をぴんと伸ばし、上にあげたり横に伸ばしたりし始めた。

 これは……手旗信号? 確かニュースの特集で自衛隊が訓練している映像を見たことがある。


 でも橋本さん、ほとんどの女子高生は手旗信号なんて解読できないよ。


 その時、教卓で電子機器の準備をしていた教授と思しき人物が、マイクに言葉を吹き込んだ。



「えー、では授業をはじめます」



 どうしよう。どうしよう。どうしよう。


 橋本さんのところに戻ろうか――


 いや、だめだ。折角橋本さんがプランを考えてくれたんだもん。ここで頓挫させるわけにはいかない。


 思えば私はずっと、橋本さんに寄りかかりきりだ。


 橋本さんは自分から行動をしているのに、私は何もしていない。これじゃ、対等な立場の同志になることはできない。


 そう思った私は、真島さんのすぐ後ろの席に座った。


 

***



 あとちょっとで授業が終わる。


 90分間はとても長かった。

 教授の話しているなんちゃら心理学の話はまるで頭に残っていない。


 その代わり、いくつかの発見があった。


 まず、皆川さんは教授を見るふりをしてじっと真島さんの顔を眺めていた。でも、真島さんはそれに気づいていないようだった。


 それと、たまに皆川さんが真島さんの耳元でコソコソと何かを喋っていた。彼女はとても楽しそうだったけど、その行動への真島さんの反応はあっさりしていた。


 女子の勘だけど、きっとこのカップルはコーラとウーロン茶だ。甘ったるくて刺激の強い皆川さんが、さっぱりしてほろ苦い真島さんにべっとりと纏わりついている。でも根本的には相容れない。2種類だけでも不味い味。そんな印象を受けた。


 よく失恋した学校のカップルの話を噂で聞くけど、別れの根本的原因は想いが釣り合ってないことであることが多い。


 つまりこの2人は、そのうち別れるカップル。


 これはある意味チャンスかもしれない。真島さんが何人と付き合ってるか知らないけど、皆川さんへの気持ちが冷めている時に私が近づけば、余計に落ちやすいと思う。


 今日奪ってもいいかもしれない。



「えー、では授業を終わりにします」



 その言葉が終わらないうちに、背後からざわざわという音がした。きっと個人を特定されない授業だから、早抜けする人が多いんだろう。


 途端に心臓がどっどっと強く響き始めた。

 右手で予め用意していたコーヒーを握りしめる。


 大丈夫、後ろからでも、上手くいく。


 真島さんが立った瞬間、私はえいっとコーヒーを前にぶちまけた。

 反射的に瞼が下りる。



「きゃあああああ」

 


 鼓膜をつんざくような甲高い悲鳴は、明らかに女性の悲鳴だった。


 肝を冷やしながら、恐る恐る目を開ける。

 コーヒーは、皆川さんのパステルの洋服に泥だまりのような大きなシミを作っていた。


 やってしまった……。



「ご、ご、ご、ご、ごめんなさい‼」

「これ、新しかったのに……真島先輩。どうしよう」



 コーヒーを自分からぶっかけておいてなんだが、拍子抜けした。


 なんと皆川さんは、私をちらりとも見ずにただ上目遣いで真島さんを見つめているのだ。

 それも子猫のように媚びた瞳だ。


 まるで私が、いないものみたい。



「俺のユニフォームを貸すから、着替えておいで。朝練で使ったから、臭いかもしれないけど」

「真島先輩、やさしい。ありがとう。すぐ行ってくるね」



 結局皆川さんは一度も私の方を見ることなく、トイレに小走りで向かった。

 

 皆川さんの悲鳴によりこちらに視線を向けていた学生たちが、徐々に霧散してゆく。


 ややあって、真島先輩は私の方を見た。



「大丈夫。気にすることないよ。誰にでも失敗はあるから」

「あの、本当にごめんなさい。皆か……彼女さんの」

「あ、うん。今日新しい服を見に行く予定だったし、問題ないよ」

「でも……」



 橋本さんが話していたように、真島さんの対応は完璧だった。とても優しいイケメン。この人が女子高生と平気で浮気をする人なんて、俄かには信じがたい。それくらい好青年だ。


 でもこのままじゃ、今後私が真島さんと接点を持つチャンスを無碍にすることになる。それどころか、コーヒーをぶっかけた迷惑人という印象がついて、落とすどころじゃない。


 ここは誠実な対応をしなくっちゃ。



「……いえ、これは私が悪いので、せめてクリーニング代を払わせてください」

「本当に大丈夫だから」

「いえ、お願いします。払わせてください」

「いいんだってば」



 真島先輩は引き下がらない。人にお金を貰うことに抵抗があるのかもしれない。


 なら……



「後日、彼女さんに直接お詫びをさせてください。今会ったらご不快な思いをすると思うので、後でご連絡先を彼女さんにお伝えしていただくことはできますか?」

「ああ、それなら構わないよ」

「えっと……チャットアプリだとすぐに連絡先を伝達することができるので、まずは真……お兄さんと交換させてくれますか?」

「うん、わかった」



 こうして私は、辛うじて真島さんの連絡先を入手することに成功した。


 だけど、復讐の成功は遠ざかってゆく。



 あとで橋本さんに懺悔だ。ごめんなさい‼︎



 

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