第7話
翌朝は不思議なくらいスッキリと目覚めることが出来た。
私が抱えている現実は何一つ変わっていないのに、なんでだろう。
見えない何かに背中を押されているような感覚の理由を、朝の忙しさに紛れて追及しないまま、私は家を出た。会社に着くころには起きた時の幸福感はすっかり消えていたが、かといって昨日のような重苦しさは全く無かった。
今日は例の新規プロジェクトの顧客へ第1回目のプレゼンを行う日だ。実働部隊となる三人を初めて連れていくから、実質顔合わせのようなものだが、昨日佳代が上げてきた資料は十分な出来だった。まずは無難に終わるだろう。
「じゃあ、行きましょうか。言うまでも無いけど名刺は忘れないでね?」
三人はしっかり頷く。若干緊張しているようにも見えるが、万が一トラブルがあれば私が対処すればいいし、今それを言うと折角の緊張感が台無しになるから何も言わない。
(私が初めて客先でプレゼンするときも、一緒に来てくれた上司はこんな気分だったんだろうなー)
そう考えると感慨深いというか、なんか急に年取ったような気がするって言うか……。いかんいかん、違うところに思考が飛んだわ。
うちもマックス社も都内なので電車を使うとあっという間に着いた。受付で名刺を出しながら名乗って、先方の担当者とアポイント済みであることを伝えると、暫く待つように言われた。
一番近くの椅子に4人で腰かけたところで、佳代が声を上げた。
「成瀬チーフ。本題に入ったら私が中心になって話を進めてもいいでしょうか。私が資料作ったので、説明しやすいと思うんです」
そう言えば担当を決めていなかった。チラリと後の二人を伺い見たが、特に異論はなさそうなので了承した。
「分かった、鈴木さんに任せる。ただ私がたまに横から口出すかもしれないけど、それは大丈夫?」
それを聞いて佳代は一瞬ぐっと詰まったような顔をしたが、頷いた。いい、ということね。
「じゃあメンバー紹介が終わって資料を配り終わったらバトンタッチするから、その時お願いね」
そう言うと、佳代の顔が輝くばかりに明るくなった。本当に自分で動くことが好きな子だなぁ。そういう意味では出来てきた骨子に沿って資料を作るなんて作業は辛かっただろう。でも。
『好きなこと得意なことだけやってたらすぐに行き詰る。失敗できるのは今だけだよ』
って、若い子()に言っても皆ポカンとするんだけどね。30代でポジション就いた私が初歩的なミスなんかしたら致命的なんだってば。ミスばかりなのに山ほど経験積ませてくれた矢崎マネージャーに本当に感謝だわ。
「お待たせいたしました。どうぞ」
私がつまらない回想に浸っていた間に、気が付けば先方の担当者が迎えに来てくれたらしい。しかし私は見たことない顔だったので、その場で自己紹介した。
「ブライト・アンド・カンパニーの成瀬と申します。本日はよろしくお願いいたします」
「マックスコーポレーションの立花です。今回からジョインさせていただきます。よろしくお願いします」
後の3人は落ち着いてからでいいだろうと判断し、立花氏の後ろについて行った。
マックス社のマネージャー二人と先刻の立花氏、若い女性社員が一人いた。
こちらも私に続いて鈴木、野村、及川が挨拶をする。
「本日は矢崎は同行しておりませんが、統括として常に共有しておりますのでよろしくお願いいたします」
一応ね、あちらもマネージャークラスが同席してるからね。そう言っておかないと安心できないでしょ。
案の定ホッとしたような表情になった壮年男性二人に、私は内心苦笑しつつ、用意した資料を全員に配布したところで佳代にバトンタッチした。
「……という流れで検討しております。お忙しいとは存じますが、ご検討の上ご意見いただけますと幸いです」
私が最後そう締めくくると、マックス社の四人はうんうん頷きながら資料を最初から見返した。
「……よく分かりました。大変コンパクトで分かりやすい。この全体構造は成瀬さんが?」
そう問われ、コンマ1秒迷ったが本当のことを答える。
「いえ、私は御社のご要望を伝え、全体は及川が担当しました」
ああ、佳代の額に青筋が浮かぶのが見えるようだ。そして同じく真子もそれに気づいている。しかし隠すことでもないしなぁ。
「ああ、及川さんが……」
そう言いながら件のマネージャーが名刺と真子の顔を見交わしながらまたうんうんと大きく頷く。
「さすがブライト・アンド・カンパニーですね。お若い方もとても優秀だ」
ありがとうございます、と私は深く頭を下げる。嬉しいやら、胃が痛いやら……。
「では、週明けにはこちらの意見をまとめて改めてご連絡させていただきます。その時のご連絡先は……」
例の立花が確認してくる。彼が先方の実働部隊なのだろう。交渉窓口は
今日の必要事項は全て終わった。立花に見送られ、マックス社のビルを出る。丁度昼だったので、私から矢崎マネージャーに連絡を入れた。
「昼休憩を取ってから戻ります。14時前には戻ると思いますので」
『わかった。お疲れ様。詳細は後で報告してくれ』
「かしこまりました」
電話を切って小さくため息をつくと、佳代が寄ってきた。
「成瀬チーフ!この近くにこの前テレビでやってたイタリアンがあるんですよ、一緒に行きましょう!」
なんで私だけ。この状況なら4人で行こうよ。
「そうね、野村君も及川さんも、それでいい?」
ここで二人になったらさっきの打ち合わせについてダメ出しされるに違いない。そんなのは休憩にならないわ。私はあえて他の二人の名をはっきりと大きな声で呼び、選択肢は与えなかった。
「え、あ、はい、私は大丈夫です……」
「俺もいいっすよ。これからこの辺来ること多くなりそうですもんね。店開拓しときたいんで」
森の言い分は非常に真っ当だったので助かった。私も追従する。
「そうね、じゃあ行きましょうか」
ぐるっと3人を見回すと、明らかにへそを曲げたような佳代の顔が見えたが気づかないふりをする。
(なんかこの前から佳代に気使ってばかりだなー。ていうかこの子こんな子だったの?!)
私が他人の性格をウラまで理解出来ないのは自分で分かっているが、意外な面ばかり見せられて正直疲れて来てもいる。そんなにガツガツしなくても、佳代の実力と実績と学歴なら、遅かれ早かれ出世できるのに。
何も気づいていない風の森と、私にランチの提案をした時の勢いを失くした佳代、佳代と私とチラ見しながら私の後を付いてくる真子と、件のイタリアンの店へ向かった。
そんな私たちの後姿を、エントランスからずっと立花が見守り続けていたことなど、知る由も無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます