★第46話 ……激情だ

 土曜日。曇天。心も曇天。

 今日はどうか色々な意味で雨が降らないようにと、隠れている太陽に祈った。


 俺の目の前の青いシャツの男――真島先輩は授業が終わると同時に足早に教室を去っていった。


 そんなに千歌のことが好きなのかよ。


 胸が張り裂けそうだった。千歌が他の男と2人で会うなんて吐き気がする。恋人になってから尚更だ。


 今すぐ真島先輩に襲い掛かってぶん殴りたいけど、俺は自分で言った言葉を脳で反芻してなんとか気持ちを宥めた。



 ――告白を正式に断る? 真島さんと姫宮さんに、ちゃんと。



 私たちは決めたんだ。お互いにあと1回だけターゲットに会って、正式に告白を断るって。しかもこれは、俺から提案したことだ。


 今日だけ、今日我慢すればいいだけだ。


 あとは千歌を信じれば――


 ブーッ、ブーッ


 突然、ズボンのポケットの中でバイブレーションが鳴った。

 もしかして、千歌からのSOS⁉


 俺は無我夢中でスマホを手に取り、画面を確認しないまま電話に出た。



「もしもし、ち――」

【あ、正樹?】

「……姫宮」



 無意識に力が入っていた身体が、一気に脱力した。

 姫宮か……。千歌は、大丈夫だろうか?



【あれ、苗字呼び?】

「え、あ……ううん、ぼーっとしてた。華乃、なに?」



 危ない。姫宮はまだ俺が千歌と付き合っていることを知らないんだ。

 ちゃんと繕わないと。



【急にごめんね。あの、その……】

「うん」

【……会いたくなっちゃったの、正樹に】


 

 心臓がイヤな風に高鳴る。

 断りたいのはやまやまだけど、再び千歌との約束が頭をよぎった。


 1回だけ、あと1回だけあって、正式に告白を断るんだ。



「……うん、いいよ。いまどこ?」

【正樹と最初に会ったカフェだよ】

「わかった。今から大学出るから待ってて」

【うん、ありがとう……】



 千歌、俺はちゃんと断るから。


 だから千歌も、ちゃんと断って。



***



 ジャズの気まぐれな音色が鼓膜を撫でる。

 俺の目前にいるのは、不安そうな顔をした姫宮。


 しばしの沈黙の後、姫宮が口火を切った。



「あのね……」

「うん」

「この前の返事、聞いてなかったから……」



 姫宮がいきなり本題に入ったから、一気に緊張感が高まった。

 大丈夫、落ち着け、俺。



「あ、改めていうと、私ね、正樹が好きなの」

「うん……ありがとう」

「だから、付き合ってください」



 姫宮の翡翠のように透き通った瞳が、俺をまっすぐに見つめた。

 今から俺は、この純粋な女の子の心を傷つけなければいけない。


 最初は復讐だからと何とも思ってなかったけど、千歌と本当の恋人になって復讐が消滅したからこそ、心が痛む。


 何だか自分が、最低なことをしているように思える。


 俺は大きく深呼吸をして、意を決した。



「姫み――」

「正樹‼」

「はいぃ‼」



 いきなり姫宮が大声を出すから、思わず身震いした。隣の客が目を丸く見開いてこちらを見ているのがわかる。



「ごめんなさい……あの、わかってたの。断られること。だってこの前の……」

「……」

「だからちゃんと断られる前に、お礼を言わせてください」



 俺の気持ち、わかってたのか……やはり女子の勘はすごい。

 そして姫宮が真剣な表情になるから、俺も身構えた。



「ありがとう、ストーカーから私を守ってくれて」

「あ、いや、それは……」



「私、教師からストーカーされて、本当に困っていたから」



 教師。

 そのひとことで、全てを悟った。

 頭が真っ白になった。


 そしてそれからの姫宮の話は、耳を疑うことばかりだった。


 真島先輩と家族であること、ホテルに行った理由、皆川のこと……。


 ああ、もう、信じられない。


 事実って、こんなに違うものなのか?


 じゃあ、俺たちが今までやっていた復讐ってなんなの?


 疑似浮気ですら、なかった?


 ……誰も浮気してないじゃん。


 

「以上です。長々とごめんなさい」

「あ……う……」

「だ、大丈夫? 正樹……橋本さん」

「あ……うん……」



 俺の今の感情は何だ? 

 

 ……激情だ。



「それで、橋本さんのお返事を改めて――」

「ごめん……」



 俺は店を飛び出した。




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