★第23話 俺は無意識に手を伸ばしていた
「痛ててて……」
「あ、正樹動いちゃダメだって!」
体育館の端っこ。俺は千歌に足首の手当てをしてもらっている。
捻挫をするくらい何かに熱心に取り組んだとこがなかったので、初体験の痛みに情けなく悶えまくりだ。
千歌にこの姿を見られることに羞恥の念を抱いていると、突然足が何かに包まれた。
「ひゃっ……な、なんだよ」
「アイシングが終わったから、今から包帯を巻くんだってば。じっとしててね」
「……あ、ありがとう」
千歌の小さな手が俺の足に触れるたび、心臓がバクバクとわざとらしく鳴る。
あからさまな心拍数の上昇に、余計に恥ずかしくなって思わず千歌から目を逸らした。
「ねぇ、正樹」
「……え、あ、なに」
「……かっこ、よかった……よ」
途端、心臓が鷲掴みされたような感覚に陥った。
先生に心酔している千歌が俺をかっこいいと言ってくれたことは、社交辞令だとわかっていても嬉しすぎる。
逸らしていた視線をぎこちなく戻すと、千歌は包帯をじっと見つめながら顔を赤らめていた。
その献身的でかわいらしい姿を見た瞬間、俺は無意識に手を伸ばしていた。
「ひゃっ……」
「……ああああ、ごめん。ちがう。ごめん……」
やってしまった……。
あろうことか、俺は千歌の頭を撫でてしまっていたのだ。
途端、怖くなった。
無意識に起こる衝動と、千歌に嫌われるんじゃないかという懸念。
昨日真島先輩と千歌のキスを咄嗟に止めに入った時といい、今日の試合といい、今といい……俺が俺じゃなくなったみたいで、もうよくわからない。
ただ、千歌がどうしようもなく愛おしい。
「……よ」
「……え」
「……いいよ」
「あ、え……許してくれるの?」
「じゃなくて」
「え、あ、怒ってる? ごめん」
「じゃなくて!」
「え……」
千歌は包帯を見つめる視線を俺に向け、恥ずかしそうに言った。
「もう少しだけ、して」
ヤバい、と思った。
語彙力が消え、湧き上がる感情にただただ支配される。
そして俺は、もう1度千歌の頭を撫でた。
「公衆の面前で何やっているの?」
「「……わっ」」
突然現れたのは、悪戯な笑みを浮かべた皆川だった。
「仲いいんだね。さっき聞きそびれちゃったけど、2人は付き合ってるの?」
「え、や、従妹だよ」
「へ~、そうなんだ」
皆川は含み笑いをした。どうやらまだ関係を疑っているらしい。
前の俺だったら皆川に誤解をされることは嫌だっただろ。でも今は、何とも思わなくなっていた。
この前は真島先輩が皆川を泣かせたことに対して強い怒りを覚えていたけど、今は千歌に手を出そうとすることに対しての憤怒に代わってしまったのだ。
俺は確かに、1年間皆川のことが好きだったはずだ。でも、俺は一体皆川の何が好きだったのだろう。
恋愛というものの本質は、本当によくわからない。
すると千歌がすっと立ち上がり、いきなり皆川に深々と頭を下げた。
「この前はお洋服を汚してしまってごめんさない」
「……あ、気にしないで‼ 全然大丈夫だから」
「ありがとうございます……?」
皆川はまったく気にしていないという風に明るく振舞った。
それにしても、千歌が小首を傾げているのは何故だろう。何か皆川におかしいところでもあったのだろうか。
「そういえば、名前はなんていうの?」
「あ……五月女千歌です」
千歌は以前、皆川に謝ることを口実に真島先輩と連絡先を交換していたけど、どうやらまだ皆川とはやり取りをしていなかったらしい。
「さおとめ……字はなんて書くの?」
「五月に女です」
「……そ、う」
この時なぜか、皆川の顔が曇った。みるみるうちに険しくなっていた。
ややあって、皆川が千歌に「連絡先教えて」と告げ、2人はスマホで連絡先を教え合った。
そして皆川は、すたすたとコートへ戻っていった。
「正樹」
「ん?」
「皆川さんってちょっと変わってるよね……」
「そうかな? 声優志望だからたまにアニメキャラのマネをしたりするけど、それ以外は変じゃないと思うよ」
「……色々、知ってるんだね」
「ま、まあ」
「好きな人だもんね」
胸を刺す言葉だった。千歌はまだ俺が皆川のことを好きだと思っている。
今すぐにでも訂正したい気持ちになったが、俺が皆川を好きじゃないと宣言するということは、俺側の復讐の動機がなくなるということ。そうしたら、俺と千歌の関係が終わってしまう。
そう考えると、否定できなかった。
それから息が詰まるような沈黙が流れた。
ややあって、急に真島先輩が俺たちの前に現れた。
「千歌ちゃん、橋本は大丈夫そう? 包帯、足りなそうだね」
「はい。あ、ほんとですね……」
俺のことを気遣うなら千歌に聞くなって。
いや、真島先輩はただ千歌に話しかけたかっただけなんだろうな……。
「倉庫にもう1つ救急箱があるから、それを使うといいよ」
「ありがとうございます。取ってきますね」
千歌はそういうと、倉庫の方へ向かっていった。
床に座って身動きの取れない俺と、高い目線から俺を見下す真島先輩。これが漫画なら、お互いの目から火花が散っているところだろう。
「今回の試合は俺の勝ちかな」
「え……いや、まだ負けてない、です……」
「冗談だよ。最後の追い上げはすごかった。ドローだ」
あれ。さぞ凄まじい嫌味を言われるかと思ったら、寧ろ褒められてしまった。
もしかしたら俺の中で勝手に悪役に仕立てているだけで、やっぱり真島先輩はいい人なんだろうか……。いや、女子の扱いがぞんざいすぎるのは確かだ。うん。
「でも、千歌ちゃんのことは諦めないから」
その瞳は澄んでいて凛々しかった。こんなイケメンに迫られたら、先生に心酔している千歌も……いや、考えたくない。
考えるだけで、胸が激しく痛む。
千歌が他の人を好きだという状況は変わらないのに、知らない先生よりも真島先輩に負ける方が死ぬほど悔しい思う。
だから俺は、絶対に負けない。
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